Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

国語力の低下か、悪意か。

2020年02月28日 | Weblog
「麻生財務相 休校中の学童保育負担
「つまんないこと聞く」 新型肺炎対策」

という見出しで記事が出ていました。
ん?また失言かと思いました。

まず、やりとりの正確なものを探しました。
すると朝日新聞デジタルにやりとりの概要は出ていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000056-asahi-pol

本当の詳細と空気感はその場にいなければわかりませんが、
ここでのやりとりを読んだだけでも、特に問題のない発言だと思います。
まぁ、揚げ足を取られやすいから、
もっとソフトに言えば良いのですが、
それが苦手でできないだけの話だと思います。

要は、
具体的な金額をここで聞かれても、
お金が必要な側が、
必要な金額の精査を全く出来ていない段階で、
お金を払う側である財務省が、
金額はいくらですよなどと答えようがないから、

そんな当たり前のことを聞くなよ、
プロの記者なんだから、
つまんない質問するなよと言っていると読み取れます。
大臣としては答えようのない質問だからです。

ネットにある、一番正確なやりとり(朝日新聞デジタル)は、以下のもののようです。

「こういうのを要請して、経費がかかる場合は政府が払うというのは、当然のことじゃないんですかね。あたり前のこと聞かんでください。」

-具体的なスキームはこれから

「こちらは要請を受けて出すんですから。こちらが最初においくらですよって決めて言うわけないでしょう。」

-そうですね。

「もうちょっと常識的なこと聞こう」

-ありがとうございます。

「つまんないこと聞くねぇ」

-いやいや、国民の関心事ですよ。

「言われて聞くのかね?(上司)から言われているわけ?かわいそうだねぇ」

最後の一言ずつは、全く発言の意図がかみ合っていないのだと思います。

大臣は「常識として明らかに答えようのない、つまらない質問をするなよ。」と言っているだけの話です。また、大臣は財務大臣という立場で発言をしているわけですから、記者はそうした前提も踏まえておく必要があります。なぜなら記者もプロだからです。

見出しも含め、これを悪意で掲載しているのなら、それはそれで問題です。メディアにあるのは国民を特定の方向に導く意図でしかないからです。どうせわからないだろうと、国民を舐めているにもほどがありますし、不誠実だと思います。

国語力がないのであれば、それはそれで更に問題です。プロの記者にしてそんな感じであれば、もう国民に正確な事実や当人の意図を伝えることなど、無理だと言うことだからです。この記事にのっかって批判をしようとする野党の議員に至っては何をかいわんやです。

まぁ、見出しを目にして、とんでもないと感じた次の瞬間に、私は正確なやりとりをネットで探しましたから、メディアのこの手の手法もだいぶ陳腐化してきたのだと思います。

しかし、ひとり一人に言葉の力をつけていく教育の大切さと、メディアリテラシーの重要性を、改めて痛感させられた出来事でもありました。










コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020年02月27日 | Weblog
「飛行機、新幹線、電車、バス、人混みの中で
カバーもせずマスクもせず咳をしている方々、
こんな状況ですから、少し考えていただきたい」

と不快感をにじませる発言がネット上で見うけられ、
それに賛同する人たちが多くいます。

確かに私も咳のエチケットは大事だと思います。
また、こんな時期だからこそ、
しっかり配慮しなければならないと思います。
命に関わるような問題でもあるからです。

でも、それと同時に
「大丈夫かな?」と他人を思いやる心を
忘れずにいたいと思います。

自分の小さな子どもが咳をしたら、
「大丈夫?」と心配します。

年老いた親が咳をしたら、
「大丈夫?」と心配します。

赤の他人でも、
誰かの子どもであり、
誰かの親かもしれません。

居丈高に非礼を詰るのは簡単です。

しかし、それだけで良いのだろうかと思います。

寛容な心が失われ、
他人の瑕疵を責めることに、
何の痛みも感じないのは、
少しさみしいことだと私は思います。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入塾説明会に思う

2020年02月24日 | Weblog
バッカーズ九州寺子屋の
第1回入塾説明会が終わりました。

皆様が非常に大きな期待と共に
参加して下さっていることを感じます。

できることなら
全員入塾していただきたいのが本音です。

みんなそれぞれに成長していくことを
私は確信しているからです。

しかし、そうもいかないのが悩ましいところです。

やはり、
これからこうした教育を
どのように広げていくかが、
私の人生の課題だということを
改めて心に受け止めた一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

己の欲せざる所、・・・。

2020年02月20日 | Weblog
「己の欲せざることは、人に施す勿れ。」

自分がして欲しくないことは、
他人にもしてはならない。

本当に人間として基本の徳性だと思います。

しかし、

自分のことを客観視できない人や、
相手の立場に立って考えられない人には、
これが非常に難しいのだと思います。

だから、相手がして欲しくないことを
自分の気持ちだけで、悪意なくやってしまうのです。

結果、周囲との関係がなかなかうまくいかないことになる。

それが自分の言動に原因があると理解することも
なかなか出来ないのです。

このあたりの理屈がわかれば、
もっと人生は楽しくなるのだと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知的生産

