Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

辛い時間

2010年10月30日 | Weblog
辛い時間もいつまでも続くものではありません。
明けない夜はないのです。

今が苦しくとも、
それは、いつしか過去のものとなり、
笑って過ごせる時が必ず来ます。

だから、どんなに苦しくとも、
笑顔を忘れずにいて下さい。

母親は家庭の太陽であって欲しい。
そう、思います。

だから、自分の心を自分でコントロールするのです。

人生は一度限り。
今日という日も一度限り。

だったら穏やかに楽しく過ごした方がいい。

でも、そのためには心の修行が必要です。
なぜなら、人間は一人で生きているわけではないから。

ちょっとしたことで、
人間関係の波風が立つこともあります。

大切なことは、起こっている全てのできごとは、
自分の心が生み出したものだと深く気づくことです。

すべてがそこから新しく始まります。
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北九州のお母様方へ

2010年10月30日 | Weblog
今日は私の話を聴いて下さってありがとうございました。
少しでも何かみなさんのお役に立てれば幸いです。

何か良い本はありませんか?ということでしたので、少しだけ・・・。

○悩めるお母様に
『自分を見失いそうなとき読む本―心の声が聞こえますか』
 J.ドナルド ウォルターズ (著) 山村 宜子 (翻訳)ダイヤモンド社

『心の支え方』加藤諦三著、PHP

○しつけの参考に
『しつけの知恵-手遅れにならないための100の必須講座-』
多湖輝著、PHP文庫

○成績が悪いと投げやりになっているお子さんに
『オール1の落ちこぼれ、教師になる』宮本延春著、角川書店


本の紹介は実に難しいものです。
なぜなら、人によって、
また、その出会う瞬間によって、
心に響くメッセージは違うからです。

どんなに素晴らしい本であっても、映画であっても、
その出会いのタイミングが良くなければ、
決して生きた出会いにはなりません。

でも、もしあなたの心が動いているとしたら、今がその時です。
是非、行動に移してみて下さい。

一冊の本で、そう簡単に人生が変わるものではない
と言うことは、皆さんご承知の通りです。

しかし、一つのささやかなきっかけが、
新たな人生の扉を開いていくこともまた事実です。

どうか苦しい今だからこそ、笑顔で過ごして下さい。
それが、明日をより良いものに変えていく手立てとなります。

次回、佐賀への研修で、またお会いしましょう。
美味しいランチと、素晴らしい空気が、あなたを待っています。

時にはリフレッシュ!リフレッシュ!



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門を叩いてみる

2010年10月27日 | Weblog
人間は「出会い」によって大きく変化していきます。
人との出会い、本との出会い、風景との出会い、etc…。

その出会いは、偶然に向こうからやってくるということもありますが、
自らの意志で「門を叩く」ことをしたときに、
大きく開かれていくものだと思います。

自分が会うことさえ出来ない雲の上だと思っていた人の所に、
思い切ってアポイントをとってみる。

勿論、そこには、自分の胸の内に秘めた、
明確な目的と意志がなければなりません。

そこで繋がらないこともある。
道が開けないこともある。

しかし、そこで扉が開かれて、
大きく道がひらけていくこともあるものです。

大切なことは門を叩いてみること。

そして、叩いた結果、道が開けた瞬間に
自分がどう進んでいくかで迷わぬよう、
常に叩く以前からの心の準備を怠らないこと。

私は、日本の若者たちの「門を叩く力」が
とても低くなっていることを危惧します。

まずは、失敗を恐れず、準備を怠らず、
明るく、元気よく、勇気を持って、門を叩いてみて下さい。

すべてはそこから始まるのだと思います。
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真の学び

2010年10月25日 | Weblog
ある芸術家の方と話をしていて
はっとさせられたことがあった。

それは、世の中には、
様々な、セミナー、宗教、その他の団体があるが、
それらが本物であるかどうかは、
「その団体なり、学び舎から、世界に通じるような、
優れた芸術家が生まれているかどうかを見ればわかる。」
という一言であった。

