人の価値観は千差万別です。
自分の善意や思いが、真っ直ぐに伝わらないかもしれません。
しかし、それでも歩き続け、伝え続けるしかありません。
伝わるように、自分の思いを深めていくしかありません。
伝わらない悲しみと孤独を背負って、
一人で歩いて行くしかないのだと思います。
その悲しみも孤独も全て自分の未熟さ故です。
人の価値観は千差万別です。
自分の善意や思いが、真っ直ぐに伝わらないかもしれません。
しかし、それでも歩き続け、伝え続けるしかありません。
伝わるように、自分の思いを深めていくしかありません。
伝わらない悲しみと孤独を背負って、
一人で歩いて行くしかないのだと思います。
その悲しみも孤独も全て自分の未熟さ故です。
経産省のキャリア官僚2人が
コロナ対策の国の給付金を
だまし取るという事件が起きています。
給料の良いところに就職するため、
優秀な成績を取ってきたのでしょうし、
制度を悪用する賢さはあったのでしょう。
しかし、肝心な人間としての学びが欠落しているのです。
自分のためという利己的意識が強く、
人々のためという利他の意識が弱いのです。
やはり、子どもの頃からの
プリンシプルの教育が必要だと感じます。
また、こうした人格は自分一人でできたものではありません。
周囲の大人たちの価値観にもまた、
問題が含まれているのだろうと思います。
この事件が、特殊な二人の、特殊な犯罪と言うには
無理があると思います。
軽重はあれ、類似の事象は枚挙に暇がないからです。
これは国家としての大きな問題であり、課題です。
私は今日風の道徳教育には期待を持っていません。
人間の本質を、その善悪共に、鋭い筆致で描いた、
長き風雪に耐えて読み継がれている世界の名作に
触れることこそが一つの活路だと思いますし、
また、四書五経の世界に触れていくことこそが
大切なのだと思います。
歴史や古典文学を知識として学んだ方が受験には有利です。
しかし、人の生き様として学んだ方が、
人生にとってはるかに有益なのだと思います。
熊本でのエクスプレッションアカデミーがスタートしました。
何を参加者の皆様の心にお届けできたかはよくわかりません。
ただ、全力は尽くしました。
万事において、うまくいくかいかないかはわかりません。
限りある人生の時間を全力で駆け抜けていこうと
決意を新たにしました。
熊本は雨です。
木々の緑も雨に洗われて大きく育っていくように、
私も心新たに学び、自分を磨いていきたいと思いました。
明日は、エクスプレッションアカデミーIN熊本の第1講座です。
バッカーズ九州の卒塾生たちも4人来てくれます。
嬉しく、心強い限りです。
アカデミーは、今年、大分、熊本、福岡と展開しています。
バッカーズ寺子屋も再開します。
今、背負っているものの大きさをひしひしと感じています。
走り続けていたときは、無我夢中で良かったのですが、
一年間、コロナによる休止を余儀なくされ、
色々と冷静に考える機会を得てしまいました。(笑)
いや、これは本当に今日まで周りの人たちに、
たくさん支えていただいたからこそ、
走り続けられたのだと思います。
深く感謝しつつ、次のステージを駆け抜けていきます。
「陳に在(いま)して糧を絶つ。従者病みて能(よ)く興(た)つこと莫(な)し。子路慍(いか)って見えて曰わく、君子も亦窮すること有るか。子曰わく、君子固(もと)より窮(きゅう)す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。」(『論語』)
孔子が陳にいらした時に食糧がなくなった。
お供の者たちは病気にかかり立ちあがることもできなくなった。
弟子の子路(しろ)が義憤に駆られて言った。
「君子でも困窮することがあるのですか。」
先生がおっしゃった。
「もちろん君子でも困窮することはある。
しかし、小人は困窮すれば、心を乱し、行いが乱れる。
(君子は乱れないのだ。)」
子路は、なぜ、孔子のような学徳共に優れた人物が、
飢え、困窮しなければならないのかと憤ったのです。
しかし、孔子は子路に、
小人は困窮すれば、心を乱し、行いが乱れる。
しかし、立派な人間は困窮しても乱れないのだと諭します。
乱れない人物になることが、本当の学問の力なのだと思います。
コロナ禍の今こそ、
この『論語』の言葉をかみしめたいと思います。
自分にも気がつかぬところで、
判断に誤りがあるかもしれないという気持ちが、
本当の意味で自分の心の中にあるのなら、
人は謙虚になると思います。
自分は悪くないという発想は、
所詮は限定的で狭いものであって、
