Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ゲームや映像の怖さ

2016年02月29日 | Weblog
人間には「知りたい」という知的欲求があります。
また、困難を乗り越えたいという向上心があります。
報酬が得られると嬉しく感じる感性もあります。
続きが見たい・聴きたい・知りたいという欲求もあります。

人間の様々な欲求を、
ゲームや映像などのバーチャルな世界は、
巧みにかなえ、満たしてくれます。

だから面白いし、欲しいと思うのです。

しかし、それはあくまでも、
現実のものではありません。

そうして人々は多くの時間を浪費し、
現実の社会で通用するための、
成長につながる学びの時間を失っていくようです。

私が怖いと思うのは、
人間の向上心につけ込んで、
疑似体験を与え、

実は向上することのない
迷宮の中に子供も大人も、
引きずり込まれてしまうことです。

失った時間は取り戻せません。

そして、そこで身についた心の習慣からも、
なかなか抜け出せるものではありません。


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劣化

2016年02月29日 | Weblog
「日本の政治家の質は下がったと思いますか?」
という問いかけがありましたが、
質とは何かということも問題なのだと思います。

人間的な器だとすれば、
それは確実に下がったと思いますが、

それはなにも政治家だけの問題ではなく、
全ての人たちにあてはまることなのだと思います。

なぜなら、
四書五経を学ぶことがなくなり、
人間存在や国家について、
本質的なところで深く深く、
考え抜き、命懸けで行動することがなくなったからです。

国民が考えていることに正確に対応して、
官僚も政治家も存在しています。

だから、細かい損得や、細かい平等や、
効率の良さや、きめ細やかなサービスなど、
良くなったところも沢山あると思います。

一国の政治のレベルは、
その国民のレベルにしかならないものなのです。

だから、本気で変えるなら、
教育を変えていくしかないのだと思います。

いや、教育などという抽象的なものは
変えようがありませんから、

まずは、私自身が、どこまで成長できるかに、
チャレンジしていくしかありません。

自分の人生を凄まじい
迫力あるものにしていくしかないのです。

お気楽に他人を評論している暇などはありません。
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劣等感

2016年02月28日 | Weblog
劣等感というものは、なかなかに厄介な代物です。

劣等感を持つ人は、
その劣等感故に、
周りの人からすれば、
思いもよらぬ屈折した見方をすることがあるからです。

劣等感は、猜疑心や、攻撃性、あきらめ、無力感、
妬み、嫉み、様々なものを生み出していきます。

それを乗り越えるためには、
一所懸命、一つの所で懸命に何かに打ち込み、
自分の強みを一つで良いから持つことだと思います。

そして、自らの教養を高め、
人間としての心の持ち方を、
広く大きなものに磨いていくことだと思います。

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鹿児島・福岡・東京

2016年02月27日 | Weblog
今朝、鹿児島から福岡に戻り、
福岡で専門学校の先生方の研修をさせていただき、
最終便で東京に入りました。

明日は、バッカーズ寺子屋の入塾説明会です。

一人でも多くの方が来て下さることを期待しています。
飛び込みでも結構ですから、是非、お運び下さい。

それにしても、便利な世の中になりました。

鹿児島-福岡も新幹線で、一時間少々。
福岡-東京も、飛行機で、一時間少々。

その割りに、私が効率よく成長できていないような・・・。

もっと深く学び続けたいと思います。

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準備

2016年02月24日 | Weblog
研修のプログラムを考えるときは、
悩んで、悩んで、悩み抜きます。

そして、悩み続けた先に、
ふと、新たなアイディアが生まれてきます。

今も、
複数の研修・講演の準備をしていて、
悩み続けています。

全く要領の悪い人間です。

でも、悩み抜いた末に降りてきたものでなければ、
私の魂がこもったものにはならないとわかっています。

因果な商売です。

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与えられたポジション

2016年02月22日 | Weblog
私には天から与えられたポジションがあります。

このポジションで結果を残していくしかないのだと思います。

与えられたポジションに感謝しつつ、

頑張り抜いていこうと思います。

それは、やりがいのある、

充実した時間を生み出してくれるポジションでもあります。


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親の願い

2016年02月21日 | Weblog
親の願いは、
子どもが自分一人の力で、
立派に生きていけるようになることだと思います。

できれば、
多くの人に、愛され、信頼され、
世の中に沢山の良きことを遺していって欲しい。

それが心からの願いなのです。

そのためには、
稚心を去り、
自らを磨き抜くしかない。

そう思います。

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鳥の目を

2016年02月20日 | Weblog
私たちが人間関係の中で行き詰まるときには、
ほとんどの場合、その当事者となる人たちの
言動で頭がいっぱいになっています。