確かに、
キリスト教絵画にしても、
仏教絵画にしても、
後世に残っていくものには、
実に深い精神性を感じる。

芸術は、深い思索のもとに成立している。
文学であれ、絵画であれ、陶芸であれ、
間違いなくそうである。

それは、正解のない世界に、
自分なりの答えを見出していくような、
自己の精神との格闘を前提としたものである。

しかし、多くの大衆を扇動するような学びは、
わかりやすく答えへの道筋を示してくれると同時に、
リーダーや組織に、服従または同化することを要求する。
つまり、考えないことを要求するのである。

本物は考え抜くことを要求する。
そして、
偽物は考えないことを要求する。
これが真贋を見極める術である。

残念ながら、多くのものは誤魔化しが効く。
しかし、芸術だけは誤魔化し得ない。

その世界が深ければ深いほど、
誤魔化しはきかなくなっていく。

私がなぜ、
教育の世界にあって、
芸術を志向し続けてきたのか。
そして、なぜ、わかりやすさに向かおうとしなかったのか。
その謎が解けたように思えた。

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教育がよくなるということ

2010年10月24日 | Weblog
-日本の教育をより良いものにする-
それが、私たちVision&Education,Ltd.のミッションです。

そして、その実現には、
教育に関わる全ての人たちが、
より良い人間になるということが必要であり、

そのためには、
まず、自分自身が、
より良い人間に近づかなければならない
ということを痛感しています。

立派な人間になることを目指していても、
私のような俗人が、
そうそうたどり着けるはずもないのですが、
それでもミッションを実現するためには、
目指し続けるしかないのだと思っています。

少しでも良いから、
今日出会った人に、
喜んでいただきたいと
心から思います。

それは結局、
果てしのない夢を追い続ける生き方をする
ということなのかもしれませんし、
利他の心を磨き続けるということなのかもしれません。

今日はバッカーズ九州寺子屋第三期生の
スピーチコンテストでした。

みなさん素晴らしい成長でした。

保護者の皆様も、ご参加ありがとうございました。
かけがえのない時間を共に作ってくださったことに、
心からの感謝を申し上げます。

この一瞬一瞬が尊いのだと、
心から感じています。

バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋に関わる
全ての皆様に心から感謝申し上げます。



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スピーチ

2010年10月24日 | Weblog
バッカーズ寺子屋では、
「スピーチ力」を高めることを大切にしています。

「話す力」の指導というと「技術」の指導と考えられがちな面がありますが、
私たちが目指すのは、「思い」をいかに伝えるかと言うことです。

その意味では、
技術だけでなく、
心をいかにして磨いていくのかということが
大きなテーマとなっています。

なぜ、話すことを大切にしているのか?

それは、
自分自身の考えを整理し、
自分の意志を明確にし、
他者への配慮ができるようになり、
心を強くすることができるからです。

私はディベートという手法があまり好きではありません。
様々な効果は勿論認めてはいるのですが…。

なぜかというと、結局、これまでの経験から、
「信念を伴わない言葉には、本当の意味で人を動かす力はない。」
ということを、嫌と言うほど痛感してきたからだと思います。

