Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育改革の難しさ

2019年06月29日 | Weblog

教育改革の困難は、

教員の常識との闘いだと痛感しています。

善意ではあるのですが、

多くの先生方の視野は非常に狭いのです。

そして、

その善意と常識を否定するのはなかなか難しい。

 

バッカーズ寺子屋の教育は、

今日の教育界の常識からいけば、

非常識なことだらけです。

だから、塾生とその保護者の方以外には、

理解してもらうことはできないだろうと思います。

しかし、その教育が

大きな成果をもたらすのも事実です。

 

少しずつ、その考え方とノウハウを

死ぬまでに書き残していこうと思います。

しかし、無駄かもしれないなぁ(笑)、

だって、読んでも体験したことないから

きっとわからないや・・・(笑)。

と思いつつ、一筋の可能性に賭け、

チャレンジをあきらめない自分がいます。

理解者のいない寂しい道です。

 

 

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魯山人の言葉

2019年06月28日 | Weblog

人間は目をつけていると、急いで用事をするが、

目をはなすと、さっそくなまけている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしても料理を美味しく作れない人種がある。

私はその人種を知っている。

その名を不精者という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家庭の料理、実質料理、一元料理、

そこにはなんらの思惑がはさまれていない。

ありのままの料理。

それは素人の料理であるけれども、

一家の和楽、団欒のそれにかかわっているのだとすれば、

精一杯の、まごころ料理になるのである。

味噌汁であろうと、漬物であろうと、

なにもかもが美味い。

それを今日の簡単主義と、ものぐさ主義が、

商業料理へ追いやってしまって、

家庭の料理は破滅に陥ったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

かくして私は今日も米をとぎ、

ぬかを混ぜ、味噌をこすのです。

 

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教育者として思うこと

2019年06月27日 | Weblog

教育の中で、話をする事柄については、

自分が実際に経験したことで、

深く考えたことでなければならないと思います。

例えば、

食については、

実際に自分が日々作っていなければならないし、

文章については、

自分が日々書いていなければならない。

釣りをするのも、バーベキューをするのも、

自分がやれて初めて伝えられるものがあるものです。

自分が体験してないことや、

心から納得していないことを、

訳知り顔で教える気には、

私は到底なれないのです。

教育者としての矜持といった大げさなものではありません。

ただ、正直で、真っ当でいたいだけです。

それができない環境になれば、

私はひとりぼっちで

また新しい世界に立ち向かうだけです。

 

 

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人はその食するところのもの

2019年06月27日 | Weblog

「人はその食するところのもの」と、

ブリア・サヴァラン(『味覚の生理学』の著者)は

いっている。

その人の生活と、

大きく考えれば人生に対する態度が窺われる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北大路魯山人の言葉です。

自然のものを自然にいただくことが贅沢と言われ、

化学の力で鮮度を誤魔化し、

味や色や香りを誤魔化したものが、

安くて庶民の味方と言われているのは、

どう考えても欺瞞でしかないように思えます。

しかし、その生活は、私達がつくり、

それを良しとして選んできたのです。

私は教育の立場から、

その姿勢に抗いたいと思っています。

慎ましき食生活においても、

「おなかを満たせれば何を食べてもいい」という態度は、

「私の人生はどういでもいい」という

投げやりな態度に思えて、少し悲しくなるからです。

また、いくつかの県警が調査した

非行少年に共通する食の傾向では、

極度にカップラーメンと肉に偏っている

という結果が出ています。

食を些末に考えることは、

教育を粗末に考えることであり、

人をないがしろにすることにも

つながっているのだと思います。

そして、

両者が関係していると思わないところに

大きな落とし穴があるのだと思います。

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まだまだ未熟

2019年06月26日 | Weblog

やりたいこと、やるべきことが沢山あって、

寝たくないのですが、

喉を腫らしているので、

休まなければなりません。

無念・・・。

話す仕事である以上、

体調管理はかなり厳重にやっていますが、

どうしても365日絶好調とはいかないものです。

連戦の谷間の一瞬の気の緩みが命取りです。

しかし、明日からまた、全開で頑張ります!

 

 

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ノーベル賞・野依博士の怒り

2019年06月26日 | Weblog

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328026

 

ノーベル賞を受賞された野依博士の

教育への怒りが記事になっていました。

全く同感です。

そして、

そのことへ対応できる教育実践を、

15年間作り続けていたのだと思いました。

まだまだ時間は必要ですが、

もっと広めていけるように頑張ります。

東京の卒塾生のくれたメッセージが心に響いています。

「この一年間で学んだことは、

今の日本に本当に足りていない所だと僕も感じています。

だからこのことを僕やバッカーズの卒塾生だけに

とどめるのではなく、発信していくために、

将来、僕は教育に携わる仕事につきたいと思っています。」

私も子どもたちにエールを送り続けます。

 

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些事が些事に思えなかったので・・・。

2019年06月21日 | Weblog

知恵があるということは、

その場での最適解を瞬時に出せる

ということだと思います。

それができれば人生も日々の生活も豊かで

充実したものになります。

一方、一つの見方に固執したり、

誰のためにやっていることかを見失ったり、

創意工夫が出来なかったりすれば、

あまり良いものに仕上げることは出来ません。

それは、

経験値の不足であり、

考察の不足であり、

配慮の不足なのですが、

その人は、決してそうは思いません。

「そんなもんだ。」「私はそれでいい。」

という妥協の言葉で納得してしまいます。

小さな差は、日々の積み重ねで、

ものすごく大きな差となってしまいます。

私は人生を充実したものにして楽しみたいと思います。

一食一食にも、それはあらわれます。

贅沢をするということではありません。

食における最適解を出すということです。

 

読んで下さった方は、

きっと、このブログは???だと思います。

わかりにくくてすみません。

 

 

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言語化することの大切さ

2019年06月20日 | Weblog

功成り名を遂げた人の言葉は深い。

あるいは鋭い。

それは自分自身の言葉によって思考を重ね、

行動し、体験を積み重ね、

更に言葉による思考を繰り返してきたからだ。

その道の一流どころの言葉に触れると、

本当に学ぶことが多いのは、そうした理由によると思う。

だから、私達が学ぶべきは、

その言葉の字面をなぞることではなく、

その言葉の底にある深い精神をくみ取り、

自分の土俵で行動してみることである。

そして、具体的な行動の結果つかんだ考えをもとに、

自分も言語化する努力を重ねることである。

行動し、結果を出している人は、考えている人である。

考えていると言うことは、

言語化し続けているということでもある。

 

 

 

 

 

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V&Eメールマガジン

2019年06月18日 | Weblog

すっかり今月の配信が遅くなったのですが、

もうすぐメールマガジン6月号を配信致します。

そんなのあったの?と仰る方は、

オフィシャルサイトよりお申し込み下さい。

勿論、無料です。(笑)

このブログ左下のブックマークから、

V&Eのホームページへ飛んでいただき、

お問い合わせフォームでお申し込み下さい。

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手渡すために大切なこと

2019年06月17日 | Weblog

何かを手渡すためには、

自分が何かを持っていなければなりません。

教育とは、知識や技術、

そして、「思い」を手渡すもの。

「思い」には、自分の「思い」もありますが、

それだけでは足りません。

先人の「思い」を受け止めて、

我が「思い」としていくこと。

そして、その上に、自分の「思い」を重ねていくこと。

先人の「思い」を深く受け止めるには、

深く学ばなければなりません。

自分の「思い」を磨くには、

行動し、チャレンジし、

深く考え抜かなければなりません。

その両方をやらなければ、

一人前にはなれないのだと私は思います。

 

 

 

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