Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育の手応え

2017年01月28日 | Weblog
2週間の福岡雙葉学園での、
高校三年生進路決定者の講義が
いよいよ終盤にさしかかっています。

レポートを読みながら、
凄い成長の手応えを感じています。

人間として素晴らしいと感じます。

教育にとって大切なこと。

それは子供の成長を信じること。
そして待つこと。

何よりも、
教師の側に、
信じて待つ力が大切なことを実感しています。

生徒は素晴らしいのです。

それを信じないから、
子供たちは、
その「信じない」という期待に応えるのです。

信じていれば、
その信頼に生徒は応えてくれるものなのだと思います。
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濁り

2017年01月26日 | Weblog
濁りには
できるだけ近づかないようにしたいと思います。

濁った心は負のエネルギーを生み出すので、
できるだけそれに触れたくはないからです。

濁った心は、
濁った言葉と、
濁った行動を生み出します。

それらは、
正しさ、公平さ、思いやり、敬意、
様々な良きものの根を腐らせていきます。

澄んだところで、
できれば闘っていたいと思います。

澄んだところでの闘いは、
高みに高みに登っていこうとする
闘いになるからであり、
成長を伴う闘いだからです。

しかし、
濁ったところでの闘いは、
マイナスのエネルギーを、
せいぜいゼロにできるかどうかといった
虚しい闘いでしかありません。

だから、
濁りを好む人間とは、
できるだけ、
関わりを持たぬようにせねばならないのです。



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志の教育

2017年01月24日 | Weblog
1月の後半2週間は、
福岡雙葉学園の高校Ⅲ年生で
進路が決定している100名ほどの生徒を対象に、
「志の教育」特別編を実施しています。

昨年に続き、2年目となりますが、
本当に進学先や就職先で必要となる力を
全力で育てていこうという思いでやっています。

どこまで伝わっていくか、
何が残っていくかはわかりません。
全ては受け手が決めてくれることです。

ただ、私としては、全力を尽くすだけです。

テキストのない、
フリーハンドの教育なので、
生徒の立場を考えた上で、
自分が本当に何を伝えたいのかが、
日々問われます。

2週間、
自分が本気で伝える価値があると信ずることを、
話し続けなければならないし、
共に学び続けなければならないのです。

そんな時、
吉田松陰の言葉が、
いつも心にこだましています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
師道(しどう)を興(おこ)さんとならば、
妄(みだ)りに人の師となるべからず、
又妄りに人を師とすべからず。

必ず真に教ふべきことありて師となり、
真に学ぶべきことありて師とすべし。
             「講孟劉記」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「お前に本当に教えたいことはあるのか?」
「お前は本当に教るだけの価値あるものを持っているのか?」

いつもこの言葉が胸に突きつけられています。

それに耐えうる教育者でありたいと思います。
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12期目を迎えて

2017年01月21日 | Weblog
Vision&Education,Ltd.は、
お陰様で12期目を迎えることができました。
これも皆様のご支援の賜と心より感謝申し上げます。

今まで以上の忙しさになっていることは、
本当に喜ぶべきことだと思います。

不思議なのは、
過去にないほどの集中力で、
脇目も振らず、
日々を突っ走っているということです。

日々新たに、
日々成長し続ける自分でありたいと思います。

ただし、
今は、仕事の量が膨大過ぎて、
お時間頂いている皆様ごめんなさい。
急いで頑張ります。














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創立記念日

2017年01月17日 | Weblog
今日から、
Vision&Education,Ltd.の
12期目がスタートします。

VisionとEducationの会社として、
弊社はスタートしました。

「志」という言葉は、
英語になりにくいと思いました。

そして昨年、

11年目にして、
『志の教科書』という、
シンボリックメッセージとなる一冊の本を
出版することができました。

私はこの社名を気に入っています。

Vision&Education,Ltd.

