今年は、私が塾長を務めている全ての寺子屋で、更にギアを上げた感じで、大切なことを全力で伝えていこうと決意しています。塾生の皆さんは、ついてくるのに大変かもしれません。私も還暦を二年も過ぎてしまいました。人間はいつまでも生きてはいませんから、高いパフォーマンスをやれるうちに、全力を尽くしてみたいと思うのです。
この寺子屋が、私のいなくなった未来の社会でも残り続けていることを願います。日本の教育をより良いものにしようという意志を持ち、既成の枠組みに囚われることなく、力強く行動できる若者たちの出現を心から願っています。
それが実現すれば、捨て石のように生きてみようと思った私の人生も、多少は意味があったのだと、笑顔で終わることが出来るのかもしれません。
それにしても、教育とは手間暇のかかるものであり、職人の手仕事のようなものだと思います。日本は近代化と共に、その伝統である手仕事の系譜をかなぐり捨て、効率性と平等性と経済性を重視した工場のような教育で、規格のそろった人間を生産しようとしてきたように感じます。マニュアル化され、誰もが同じように教育できることが善きことだとされてきました。
しかし、それでは「人間」が育たないのです。「人格」の陶冶など望むべくもありません。そこに現代の教育の病根があるように思います。しかし、そこには目を向けず、対処療法的なことをやるばかりだから、一向に教育現場における子どもたちの抱えている苦しみや課題は変わってはいないのだと思います。