Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ギアを上げる

2024年07月29日 | Weblog

今年は、私が塾長を務めている全ての寺子屋で、更にギアを上げた感じで、大切なことを全力で伝えていこうと決意しています。塾生の皆さんは、ついてくるのに大変かもしれません。私も還暦を二年も過ぎてしまいました。人間はいつまでも生きてはいませんから、高いパフォーマンスをやれるうちに、全力を尽くしてみたいと思うのです。

この寺子屋が、私のいなくなった未来の社会でも残り続けていることを願います。日本の教育をより良いものにしようという意志を持ち、既成の枠組みに囚われることなく、力強く行動できる若者たちの出現を心から願っています。

それが実現すれば、捨て石のように生きてみようと思った私の人生も、多少は意味があったのだと、笑顔で終わることが出来るのかもしれません。

それにしても、教育とは手間暇のかかるものであり、職人の手仕事のようなものだと思います。日本は近代化と共に、その伝統である手仕事の系譜をかなぐり捨て、効率性と平等性と経済性を重視した工場のような教育で、規格のそろった人間を生産しようとしてきたように感じます。マニュアル化され、誰もが同じように教育できることが善きことだとされてきました。

しかし、それでは「人間」が育たないのです。「人格」の陶冶など望むべくもありません。そこに現代の教育の病根があるように思います。しかし、そこには目を向けず、対処療法的なことをやるばかりだから、一向に教育現場における子どもたちの抱えている苦しみや課題は変わってはいないのだと思います。

 

 

 

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小郡寺子屋「志学舎」第1講座終了

2024年07月28日 | Weblog

小郡寺子屋志学舎の第1講座が終了しました。今日は、中富記念くすり博物館に訪問して、くすりの歴史などについて学んできました。小郡市の生涯学習センターに戻ってきてからの講座の中では、レポートの書き方、和食のマナー、箸使い、硬筆など、色々なことをお伝えしました。これらはすべて、一年間の学びに必要なものであり、人生に必要なものであり、当面、夏の合宿で必要になることです。

受験勉強以外に大切なことが沢山あることに少しずつでも気づいてくださったら良いなと思っています。人生で大切な学び方、教養、考え方などを多感な時期の子どもたちに伝えていくことが本当に大切だと、最近、益々痛感しています。あと何年フルパワーで共に学べるかはわかりませんが、一日一日を大切にしていこうと思います。一人一人を大切にしていこうと思います。

 

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個の確立を目指す

2024年07月26日 | Weblog

私が思うことは「個の確立」が喫緊の課題だということです。一人一人の人間が、考え、良き意志を持って、行動を起こしていかなければならないのです。

政治家も、メディアも、教育者も、親も、子どもも、一人の例外もなく、自分で考え、私利私欲のためではなく、社会全体としての理想を考え、人のため、国のため、世界のためという思いを持つことが大切だと思います。

「君子は義に喩り、小人は利に喩る」(『論語』)という言葉がありますが、君子(立派な人間)になることを理想だ絵空事だと嘲笑し、みんなが小人(つまらない人物)で良いじゃないか、人間そんなもんだと易きに流れ続けてきたのが、日本の戦後から今日に至るまでの日々だったように感じます。

それが戦後の貧しさから抜け出したい、人並みの暮らしをしたいということと相まって、誰もが悪気なく利に走り、それをメディアも政治も教育も、増幅してきたのだと思います。

「何も持たない、若者たちの、無欲無限の赤心が、日本の明日をつくるのだ」(『吉田松陰』という歌の歌詞)とあるように、肩書きや、背景にある団体や、学歴など関係なく、これからは、私たちは理想を掲げていかなければならないのだと思います。