だとすれば、磨くべきは信念であって、技術ではない。

確かに、ディベートの経験を通して信念が磨かれる
という見方もできることに一定の理解を示すことはできますが、

私には、
もっと深い自己との対話や、
自己の思想との格闘の方が、
大切なものに思えてならないのです。





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敬の心

2010年10月22日 | Weblog
教育の中で「敬愛」という考えがとても大切だと思います。

「愛」は人間に限らずとも、
生きとし生けるものすべてが、
備え持つ考え方だと思いますが、

しかし、「敬」という心の働きは
人間だけが持っているもののようです。

この「敬」の心がなければ、
部下は上司を尊重しないでしょうし、
また、上司も「敬」の心があってはじめて、
部下を大切にしようと思うものではないでしょうか。

何も目下の者が、目上の者を敬うだけが
「敬」ではないのです。

年齢や肩書きや地位に関係なく、
お互いが、お互いを「敬愛」すること。
それが「敬」の精神だと思います。

修行の出来ていない人は、
相手を敬うことをせず、
上から見下そう見下そうとする心の動きが感じ取れます。

その結果、素直な心で何かを学んでいこうという精神は衰弱し、
無為な時間が流れていきます。

私の尊敬する方々も、とても素直で謙虚であり、
この「敬」の心は揺るぎないものとなっているようです。

誰に対しても分け隔て無く、
「敬」の心で接して下さる素晴らしさを私は感じます。






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いつかわかること

2010年10月13日 | Weblog
世の中では「わかりやすさ」が求められています。
しかし、本物は「わかりにくさ」を
時として身にまとっていることもあります。

例えば、
小学生が魯山人の器に
感嘆の声を上げるというのも変でしょうし、
また、横山大観の絵画から滲み出てくる
大観の人間性に感動するのも少し変かもしれません。

しかし、本物が本物である以上、
一度でもそれに触れておくことの大切さを私は信じます。

今はわからなくとも時を経て、
本物の陶芸や絵画に再び出会ったときに、
明らかにその人にとっての見え方が変わってくることを信じます。

「文化立国」ということを考えた時に、
私たち一人一人が、芸術や文化を大切にする
心の豊かさを持たなければなりません。

そして、それには本物の自然に触れ、
本物の文化に触れ、本物の人の生き様に触れることが
とても大切だと思います。

本物とは時代を超えて常に新しいもの。
常に人の心に訴えかける力を持つものだと思います。

芸術家たちが人生の全てをかけて創り、
魂の込もった作品と向き合うときに、

自分の底の浅さを棚に上げて、
「わかりやすさ」を物差しとして芸術や文化に接することは、
あまり品のない行為だと私は思うのです。

作家は「それぞれの好きに見てくれたらいいよ。」
そう言うでしょう。

しかし、作家の深さに少しでも迫れるように、
見る側は、謙虚な気持ちで作品に向き合うことが
大事なのではないかと思います。

すぐにわかろうとする必要はないのだと思います。
ただ、一瞬一瞬を大切にしていくことが、
大切なのではないでしょうか。
そう思います。

正解など無い世界に身を置くと
共通一次世代、センター試験世代の人間たちは
すぐに不安になります。

しかし、
答えのない問題を解こうとする姿勢を持ち続けること。
それもまた、私は人間としてとても大切なことだと思っています。
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気韻生動

2010年10月11日 | Weblog
気韻生動

画論に気韻生動ということがあります。
気韻は人品の高い人でなければ発揮できません。
人品とは高い天分と教養を身につけた人のことで、
日本画の窮極は、
この気韻生動に帰着するといっても過言ではないと信じています。
今の世にいかに職人の絵が、
また、その芸術が横行してゐるかを考えた時、
膚の寒さを覚えるのは、ただに私だけではありますまい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

研修で足立美術館に行ってきました。
10年に一度の横山大観展が開催されていました。

もう何度も足立美術館には足を運んできましたが、
お邪魔する度に「新しい発見」があります。

冒頭の言葉「気韻生動」は横山大観の言葉です。
私は大観の言葉をいつも教育に置き換えて考えようとします。

教育においても気韻生動は大切にされるべき考え方で、
教育者は高い人品を目指すべきであり、
そのために高い天分と、教養を
身につけることが大切なのではないだろうか?

知識を教えるだけの職人としての教師、
そして、教育に止まっていてはならないのではないだろうか?

芸術も教育もその本質は同じではないのだろうか?

今回は、そのようなことに頭を巡らしていました。

やはり知識や受験技術を伝える教育に止まっていては、
深さは生まれないのだと思います。

私は、芸術家たちの言葉に触れると
自分の歩んできた道で良かったのだと改めて思います。
そして、もっともっと虚心に学び続けようと思います。


私には教育という名のマーケットを
相手に活躍することはできないけれど、

人間として厳しく修行を積み、
魂の深い所から発する言葉を、
ささやかではあっても語り伝えていくという道を
真っ直ぐに歩いていきたいと思っています。

それが私の使命だと思います。






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