相手を責める姿勢を生み出します。
そして、責める者は、映し鏡のように、
同じようにいつか誰かに責められるしかなくなります。
全体をより良きものにしていこうという
大きな視点に立てば、
後に残るのは、
自分に何ができるのかという発想だけです。
しかし、そこにたどり着くまでには、
多くの時間と心の修行が必要です。
下座に生きる覚悟が必要なのだと思います。
熊本でエクスプレッションアカデミーをスタートさせます。
体制を整えぬままに、走り出しています。
お知り合いの方がいらっしゃったら、
是非、お声がけ下さい。
また、お誘い合わせの上、お越し下さい。
よろしくお願い申し上げます。
詳細は、下記からご覧下さい。
「今後十年私に健康を与えてくれるなら、
なんとかしたものを遺すべく、
努力したいと思っている。
努力といっても私のは遊ぶ努力である。
私は世間のみなが働きすぎると思う一人である。
私は世間の人がなぜもっと遊ばないかと思っている。
画でも字でも茶事でも雅事でも
遊んで良いことまで、世間は働いている。
なんでもよいから、
自分の仕事に遊ぶ人が出てこないものかと
私は待望している。
仕事に働く人は不幸だ。
仕事を役目のように了えて、
他のことの遊びによって
自己の慰めとなす人は幸せとは言えない。
政治でも実業でも遊ぶ心があって
余裕があると思うのである。」
ものゝふのや たけ心のひとすじに
身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
(武士が勇猛心をひとすじに奮い立て、
身を捨ててかかれば成らぬことはない)
我武者羅にやらなければ、今の自分はなかったと思います。
捨て身の覚悟というと大げさかもしれませんが、
会社を辞める時にも、教師を辞める時にも、
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと思っていました。
死ぬ気でやると、人はなかなか死なないものなのだと思います。
覚悟がその人の人生を作っていくのだと思います。
この年になってもまだ捨て身の戦いは続きますが、
それが私の人生なのだろうと思います。
バッカーズ寺子屋の最初の頃の卒塾生から
メールをいただきました。
毎年、バースデーカードを送っているのですが、
17年の時を経て、返事が来たように感じます。
すごく嬉しかったです!
そして、ずっと繋がってくださっていたのだなぁと
改めて嬉しく思いました。
メールには、自分なりに頑張ってここまで生きてきたけれど、
皆様に顔向けできるほどの志高い状態ではないので、
ホームカミングデイから足が遠のいていたことなどが
書かれていました。
そんなことはどうでも良いのです。
共に学んだことだけで良いのです。
元気に頑張っていてくれたら良いのです。
さらに、メールにはこう書かれていました。
「バッカーズ寺子屋で学んだことは
今でも日常に根付いています。
完璧には実行出来ていないかもしれませんが
意識の中にはあります。」
私から送るバースデーカードには、
いつもバッカーズ少年教育10原則が書かれています。
「プリンシプル塾」というのが、
バッカーズ寺子屋の変わらぬ基本コンセプトであり、
10原則を卒塾生たちが心に刻んでくれるように努めることが、
経営者の皆様から塾長である
私に託された使命だと思っているので、
バースデーカードには必ずこの10原則が書かれています。
その思いが届いていたことを嬉しく思いました。
メールは次のような言葉で締めくくられていました。
「バッカーズで学んだことは
私の考え方にも深く刻まれており、
在籍させて頂けたことを有り難く思っております。
塾生、卒塾生も増え、もう全く把握できないほどの
大きな組織となっているバッカーズ寺子屋に人見知り炸裂し、
中々顔出しできずにおりますが、
私は今でもバッカーズ寺子屋の塾生です。
これからもどうぞご指導ご鞭撻のほど
宜しくお願い申し上げます。」
「私は今でもバッカーズ寺子屋の塾生です。」
この言葉に目頭が熱くなりました。
九州とあわせ、もう、600通を超える
バースデーカードを出し続けていますが、
それが無駄ではなかったのだと、
報われた思いになった瞬間でした。
勿論、きちんと返事を下さる塾生たちのことも
いつも心にあります。
しかし、音信がなくても、
わかってくれていたのだということに、
私は胸が熱くなりました。
これからも心を込めて、
一人一人に向き合っていきたいと思います。
感謝。ただ、ただ、感謝です。
この寺子屋を通じて出会った全ての人たちに、
心からの感謝を申し上げます。