そして、互いに敬う心、思いやる心、感謝する心を持たなければならないのだと思います。それが社会をより良きものに変革していく唯一の方法のように思います。

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9月の講演

2024年07月26日 | Weblog

9月に全国国立大学附属学校PTA連合会様にて話をさせていただきます。今、教育について思う事どもを全力でお伝えしたいと思います。

私も私の長男も附属中学校卒業生ですので、ご恩返しという思いもありつつ、この19年間のバッカーズ寺子屋の教育実践を通じてわかったこと、考えていることを、子どもたちの成長の姿と共に、全力でお伝えしていきたいと思います。

 

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寺子屋の教育

2024年07月24日 | Weblog

バッカーズ寺子屋、小郡寺子屋「志学舎」で実践している教育方法は、私が高校教師であり続けたら、決して見出すことのできなかったものだと確信しています。そして、子どもの教育と企業教育を同時並行的に実践してきたからこそ見えてきたものだとも思います。

私が本当に嬉しく思うのは、教育への批判、評論に終わらずに、19年間、社会の中で教育を実践し続けてこられたということです。教育への批判や評論は、世の中にいくらでもあります。そして、それは、それぞれに正しかったり、鋭い指摘であったりもします。

けれども教育は実践しなければ何も変わらないのです。ただ、教育は、既存の枠組みや、現在の教育思想の中ではもはや変わることが出来ないのだろうと思います。

そこまでわかったとしても、リスクを取ってまで新しい教育実践を作り上げようという人間など誰もいないのだと思います。自分の生活があるからです。

日本への危機感から新しいチャレンジとして出てくるのは、富裕層を対象にしたお金になる教育です。ただ、それでも私はそれが教育実践である限り敬意を払います。批判や評論や運動にはない、個を変える力があるからです。

幸い私は出会いに恵まれました。だから月額5,000円で、誰もが受けられる、本気の教育を生み出すことが出来ました。有り難いことです。

これをもっともっと世に広め、誰かにバトンを渡し、次の時代に遺していきたいと思います。思いのある方との出会いを心待ちにしています。

私はどんな子どもたちにも活かすことの出来る教育実践を生み出し続け、その成果を出し続けたいと思います。幸い、その結果は少しずつ見えてきています。19年という歳月、卒塾生と共にあることに努めてきて、ようやく見えてきました。寺子屋の教育は、卒塾して終わりではなく、一生保証の教育でありたいと、私は勝手に思っています。

だから700人を超えた卒塾生の皆さん全員に、毎年、心を込めてバースデーカードをお送りしています。愚かなことと思われるかとは思います。しかし、私の教育実践自体はたいしたことが無くても、「バッカーズ少年教育10原則」というプリンシプルだけは、伝え続けたいと思ってやっています。それが私の使命だと考えているからです。

「教育とは流水に文字を書くような果かない業(わざ)である。だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」

森信三先生の言葉を、なぞれる限りなぞって、生きてみようと思います。

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教育を良くする

2024年07月24日 | Weblog

「教育を良くしたい」という言葉を使うときに、気をつけなければならないのは、「自分以外の人々を良くしたい」という不遜な願望を持たぬ事だと思います。

教育の本質は、その人の「言葉と行動」であり、親も教師も「言葉と行動」で教育するしかありません。それが良きものになるということは、「言葉と行動」の土台にある、自分自身の「考え方」を磨き、良きものにするしかないということです。

そして、その「考え方」も、結局は「言語」によるものであり、生まれてからずっと影響を受けてきた、他者の「言葉と行動」によって形作られたものでしかありません。

ということは、「教育を良くしたい」という願いは、つまるところ「自分自身をより良い人間にしたい」と願い、努力し続けることでしかないのだと思います。

また、その意識を持たず、偉そうに他者に説教するがごときは、教育の本質がわかっちゃいないということでしかないのだと思います。

そして、私は、教育の本質をわかっちゃいない自分であることを自覚し、そこから脱しようともがき、学び続けている人間でありたいと思います。

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範を示し、共に学ぶ

2024年07月23日 | Weblog

昨日、東京で地下鉄を待っていて、私ともう一人20歳ぐらいのスポーティーな女性が先頭に並んでいました。ドアが開くと、女性は脱兎のごとく、空いた優先席に座ってスマホを熱心にいじっていました。すぐ近くには、お年寄りの女性が立っていらっしゃいましたが、20歳ぐらいの女性は、帽子を目深にかぶって、何も見えないよ~という感じでした。

