Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

コピー上等

2016年12月14日 | Weblog
水戸岡鋭次氏は、
質の良い下敷きを見つけて、
それを少しでも進化させて
次の世代に送っていけば良いと仰います。

その意味で、
「コピー上等」であり、
「著作権とか特許というのはおかしい」と言われます。

例えば、

マイナスの溝がねじにあって、
それに溝を加えてプラスにして
大もうけした人がいたが、
それはどこかおかしいのではないかと。

私も同感です。
きっと私の中にも、
職人の血が流れているのかもしれません。

特に教育の世界において、
どこからどこまでが誰のもので、
使って良いとか悪いとかいうことになっているのは、
あまり美しいことではないと思うのです。

勿論、研究に研究を重ね、
非常なる投資と労力を注ぎ込んで、
新たに創り上げたものには敬意を表したいと思います。。

しかし、教育を商売として考えるのではなく、
次代を担う子供たちに
本当に良いものを与えたいと真剣に願うのなら、
それはおかしいと思います。

私の作った講義資料なども、
どんどん使って、
更に良いものに変えていってくれたら
これほど嬉しいことはありません。

私は私で勉強して、
次のステージに行きますから、
大した問題ではないと思います。

自分の知識を切り売りするつもりは毛頭ありません。

そもそも完全オリジナルなど
教育界において、
そうそうあるとは思えません。

大体のことは、過去の先人たちが、
様々な表現で言い尽くしていると思います。

でも、不勉強だから、
さも自分が発見したような気になってしまうだけです。

教材などの権利を主張するというのは、
砂上の楼閣の権利を要求しているように
思えて成りません。

あるいは、
教育を商売としか見ていないように思えて、
とても残念な気持ちになります。

たしかに、
それはビジネスとしては正しいのでしょう。
その理解は愚鈍な私にもできます。

しかし、一方で、
新渡戸稲造の言葉が、私の心の中でこだまします。

「たいしたこともない知識を勿体付けて売ったり、
免許状をお金で売ったりしてする人たちを教育屋と言う。
皆さんは、教育屋ではなく、教育家であって欲しい」と。

私の思いもそこにあります。

教育家たらんとの烈々たる思いを貫いていこうと思います。

その思いがなければ、
同じテキストを使ったところで、
得られる教育成果などたかがしれているのです。

そんなことも見えないほど、
私たちは、「あらゆることを権利やお金に換算する精神」に
染まってしまっているのだと思います。

だから、私はいつも、
頭が変な人に見られるだろうと思っています(笑)。

でも、それで良いのです。
覚悟の上です。







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