「本能を抑圧する教育から一転して、
本能を解放する教育になった。
そして、
本能を美しくする教育は、
まだなかなか生まれてきそうにない。」
下村湖人の言葉
「本能を抑圧する教育から一転して、
本能を解放する教育になった。
そして、
本能を美しくする教育は、
まだなかなか生まれてきそうにない。」
下村湖人の言葉
私も
ワクチンが体に合わなくて死ぬかもしれないし、
コロナに感染して死ぬかもしれないし、
他の病気や事故で死ぬかもしれません。
そんなことを考えていると、
ふと「適者生存」という言葉が思い浮かびました。
「適者生存」とは、
「生物は、環境に最も適したものが生き残り、
適していないものは滅びるということ。」で、
イギリスの哲学者・社会学者
ハーバード=スペンサーによって提唱された生物進化論です。
私は、何か起きても、
「あぁ、私はこの時代に適者でなかったのだ。」
と思って諦めます。
有り難いことに、もう十分に生きています。
吉田松陰先生の二倍は無駄に生きてしまいました。
しかし、一方で、私の周りにいらっしゃる
意気軒昂な70代、80代の人を見ていると、
私もまだまだチャレンジしようと思います。
とにかく前進あるのみ。
そして、その時間が断ち切られたとしても、
後悔しないし、誰も恨まない。
そんな生き方をしていこうと思います。
理想は追い求め続けなくてはなりません。
しかし、現実がおろそかになるようでは、
理想の実現はあり得ません。
なぜなら、理想とは夢物語ではなく、
現実の延長線上にしか存在しないものだからです。
現実の仕事の中で、現実の人間関係の中で、
信頼を勝ち得て、共に理想を目指していく覚悟が大切です。
足下の現実の仕事ができていないのに、
理想を語っても誰もついて来はしません。
現実だからと言って足下ばかり見て、
理想を追わないようでは進歩はありません。
言行一致が大切です。
言ってることと、やってることが一致している。
現実でも成果を出し、かつ、理想を追う。
これ以外に信頼を勝ち取る道はありません。
私ももっと自分に厳しくならなければなりません。
自分には自分に与えられた道がある
広い時もある せまい時もある
のぼりもあれば くだりもある
思案にあまる時もあろう
しかし 心を定め 希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも そこから生まれてくる
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
万策尽きたと思うな。
万策尽きた時に創造性が生まれる。
成功の因も失敗の因も、
すべては自分の内にある。
自ら断崖の淵に立てば必ず新たな風が吹く。
松下幸之助の言葉
苦しいときに支えになる言葉を持っていることもまた
人生においては大切なことだと思います。
コロナ禍において起きている様々な問題は、
人間のあり方を問うようなことだと思います。
正直さ、誠実さ、といった人間性や、
死生観といった価値観が丸裸に
されてしまうのだろうと思います。
誤魔化しが効かなくなったとも言えます。
こうしたときの心の持ち方として、非常に参考になる、
「六然訓」というものがあります。
自處超然(じしょちょうぜん)
處人藹然(しょじんあいぜん)
有事斬然(ゆうじざんぜん)
無事澄然(ぶじちょうぜん)
得意澹然(とくいたんぜん)
失意泰然(しついたいぜん)
自ら処すること超然
(自分自身の身を処すにおいては、何事にもとらわれず超然としておく。)
人に処すること藹然
(人に対しては、なごやかに、春の風のようにあたたかく接する。)
有事斬然
(一旦、事あらば、迅速に意志決定し、切れ味良く、活き活きと対処する。)
無事澄然
(事なき時、平時においては、水のように澄んだ心でいる)
得意澹然
(得意なときには、慢心せず、あっさりしておき、まだ足りなく思う謙虚な気持ちを持つ。)
失意泰然
(失意のときは、うろたえず、泰然自若としている。)
様々な言葉との出会いが心を強くしてくれます。
メルマガ2021年8月号は明日(今日)の配信予定です。
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毎月1回、27日前後にお送りしています。
2006年に会社を設立して、
志の教育をテーマに、地道な取り組みを続けてきました。
16期目の今年は、20周年の節目での飛躍を目指して、
更に努力を重ねていきます。
新しい一歩を踏み出していきます。
人間の心の働きや成長のプロセスを分析し、
教育のHow toを作り上げていくことが
随分ともてはやされてきました。
しかし、私はその考えが好きではありません。
人間は総体として存在しているのであって、
個々の人間の機能や心の動きや学習を分析して、
分析的に生み出されてた教育手法が
人間を育てるようにはあまり思えないのです。
たとえて言うなら、
人間を臓器毎にバラバラにして
一つ一つの機能がわかったからといって、
それを組み立て直ぜば
人間になるというものではないということです。
それでは、命は失われてしまい、何も生み出せないか、
生み出せたとしてもフランケンシュタインの如きものを
生み出すだけだろうと思うのです。
しかし、頭の悪い私の目に映っている風景と、
賢い人たちの目に映っている風景とは、
どうやら違うようです。
私はあくまでも全人教育を目指します。
教育力を高める道筋は、
自分自身の学びを深め、
人格を磨くこと以外にないのだと思っています。
「教育をよりよいものに変革する」
このことは、凄まじいテーマだと思います。
紀元前から基本的に変わることのない
人間の意識との戦いだからです。
また、多くの人たちが持つ、
変わりたくないという意識との戦いだからです。
見果てぬ夢なのかもしれません。
しかし、小手先の改革を唱えるだけでは、
何の成果も救いもありません。
かくして凄まじい生き方をせざるを得なくなります。
しかし、それでも己の力の無さに
呆然と立ち尽くすことばかりです。
それでも一歩を踏み出し続けます。
教育は本当に困難な事業です。
親が子どもを立派に育てるだけでも大事業です。
しかし、そこにとどまっていては、
世の中は良くなりません。
そこで教育への大きな期待がかかってきます。
しかし、簡単ではありません。
思いは届きません。
しかし、それでもやり続けるだけです。
戦わないよりも、
戦って敗北することの方が価値があると信じます。
とことんまで自分を磨いていくしか道はありません。