Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

プロフェッショナル

2007年09月30日 | Weblog

プロフェッショナルになりたい。
そう思います。

自分の仕事に対する誇りと責任を持ちつつ、
精進を続けていきたいと思います。

しかし、私の謂う精進とは、
別にストイックなものではありません。

日本に生をうけたことを満喫し、
仕事の楽しさを多くの人たちと分かち合うだけ。

仕事が遊び。遊びが仕事。

そんな感覚を大切にしたいと思います。
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萩往還を歩く

2007年09月29日 | Weblog

10月6日から三日間、萩往還を歩く研修を行います。
私がこの道を歩き始めて十三年が経ちました。
当時は、ほとんど誰も歩いていない道でしたが、
今では様々な団体・グループが歩いています。

13年間、色々な方と30㎞を歩き続けました。
快晴の日もあれば、
曇りの日もありましたし、
土砂降りの日もありました。

そして、今では五月の連休中に
バッカーズ寺子屋の塾生たちと歩くのが恒例となりました。

個人的には、年に二回歩くのは、ちょっとしんどいので、
一度にしようかとも思うのですが、
このプログラムはやはり大人向けが最高に面白いのです!!
しかも、季節的にも秋の三連休(10月)に実施するのが最高です!

ということで、
今年は松下村塾開塾150周年にもあたる年ですので、
皆さんと歩こうと決意致しました。

よろしかったら、
まだ、バスの席は空いていますので、
是非ともお申し込み下さい。

次回の開催は、いつになるか未定ですので、
よろしければ、今年、どうぞ。

道を歩くことは、人生を考えることに通じます。
吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文はじめ
維新の志士たちが駆け抜けた道を、
是非、一緒に歩きながら
「志」を考える一日にしていただければ幸いです。





コメント (2)
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捻挫

2007年09月27日 | Weblog

迂闊なことに左手首をしたたかに捻挫してしまった。
・・・い、痛い。

面白いもので、捻挫する前は、
肩が凝ってきついだの、体が疲れているだの、
うだうだと不平不満を抱えていた。

・・・で。
捻挫した瞬間から、
それらの意識は雲散霧消してしまった。(笑)

そこで小話を思い出した。
たしか、こんな話だった。

小さな不幸に見舞われている男が神に祈った。
「神様、私の不幸をお救い下さい。
不幸が沢山あって夜も眠れません。
どうかこの不幸を忘れさせてください。」

神は、男の願いを聞き届けた。
男に巨大な不幸を背負わせたのだ。

男は小さな不幸があったことなど、
すっかり忘れ去っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

人間の意識というものはそんなもの。

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アインシュタインの言葉②

2007年09月26日 | Weblog

アインシュタインの言葉
「官僚政治は、あらゆる業績を抹消してしまう」

なるほど、と思った。
なるほど官僚的組織ほど
人生をつまらないものにする人類の発明はないだろう。

教育も官僚的組織の中でやれば、
早晩、その中に埋没していく。
人間対人間の血の通った関わりは、
砂粒同志のさらさらとした関わりに置き換えられ、
個人の血の滲むような学びと努力と教育的熱意は、
すべて組織の財産として没収されていく。

一人一人の名前ではなく、
肩書きや役職がその人の顔になるのである。
否、のっぺらぼうの仮面になるのである。

たが、肩書きや役職は人を育てない。
同様に、のっぺらぼうも人を育てない。
人を育てるのは人だけ。
それも名前を持つ人だけである。

歴史に学ぶというが、
それとて生き方を教えてくれるのは、
名前を持つ人だけである。

有名であるかないかなど何の関係もない。
ただ、自分の心の中で「その人」とわかる人でなければ、
何も語りかけてきてはくれないものである。
そう、「誰か」という人は存在しないのである。

生きているか死んでいるかに関わらず、
真に名前を持つ人だけが、教育的存在であり得る。

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アインシュタインの言葉①

2007年09月24日 | Weblog

政治が大きく動いている。
メディアの報道もかまびすしい。

しかし、よく思うことは、
どうして人は人を
居丈高に裁きたがるのだろうかということである。
私にはわからない。

政治に対して期待はするが、
あまり政治を美化しても仕方がないと思う。

「どんな政治も、ある程度は邪悪なものである」

「政治の指導者や政府は、その地位を、半分は武力に、
半分は選挙によって維持しています。
それぞれの国の中で、
道徳的あるいは知的に
最も優れた人々の代表だとみなすことはできません」

アインシュタインの言葉である。

人の失敗や欠点を指摘しあげつらう人間になるより、
人の失敗や欠点を包み込み、
そ知らぬ顔して支えていける温かい人間に私はなりたい。


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TVQスタジオ見学

2007年09月23日 | Weblog

今日はTVQのスタジオ見学に
高校生・大学生・先生と10名で行ってきました。
九州経済NOWという番組の
リハーサルと本番を見せていただき、
その後、加地良光アナウンサーに
質疑応答の時間を取っていただきました。