2020年02月18日 | Weblog
かつて『知的生産の技術』という本を読みました。

本の内容はさておき、
この「知的生産」というのは、
なかなか大変なことだと感じます。

新しい知的なものを生み出し続けていくことが、
私の仕事にとっては大切なことです。

また、同じ事でも、深く掘り下げて、
強いメッセージが発信できるように
なっていかなければなりません。

そのためには、
様々な新しい情報に触れ、
人と出会わなければなりません。

また、私の場合、
教育の流行を見据えながらも、
特に不易なるものを大切にしようと考えていますから、
古文や漢文で書かれたものにも
目を通さなければなりません。
過去の先人の書いたものの価値が、
見落とされていることが多いからです。

より良い知的生産をどう構築し続けていくか。

私にとって本当に大切なテーマです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己を教育する

2020年02月17日 | Weblog
ビジネスであれ、教育であれ、
人間がやる以上、人間を磨かなければなりません。

実に単純なことです。

おそらく時代が如何に変わろうとも、
変わらないことだと思います。

ただ、これが本当に難しいと思います。

今の自分を、
このままではいけないと、
厳しい目で見続けることが大切だと思います。

自己変革、自己教育が大切です。

他人様を教育するなどという
立派なことは、
私にはできません。

ただ、共に学ぶだけです。

そうはいうものの、
他人に変革を求めたくなる時もあります。

しかし、それは自分の弱さでしかありません。

だだ只管に、
自分で自分の道を極めていこうと思います。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私心なく公明正大に

2020年02月16日 | Weblog
社会環境、経済状況は常に変化します。
良い時もあれば、悪い時もある。

そうした変化の中にあって、
変わらずにいるべきことは、
私心なく公明正大にということだと思います。

これまでも、
時間とお金を「教育」に
そのほとんど全てを注ぎ込んできました。
それでも大したことは出来ませんでしたが、
これからも変わることのない私の姿勢です。

ただ、私の人生の残り時間も少なくなってきました。

多くの人との出会いの中で
学ばせていただき、
形にさせていただいたことを、
少しでも社会に残していけるように頑張ります。

そのためには、
私が最大限に力を発揮できる場所を
取捨選択していく必要があるのだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我に師匠なし」

2020年02月13日 | Weblog
「我に師匠なし」
宮本武蔵の言葉です。

自ら死地を切り拓き、
剣禅一如の境地を求めた宮本武蔵ならではの
強烈な言葉です。

ふと、私の師匠は誰だろうかと思いました。

尊敬する人は多くいます。
しかし、それは経営者の方々に多いのです。

尊敬する教育者として、
森信三先生や東井義雄先生、
その他、多くの先人たちには私淑していますが、
みな故人であり直接お目にかかったこともない先達です。

(私淑=直接に教えは受けないが、
ひそかにその人を師と考えて尊敬し、
模範として学ぶこと。)

思えば、私は日本思想史学を学び、
日本文学を学び、ビジネスの世界に身を置き、
教育畑は全く歩いていないのです。

だから学閥に絡め取られることもありませんでした。

教授や誰かの下に立場や権威といった何かを得、
その代わりに自由や何かを失うということも
ありませんでした。

強いて教育の世界における師をあげれば、
国語教師だった私の父なのかもしれません。

勿論、これまでに出会った様々な先生方の教えは、
私の潜在意識の中に入っていると思いますから、
敬意と感謝は忘れないつもりです。

ただ、私に明確な師匠がいないから、
私は後継者を育てられないのではないかと、
ふと思い当たりました。

これからどのように教育の道を歩いて行くのか。
自問自答は続きます。

しかし、時間が限られています。
とにかく全力を尽くします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の教育

2020年02月12日 | Weblog
教育は、ルーティーンワークではありません。

しかし、形式が整うと往々にしてそうなりがちです。
去年の通りにやっていれば大丈夫だと。

しかし、様々な状況を見極めながら、
必要なことを必要なタイミングで
必要なだけ作り出していくことが
教育には大切だと私は思っています。

だから、常に変化しますし、
朝令暮改も当たり前です。

少なくとも私の教育はそうです。

だから人に求めることはありません。
私の感性を理解して欲しいとも思いません。

私が私の判断で進んで行く以上、
それは無理な話です。

支えて下さる多くの人には
心からの感謝をするばかりです。

すべてはそれでよいのだと思います。

私は私が提供しうる最高の教育を生み出せるように、
あらゆるものをつぎ込みながら、全力で走り続けます。

それだけのことです。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まっすぐに

2020年02月11日 | Weblog
現状を嘆いたり、批判したりする暇は、
私にはありません。

どうすれば変えられるか。
どのように行動していけば、
より良い世界を作ることが出来るのか。

そのための行動を起こしていかなければなりません。

そして、行動をするためには、
深く考え、自分の信念を鍛えていかなければなりません。

そのためには、
日々の働きぶりを通して、
信頼を勝ち得ていかなければなりません。

どんな場であってもそうあらねばと思います。

不平不満は、
それにふさわしい現実しか引き寄せないものです。

明るく楽しく、死に物狂いで、
改革にチャレンジしていきます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする