Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

大晦日

2015年12月31日 | Weblog
さて、今日は大晦日です。
福岡はしとしと雨が降っています。

一年間、様々な場面で、
お世話になった皆様、
ご縁を頂いた皆様に心からの感謝を申し上げます。

私はこの1年を振り返りつつ(あまりその余裕もないのですが)、
そして、この10年を振り返りつつ、
次の10年に向かって、なりふり構わずやっていこうとしています。

格好つけている余裕などどこにもありません。
教育を変革させていくということは、
本当に難事なのです。

しかし、有り難いことに、
いくつものチャンスを
来年もまた頂けそうですから、
そのチャンスの一つ一つを大切にしなければならないと思うのです。

多くの皆様に、
色々と義理を欠いてしまって誠に申し訳ありません。
心からお詫び申し上げます。

そう思いながら、
大晦日も会社でパソコンに向かっています。

明日も出社します。

皆様、良いお年をお迎え下さい。
コメント

思い込み

2015年12月30日 | Weblog
人は常に思い込みで生きている生き物です。

そこから逃れられる人はいません。

しかし、幅を広げることはできると思います。

その方法は、

色々な人の価値観に触れること。

そのためには、

沢山の本を読むこと。
沢山の人と出会い、話をすること。

そのことで、
細かな言葉の端々から、
割と正しい想像をしていくことが可能になるように思います。

少なくとも、
本を読み、人と出会っている人は、
自分の狭さを知っていると思います。

広いが故に狭さがわかるのです。

反対に、
狭いままの世界にいる人は、
その狭さにさえ気がつかないものです。


コメント

私の1年は

2015年12月29日 | Weblog
今年の私の1年は、
どれだけ人様のお役に立てたのだろうかと思います。

力及ばずということも多々あったと思います。
悔いの残ることもありました。

二十四時間、三百六十五日を
走り続けようと頑張りましたが、
まだまだ、甘いところがあって、
思うところに手が届きません。

しかし、私の中に、
もっとたどり着きたいと願う世界があるかぎり、
私は走り続けます。

そこに価値があったか、なかったかは、
共に学んでくださった人たちが決めてくれるのだと思っています。


コメント

権利の主張

2015年12月26日 | Weblog
権利を主張するのは良いのですが、

義理人情よりも権利を優先すれば、
相手も同じように権利を優先させることになります。

かくして、

権利と権利はぶつかり合い、
ドライな関係で行くしかなくなるのです。

私はできる限り、
義理人情で動きたいと思っています。




コメント

批判

2015年12月24日 | Weblog
批判だけしていられるのは、
責任をもってそのことを背負う
気構えがないからだと思います。

お気楽に評論して、
自説を滔々とと述べたところで、
何も変わりはしないのです。

私に何ができるのか。
どのように粘り強くやり抜いていくのか。
大切なのはそのことだけです。

ラグビーのように、
スクラムを組んで力を合わせて押している時に、

横からそのやり方が良いとか悪いとか、
ああだこうだ言うよりも、
一緒にスクラムを組んで、
押す気があるかどうかが大切なのだと私は思います。



コメント

随処作主

2015年12月23日 | Weblog
どこであれ、どんな仕事であれ、
その与えられた場所で、
与えられた課題に全力で向き合うことを
私は大切にしてきました。

大学時代のアルバイトから、
今日の仕事にいたまで、
全て良き仕事でしたし、
いつでもまた戻って良いと思う仕事ばかりです。

ウェイターも、酒屋の配達も、
ありとあらゆる仕事は充実していました。

どんな仕事をするにせよ、
嬉々として仕事をしていくような人間でありたいと思います。

そして、そこに、なくてはならない人になりたいと思います。


コメント

私の志

2015年12月20日 | Weblog
私の志は何か?

いつも自問自答しつつ、
それを鍛え続けています。

そうでなければ、
志の大切さは語れないと思っています。

私自身にも完成形は見えていませんが、
常に修正を重ねながら、
自分の志を実現していきたいと
強く願っています。

そして、
その方法は様々ですから、
今また、新たに色々なことを考えています。

しかし、志の教育を、
日本の社会の中に広げていきたいという、
その願いには、

いささかも揺らぐところはありません。

様々な歩き方を見つめつつ、
決断し、実行していきます。

コメント

風蕭々として

2015年12月18日 | Weblog
風蕭蕭として易水寒し
壮士ひとたび去ってまた還らず。

刺客荊軻は死を覚悟していた。

目の前で自分の首を刎ねた、
田光と樊於期の思いを背負っていたからであり、

腰抜けの秦舞陽一人では、
秦の始皇帝を屠る刺客としては心許ないが、
もはや行くしかない状況にあったからだ。

心強い友は、まだ、たどり着かない。
だが、刺客としては、一人行くしかない状況だ。

だから、必敗の戦いを戦い、死にに行った。
そして、殺された。


横山大観は、死の3年前に、

「風蕭々として易水寒し」という題で、最期の絵を描いた。

大観の胸に去来した思いは何であったのだろう。

日本画壇と対決し、
師岡倉天心共々、画壇を追われ、
そして、それに立ち向かった不屈の人生であった。

風蕭々としての詩は、哀しみに満ちている。
だが、決意にも満ちている。

ゼロに近いが、そのゼロの山の中に、
なお勝利への可能性を見ようとする強靱な意志の力と、
凄まじいまでの気迫とが感じられる詩だ。

そして、諦念と悟りの境地の香りもする。
それは一種の美学のようなものだ。

私もこの詩が好きだ。
そして、大観が好きだ。
無論、荊軻の悲しみもよくわかる。

こうしたことが、わかるかどうかが、
私にとっては、大切なことなのだと思う。









 
コメント

良き書物を読む

2015年12月16日 | Weblog
良き書物の言葉は、
何があっても私を励ましてくれます。

そこに記された、
筆者の揺るがぬ信念の言葉は、

時として、
友の暖かな励ましの言葉よりも、

強烈に私を支えてくれるものとなります。

だから、

本を読まなくてはいけないのです。

得意の時にも、
不遇の時にも。

喜びの時にも、
悲しみの時にも。

コメント

失敗

2015年12月16日 | Weblog
失敗は成功の母だという。

ただ、失敗には、二種類あるような気がしている。

技術開発における失敗と、
人間関係における失敗である。

前者は、みんなの理解と共感が得られ、
再チャレンジをしやすい失敗でもある。

だが、

後者はなかなか回復が難しかったりもする。
人間の感情というややこしい世界に足を踏み入れるからだ。

この困難にどう向き合えば良いのかという技術はないし、
技術で解決すべきことでもない。

ただ、誠実であろうとすること。

そして、他人の過ちや誤解には、
努めて寛容であろうとすること。

この二つしかないのではないかと思う。
コメント