Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

結局人間

2020年08月31日 | Weblog
週刊文春の記事に、次の言葉がありました。
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安倍一強と言われていた数年前、私が(渡部恒三氏に)、なぜ野党は敗け続けるのかを問うと、

「結局人間だ。先輩を大事にして意見を聞くということがない。鳩山(由紀夫)にしても菅(直人)にしても、野田(佳彦)や前原(誠司)もそう。自分が高い地位に立つと先輩が邪魔になる。俺はエリートだ、という感じになっちゃうんだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「結局人間だ。」

この言葉に尽きるのだと思います。今、自民党総裁選を見ていても、総裁に推される人、推されない人、足を引っ張られる人、足を引っ張る人、様々な人間模様が見て取れます。

結局、最後は、「人間としての器」ということになるのだと思います。これは教育で何とかなるものではないのかもしれません。努力でカバーできるところもたくさんありますが、それでは如何ともしがたいものもあるのだと思います。

だから、自分の天職を得るということを常に考えていなければならないのだろうと思います。

残念ながら、私はたいした器ではありません。が、せめて誠実に、丁寧に教育に向き合っていこうと思います。
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胎動

2020年08月31日 | Weblog
TVを見ない私が、半沢直樹を見ました。

これは(こうした内容が支持されるのは)、時代が変わる前触れなのだろうと思いました。

大人になることを、長いものに巻かれること、諦めることであると考えている大人たちが、そうではない、正しいことは何か、守るべき価値とは何かに目覚め、プリンシプルの大切さに気づき始める兆候ではないかと直感的に感じたのです。

もちろん私の勘違いかもしれませんし。そうそう日本社会は変わらないのかもしれません。しかし、処世に長けた上司のイエスマンであること、間違っていることも見て見ぬふりをすることに、うんざりしているからこそ、人々はカタルシスを求めて半沢直樹を見るのだろうと思いました。

私は幸いサラリーマンではありませんから、自分を貫くことが比較的容易なのかもしれません。プリンシプルを上司として、正しさを貫いていこうと思えています。いざとなければ、やめるだけです。

しかし、サラリーマンも、やはり組織の悪しき風習に飲み込まれることなく、顧客にとっての最善を尽くすという、正しいことを貫かなければならないのだと思います。それが職業人としての誇りを作っていくのだと思います。

結局、そのような企業の方が、正しく発展することが出来るのだと思います。一人ひとりが、卑屈になったり、反対に尊大になったりしなくても良い生き方が出来る会社の方が、組織としては成長するのだろうと思います。

何を価値基準として仕事をするのか。組織という狭い社会の中で、上役の顔色ばかりを窺って働くのか、お客様や社会にとって正しいことを優先し、意見の対立を恐れずに働くのか。それは本来、自分で決めるべきことのはずです。

正しい生き方に、大人たちが憧れ始めたのだとすれば、それは、とても素敵なことだと思います。
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何様の続き

2020年08月28日 | Weblog
安倍首相の辞任会見で、「記者たちは、お疲れ様でした」という一言も言えないのかと、橋下徹氏がコメントしていましたが、本当にそうだと思います。

長きにわたり、難病を抱えながらも一国の首相を務めてきた人の辞任会見に、敬意もねぎらいもないというのは、人間として終わっていると思います。

まさに戦後教育の生みだした大人たちがこれだったのだと納得しました。敬も仁も義も礼も智も信も何も身についていない。偏差値が高く学歴もあるのかもしれませんが、それだけでは、自国の歴史(つまり父祖たちの苦労)も冷ややかにしか見ることが出来ないのです。そして、国民が選んだリーダーへの敬意を払うこともできないのです。

やってもいない人間が、やってきた人間より偉そうに物を言い、体調の悪さを押して国民の前に立って話をしている、相手の心を慮ることさえ出来ない。これを当たり前だと思うようになっている私たちも、もうおかしくなっているのです。

私は批判はできるだけしないという主義です。しかし、これはあまりにも寒々しい日本の風景だと思います。

それを子どもが見て、また、真似をしていくのです。そんな大人たちが作る社会など、ろくでもないに決まっています。だから、言わなくてはいけない。そう思います。

救いは、黙々と日々を働いて日本を支えている人たちの存在です。それだけが救いです。
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醜い・何様?