これだけで肩書きは十分です。

大切なことは、
何をするのかということです。

教育を通して、
何を世の中に残せるのか、
まだまだチャレンジが続きます。



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寒い日に思う

2017年01月16日 | Weblog
寒い寒い夜に思うことは。

みんな、
寒い思いをしていないかなぁ。
ひもじい思いをしていないかなぁ。

ということです。

これまでの人生で出会い、
そして、
違う道を歩き始めていった、
一人一人の人生が、

豊かで希望に溢れたものになるように
心からお祈りしています。

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決意

2017年01月16日 | Weblog
色々な方に支えられて、
私の教育実践は生み出されてきました。

多くの子供たち、若者たち、大人たちの、
様々な期待に対して、
私は大きな責任があるのではないかと
多少は思えるようになってきました。

ということは、
私は、私の思ったとおりの教育を
妥協することなく進めていくということです。

道をふさぐものは、
断固として排除するということです。

平和を好み、
自分が道を譲ることを良しとして、
ここまでやってきましたが、

どうやら、
何が世の中にとって大切かということの
優先順位を考えなくてはならないようです。

確かに、
自分が全てを失っても
また、一から生み出せば良いのですが、

私に対して期待を寄せて下さる方に、
私は応えていかなくてはならないと思います。










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いじめについて学ぶ

2017年01月15日 | Weblog
幸か不幸か、
最近、いじめについて学ぶことができる環境に身を置いています。
示唆に富む成果を出せるかも知れません。

言えることは、
いじめは水面下で、
わからないように行われるものですから、
教師がそれを発見することは至難の業です。

その状況を打破するためには、
いじめられている当事者が闘う気概を持つことです。
闘う強さがなければ、
正面切って闘わなくても良いのです。

何月何日何時何分に、
誰に、どのようなことを言われたか。
何をされたか。
そこでどのような心理になったのか。
克明に記録を取っていくことが大切です。
裁判にも耐えうるように。

悪しきものは陰を好みます。
明るい光の下では決して力を持つことはできません。

だから、明るくおおっぴらに、
全てを白日の下に晒していけば良いのです。

それをためらってはいけないのです。

何が正しいことかは、
世間が決めてくれます。
また、司法が判断してくれます。

安心して良いのです。
明るみに出して世間様に
判断してもらえば良いだけです。

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月島で飲んで

2017年01月14日 | Weblog

月島で飲んで、
気持ちよく帰っていると、

近所のコンビニの前の、
恐るべき看板の言葉が目に飛び込んできた。

「工場直送の手作り弁当ございます。」

「は?」


私の理解では、というか、辞書を調べても、
「工場」とは、
「機械・器具を設備し、
 継続的に物品の製造や加工などを行う所」である。

そして、
「手作り」とは、
「機械を使わないで、手で作ること。
 店で買わないで、自分の手で作ること。
 また、その物。手製。」である。

だから、工場で作られた手作り弁当などというものは、
本来、存在しようはずの無いものなのである。

しかも、店で買えないのが手作りだから、
それがコンビニで買えるというのも謎である。

一体、何が売られているのだろうか?

確かめに行ってみれば良かったと、
マンションに戻って後悔することしきりであった。

「工場直送の手作り弁当」とは、
如何なるものなのだろう。

謎が謎を呼んで、
今夜は眠れそうにない。
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Noを言う

2017年01月13日 | Weblog
最近、
自分が直感的に「No」だと思ったことは、
振り返ってみて、
やはり正しかったと思うことが多くなりました。

直感的に感じた違和感の正体が、
そのときにはうまく説明できなくても、
後で色々な現象を俯瞰したときに、
クリアーにその原因が見えてくることがあるのです。

私が「No」を言うときは、
「教育をより良いものにする」という
自分のテーマに照らしてみて、
なにがしかの違和感を感じたときです。

「No」を言って後悔したことよりも、
「No」を言わなかったことへの後悔の方が
大きいように思います。

謙虚に学び続け、
自分の感覚を研ぎ澄まして、
「No」と言う勇気を
常に持ち続けたいと思います。

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