高校生も大学生も熱心でした。
プロの仕事に対する姿勢に触発されていました。
素晴らしい学びの時間を作っていただいたことに感謝です。

「本気で生きている大人」と
「向上心のある若者」をつないでいく、
そんなスタイルの学びの場を
私はこれからも沢山作っていこうと思いました。

遊びながら学ぶ、
出会いながら学ぶ、
そんな学びのスタイルが私は好きです。

きっと共に動いていただくことの中で、
様々な、深い「気づき」がうまれると思います。
まぁ、騙されたと思って(笑)、
V&Eの創る世界に足を運んでみてください。
よろしくお願いします。

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2007年09月21日 | Weblog

大学生と飲みながら話していた。

最高に美味しいもつ鍋の店で・・・。
(ここは、馬刺も美味いし、モツも最高に新鮮。
さらにもつ鍋の最後に入れる麺は、
定番のチャンポン玉ではなくて、
なんと自家製卵麺!!もう最高!!)

若者がビジョンを語る姿は清々しい。
店を出てみんなと別れ、一人でぶらぶら歩いていたら、
松下幸之助さんの言葉がなぜか鮮明に脳裡に蘇ってきた。

人生に乾杯!!



       道

    自分には
    自分に与えられた道がある
    広い時もある
    せまい時もある
    のぼりもあれば くだりもある
    思案にあまる時もあろう
    しかし 心を定め
    希望をもって歩むならば
    必ず道はひらけてくる
    深い喜びも
    そこから生まれてくる



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今時の若い者

2007年09月20日 | Weblog

最近、大学生諸君、高校生諸君と接する機会が増えた。
印象として、素晴らしい若者たちが多いと思う。
おそらく二極化しているのだろうが、
それにしてもしっかりした若者が多い。

頑張るべきは、大人だと思う。
大人が夢を持って果敢にチャレンジする姿が、
子どもたちの心を鼓舞する。

教育改革の実現とは、
ただ、それだけのことなのかもしれない。

小手先では通用しない。
人生の全てを賭けていなければ、
心に届く言葉は紡ぎ出せない。

よくよく見れば、
世の中は希望に満ちあふれている。


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無駄ということ

2007年09月18日 | Weblog

「効率」を追い求める社会にあっては、
「無駄」は肩身の狭い思いをしています。

しかし、「無駄」とは何かを考えてみると、
なかなか難しいものに思えてなりません。

私はよく寄り道をします。
仕事とは関係のなさそうな本や雑誌を乱読します。
仕事とは関係のない人との出会いを大切にします。

また、時として、
人生において回り道をすることもあります。

しかし、それは決して無駄ではないと思うのです。

私たちの潜在意識には、
子どもの頃からの自然体験や読書や
人から聞いた無数の言葉などが、
無限に堆積されているのだと思います。

そして、その人の人格を形成する
土台となっているのだと思うのです。

おそらく本人にも自覚されない
これら様々な体験の蓄積は、
いつしかその人間の言葉と行動を決定する
大切な基盤になっていると思うのです。
それらを教養と呼ぶのかもしれません。

だから、人生において無駄なことなど何一つない。

より良い経験と出会いを
無限に積み重ねていき、
「全ては無駄ではない」と信じることが、
いつしか非常に大きな意味を持つのだと思います。
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萩に来て

2007年09月17日 | Weblog

昨日今日と、萩に来ていました。
一泊二日の幼稚園職員研修の講師として・・・。

今年は松下村塾開塾150年という年にあたるためか、
私も随分と萩を訪れる機会が多くなっています。

「志の教育」を探究しつつ、
皆様と共に学ぶことのできる
様々な学びの場を作ることが私のミッションですが、
やはり「志の教育」を実践していく上で、
萩の町は欠かすことの出来ない場所だと思います。

松下村塾の教育については、
学べば学ぶほど新たな発見があります。
私自身、もっともっと学んでいこうと思います。

それにしても、本質的な教育は、
フランチャイズ化できないのだと思います。
例えば、松下村塾の二号店ならぬ二号塾?というものは、
想像することさえできませんし、
松下村塾の教育手法をマニュアル化したら
素晴らしい教育が実現するというものでもないでしょう。

やはり教育は「人の思い」や
「人格」と共にあるものであって、
「組織」と共にあるものではない。
萩の地を訪れる度に、私はその思いを強くします。

少なくとも人間性を育む教育の場においては、
教育への純粋な思いと熱い情熱が大切なのであって、

それが、
「どうすればこの活動を拡大できるか」とか、
「教育界で影響力を行使したい」とか、
「マニュアルを作って一般化していきたい」
などという思いに変質した瞬間から、
「教育」はその輝きと力を失うのだと思います。

こうした私の考えが正しいかどうかなど
実は大した問題ではありません。
おそらく正しい答えなどはないと思うからです。

ただ、
私はそうした思いで教育をしていこうと思い、
そして、日々、教育実践をし続けている。
それだけのことなのです。
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