2020年08月28日 | Weblog
首相の健康状態を巡っての報道が喧しくなっています。

「番組では小泉進次郎環境相が首相の体調について「今、様々な憶測に基づく議論やうわさ、根掘り葉掘り様々なことが出て、そして尾ひれがついていろんな事が出る状況は私は醜いと思います」と述べたことを伝えた。この発言にMCの坂上忍は「腹が立ってて」と明かし・・・」(スポーツ報知)

「番組では麻生太郎財務相が25日の会見で首相の体調について質問したテレビ朝日の記者に「テレビ朝日? おたく。あっそう。テレビ朝日がどんなニュースを流しているかテレビ朝日をあまり見ないのでよく知らないんですけども各社同じ情報を流しているんですか」などと述べたことを伝えた。この発言にタレントの薬丸裕英は「何様って思いますよね、この方」とした上で「質疑応答はちゃんとしていただきたい」などと指摘した。」(同)

私はメディアの方が何様?と思います。命を削って国家のために多くの責任を背負ってやってくれている政治家に対して、また、同じ生身の人間に対して、あまりにも敬意のない物言い、人間扱いしない態度をとても醜いと思います。

少なくとも、国家のために汗を流している人間に、私は敬意を払っていたいと思います。

そして、何でも笑い(嘲笑)を取ろうとする番組作りを醜いと思います。だから、子どもたちも大人たちも同じように振る舞うのだと感じます。

トヨタの豊田章男氏の以下のスピーチを是非聴いてみて下さい。

私は、このスピーチにおける笑い、ユーモア、日本人としての自覚、グローバルシティズンとしての自覚が、もっと日本に当たり前に広がっていけばよいなと思います。是非、テレビ番組で作られている笑いと比較して、そこにある違いを感じ取っていただきたいと思います。

また、笑いだけではなく、他人への心遣いや敬意をもった言論の在り方を感じ取って欲しいと思います。

豊田章男 米国バブソン大学卒業式スピーチ 「さあ、自分だけのドーナツを見つけよう」
https://www.youtube.com/watch?v=l147wqKkq6A

蛇足ですが、政治家の言葉尻をとらえて、ユーモアの精神を解さないメディアの反応が私には謎です。他者をこき下ろして嘲笑するような、くだらない笑いにすっかり毒されていると、わからなくなるものなのでしょうか。

自分たちの「笑い」が下卑たものになっていないか、私も常に省みておきたいと思います。何に対して人は笑うのかということは、実は人間の大きなテーマだと思います。

笑いはその人の品性を示すものであり、ひいては国家の品格につながるものだと思うからです。

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悪しき心を持たない

2020年08月27日 | Weblog
「悪しき心を持たない」それを大切にしたいと思います。

うまくいっても、うまくいかなくても。
愉快なことがあっても、不愉快なことがあっても。
尊敬されても、馬鹿にされても。
肯定されても、否定されても。
重んじられても、軽んじられても。

とにかく相手に対して悪しき心を持たぬよう。

そして、

全体が上手く進んでいくよう。
一人でも多くの人が喜んでくださるよう。
それだけを念じていきます。

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これから

2020年08月27日 | Weblog
これから、新しい活動を作っていこうと考えています!色々と下準備の最中ですが、色々な事が動き始めています。

昨日、今書いている本の初稿が送られてきました。これから、内容を更に精査し、文字数を削って行かなければなりません。冬が来る前には、おそらく出版できると思います。

昨日からTwitterも始めました。まだ、慣れていなくてたどたどしいのですが、これからは、フットワーク軽く、色々な事にチャレンジしていこうと思います。

人生の時間は限られています。色々な事に気を遣いながらやってきましたが、そろそろ思う存分にやってみたいと思います。それでいいんじゃないかと思います。

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教育。

2020年08月26日 | Weblog
私の仕事は教育ですから、子どもたちや保護者の方への配慮と利益が最優先になります。勿論、全体観を持って、何が正しいかを判断したいと思っています。

しかし、それが望まれない場合もあります。その場合は、不本意ですが、判断を委ねてしまうしかありません。皆さんが望むなら、それもまた良いことなのでしょう。

私はプリンシプルを大切に判断し、行動したいと思います。いざとなれば、一切の損得を省みずに、去りゆくのみです。そういつも覚悟しています。私にはたいして守るべき地位も財産もありませんから気楽なものです。

ただ、私の人生のテーマが教育である限り、どこにいても、何をしていても、教育をやっていくことはできるものだと思います。それは、新渡戸稲造氏が語っている通りだと思います。
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村社会は変わらず