如何なる組織においてもそうだと、
様々な組織に関わらせていただいて思います。

そんなときに大切なのは、
鳥の目を持つことだと私は思っています。

私が自問自答するのは、

1.何のために、今、そのことにこだわっているのか?
2.この諍いの果てに、何を組織に生み出せるのか?
3.自分の大義は何か?相手の大義は何か?
4.組織、あるいは、社会全体にとって何がプラスになるか?

こうした点です。

そして、
自分に自分なりの大義があり、
社会にも生み出すものがありつつ、
それがどう努力しても受け入れられないのであれば、

5.自分としての理を曲げず、潔く消えていく。

というのが、私に課したルールです。

それが一番、清々しく生きられると思います。

大丈夫です。
捨てる神あれば、拾う神あり。

世の中はうまくできたものなのです。

ただし、5.は、アドバイスとしては、
他人様にはお薦めしていません(笑)。

まずは、自分自身が、
その場に必要とされる存在になれるかどうか。
それが大切だと思います。

私も、
私の最高のパフォーマンスを発揮できるよう
死にものぐるいで努力を重ねます。


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2016年02月19日 | Weblog
言葉遣いや立ち居振る舞いに、
品がある人と、そうではない人がいます。

品などどうでも良いと思う人たちは、
「なに上品ぶってるんだ。」とよく言います。

「上品ぶる」ことは、確かに良いことではありません。

では、

「上品」ということと、
「上品ぶる」こととは、何が違うのでしょうか。

私は、
相手軸に立っているか(相手への配慮を優先するか)、
自分軸に立っているか(自分のことを優先して考えているか)
の違いだと思います。

そもそもマナーは、
自分が恥をかかないために学ぶものではありません。
一緒に過ごす人たちに、不快な思いをさせないためのものです。
相手軸に立つ事が基本なのです。

その基本的な考えが、
身についているかどうかの違いが、
その人の立ち居振る舞いに決定的に影響していきます。

また、
仲間内の狭い世界でない付き合いがある人ならば、
多様な価値観を持つ人たちとの交流の中で、

国や文化や習慣の違いによっては、
自分の言葉や立ち居振る舞いに、
不快感をもたれることをも予想します。

しかし、
同質性の高い集団の中での付き合いしかないと、
人はみんな同じだと思い込んでしまいがちです。

これぐらいのことは、
いいだろうと勝手に思い込んでしまいます。

しかし、相手は相手であって、自分ではないのです。

常に相手や周囲の人たちに配慮できるかどうか。
自分の狭さを常に意識しているかどうか。
こうした心配りが、品の基本にあるのだと思います。

ですから、
相手に配慮する想像力を欠くという点では、

下品ということも、
上品ぶるということも、
全く同じなのだと思います。





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忍耐力

2016年02月17日 | Weblog
人々の生活を快適で便利なものにするために、
様々な機器が開発されてきました。
また、様々なシステムが生み出されました。
人々の仕事も効率よく行えるようになりました。

その結果、

子どもの頃から根気仕事に向き合ったり、
忍耐力を要求される場面に向き合う機会は激減しました。

そして、
忍耐力の無い大人たちが生まれてきています。

介護が面倒になり、
嫌気がさしたからと、
老人を投げ落として殺す者まで出てきました。

これは、人類の進歩なのでしょうか?

やはり、
ハイテクな時代にこそ、
ローテクな教育が求められるように思えてなりません。

根気を養うのは、簡単なことではないと思います。

だからこそ、そのことに向き合わねばならないと思います。



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