ふと見れば、優先席に座っているのは三人とも若い女性でした。たまたまだったのはわかりますが、世も末だなと感じました。また、どんな教育を受けたらこうなるのだろうと思ってしまいました。自分優先、権利優先、私利優先の浅ましさを感じてしまいました。そして、それは、親の世代の教育の問題だろうとも思いました。

しばらくして、その20歳ぐらいの女性は降りていき、空いた席を前に、私は立ったままでした。そんなことがあった席だから、私は何となく座りたくないなと思っていたのでしょうか。そもそも昭和の男は優先席には座らないぞという見栄と心意気があります。

そしたら、今度は若い男性が来て何か言っています。今時の若者らしく、滑舌が悪くて聞き取りにくかったのですが、「ここ、いいっすか?」と自分が座りたい意思表示でした。私は軽く「どうぞ」と言いました。心の中で苦笑しつつ。まぁ、さっきの小学生みたいにダッシュする女性よりましかと。

私はお年寄りを大切にし、席を譲る人間でありたいと心から思いました。心身を鍛えるために、できるだけ電車の中では立っていようと改めて思いました。

ん?

しかし、考えてみれば、既に私は還暦を二年も過ぎた爺でした。席は譲られる側なのかも知れません。しかもいつものように20㎏超の重さのキャリーバックを持っています。手にはキャリーバックだこが出来ています。

今時の若者は、などと言うつもりはありません。私が共に学んでいる若者たちは素晴らしい若者たちです。じじいは、もっと爺らしく、日頃から、嫌みの一つも言わなければならないのだろうか?と思った次第です。

勿論、そんなことはしませんけどね。あくまでも範を示し、共に学ぶ者でありたいと思います。

 

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小郡寺子屋「志学舎」三期生・入塾式

2024年07月20日 | Weblog

明日は、否、本日は、小郡寺子屋「志学舎」の第3期生入塾式です。全力でこの寺子屋の意義をお伝えしようと思います。

私は、教育が良くなるということは、あるいは、教育の成果とは、一人一人の子どもの姿が変わるということだと考えています。

大人が何をしたか、ではないのです。ともすれば、仕組みを変えたり、機器を導入することをもって、教育の成果とすることが多々あります。それは、行政の成果としてはその通りです。

しかし、教育者の仕事はそうではありません。良い点数をテストで取ること、偏差値を上げることが教育の目的ではありません。

私の寺子屋では、その子の、何気ない立ち居振る舞い、目の輝き、言葉の強さや、自分の考えを持っているか否か、そうしたことを大切にし、成長の尺度としています。

 

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志の教育

2024年07月16日 | Weblog

私はあまり声高に志の大切さを叫びたくはありません。これほどに手垢のついた、誤解されやすい言葉は無いからです。

ただ、言えることは、佐藤一斎、吉田松陰、橋本左内と言った先人たちの言葉の重みに静かに耳を傾けようという事ぐらいです。

後は、眉間にしわ寄せて「志を持たねば!」と言うのではなく、「志があると、めちゃくちゃ楽しい!」「自分も楽しいし、周囲の人たちに役立つし、感謝もしていただける!」という感じを目指しています。

世のため人のために生きるということは、そういうことだと思います。

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自嘲

2024年07月16日 | Weblog

人生の時間は有限です。日々を全力で生きなければ私など何事も為すことなく人生が終わってしまいます。能力がないから努力でカバーするしかないだけのことですが、その現実から目を背けずに立ち向かっていく自分でありたいと思います。しかし、それでも大したことはできないものだなぁと、自嘲している私がいます。

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