2020年08月23日 | Weblog
「高校の部活動などで新型コロナウイルスの集団感染が相次ぎ、生徒らがネット上などで誹謗(ひぼう)中傷される事態になっている。学校側には十分な感染対策が求められるが、批判にさらされる生徒には精神面の悪影響も懸念される。専門家は、コロナ禍で不安や不満を募らせた大人が、生徒らをスケープゴートにしないよう呼びかける。」(読売新聞オンライン)

「日本から出て行け」「学校を潰せ」とか、信じられない言葉をよくも平気で投げつけられるものだと呆れてしまいます。

対策は不十分な面もあったのでしょう、子どもや若者たちは、感情の波で、はしゃいだり、騒いだりするものですから。

しかし、他県からは来るなとか、他県ナンバーの車に卵をぶつけていたとか、色々な大人たちの話もあります。責められるのは子どもたちばかりではありません。夜の街で感染しているのも大人たちです。

結局、「村社会意識」から、少しも変われていない日本社会の姿が、今回のことで浮き彫りになったように思います。おらがムラさえ良ければそれで良いのだろうし、感染者が出ようものならそれこそ村八分にしてしまえということです。

そうした姿は、広島・長崎で被爆した人たちを差別して、心ない言葉を投げつけていた戦後の人たちの姿とも重なります。心の有り様は、何も変わってはいないのです。教育の成果など、ほとんどなかったのかもしれません。

その上、大人も子どもも、利己的な気持ちが肥大してしまっているのだろうと思います。同じ国民のことを慮ったり、病気の者をいたわったりする気持ちよりも、自身の身の安全が第一なのです。

これは、自分さえ安全であれば、国防のことなど考えたくもない。自分だけは大変な思いをしたくないという姿勢と重なっているものだと思います。

かつて日本人は「水と安全はタダ」だと思っていると指摘されていましたが、未だにその意識が変わらない人たちが多いのでしょう。だから、大変なことを背負う意識になかなかなれないのです。

亡くなった林秀彦氏なら、こんな日本は見たくもなかったと嘆いていそうです。私たちの教育は、こうした人たちしか育てられなかったのです。それが現実です。

しかし、私は現役世代ですから、この状況を変えていかなければなりません。

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教育の姿

2020年08月23日 | Weblog
これから教育の姿は大きく変わっていくと思います。

リモートであれば、市町村や県も意味を成さなくなります。国境を越えて学ぶことが出来るようになりるからです。語学学習もYouTubeでネイティブの発音を聞いて勉強した方が効率が良いところもあるでしょう。

次第にワンワールドの世界が現実のものとなっていきそうです。それは一面では、地球人という連帯感を生み出しますが、一方でマイノリティーの文化や言語の消滅にも繋がっていくと思います。

その国の歴史や文化や言語が、一国の国民のアイデンティティーを作っていたのが、次第にそれが希薄になっていくということです。

だからこそ、自国のアイデンティティーを確立することや、人間としての在り方を確立すること、国家観を確立していくことが大切になると信じたいところです。

しかし、それは、時代の流れと共に消滅する運命なのかもしれません。

しかし、どこの国の人間かわからない、薄っぺらな知識だけあってお金儲けに長けた人間たちと、残された人生を楽しく生きられる気はあまりしません。

親子の愛情や、祖先たちを敬う心、互いに信じ合う心、自国の自然と歴史と文化を愛する心を大切にして人生を終えたいと思います。

海外でも随分と時を過ごし、また、様々な立場で大いに活躍した、森鴎外ですが、「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」という言葉を遺言に残します。いかなる栄誉も拒否し、一人の石見人として人生を終えたいというのです。

大正11年7月9日、森鴎外は60歳で亡くなりました。私も一人の日本人として死んでいきたいと思います。

鴎外の出身地、津和野は山深く霧深く、とても美しい山間の小さな街です。いつかまた旅に行こうと思います。


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人生二度なし

2020年08月22日 | Weblog
残念なことに、学びたいことが多く、学び尽くせぬままに、人生は終わるしかないと思います。
しかし、それを何とか出来ないかと思う自分がいます。

人間は眠くなるし、疲れるし、体調が悪くなるし、お腹も空きます。
それ故に、集中して学ぶ時間は限られてきます。

遊びたかったり、ボーッとしたかったりという欲求も侮れません。
うっかりしていると、色々なところで、私たちは、時間をあっという間に盗まれていきます。

そうならないためには、やはり、自分という人間を鍛えていくしかありません。死ぬまで学び続ける意欲を失わぬ自分でいたいと思います。また、それを楽しめる自分でいたいと思います。
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