英語も大切だと思いますが、
母国語で深い思想を持ち得ることも大切だと思います。
自国の自然・歴史・文化・芸術について語るには、
そして、それらの意義を深く考えるには、
どうしても母国語による深い思考が必要だと思います。
言語はその国の自然と歴史を背景として生まれた
その国の文化そのものだからです。
日本語は複雑な思考に耐えうる言語の一つです。
しかも、情緒表現においてたくさんの言語を持っています。
日本語も極めたいし、
もっと日本の思想の源流にも触れてみたいと思います。
英語も大切だと思いますが、
母国語で深い思想を持ち得ることも大切だと思います。
自国の自然・歴史・文化・芸術について語るには、
そして、それらの意義を深く考えるには、
どうしても母国語による深い思考が必要だと思います。
言語はその国の自然と歴史を背景として生まれた
その国の文化そのものだからです。
日本語は複雑な思考に耐えうる言語の一つです。
しかも、情緒表現においてたくさんの言語を持っています。
日本語も極めたいし、
もっと日本の思想の源流にも触れてみたいと思います。
言論に大切なことは愛情があることだと思います。
国家への愛情があるということは、
自分の父祖の世代に愛情があるということであり、
歴史を温かい目で見つめるということです。
そして、
未来を温かい目で見つめるということは、
未来の子孫に対して愛情があるということです。
様々な批判的言論はあってしかるべきだと思います。
しかし、そこに愛情があるかないかを、
私たちは見定めていく必要があります。
愛情がない人たちは、
私たちの社会のためではなく、
違う目的のために活動している人たちだと感じます。
また、
そもそも父祖の世代や子孫に対して冷ややかな人たちとは、
あまりお付き合いしたくないと私は思います。
肉親に対する情のない社会、
人情酷薄な社会が幸福な社会だとは思えないからです。
その発言が幸福に繋がるのかという視点を
私ももっと磨いていかなければなりません。
「自由自在に氷を削る」というバーテンダーの動画を見ました。
素晴らしい技術であり、道具も、その氷を使った飲み物も、
全てに隙の無さと美しさを感じる一流のものでした。
「氷なんて、冷蔵庫で作ればいい。」
「氷なんて、冷たければいい。」
そんなことが言えるのは、
自分の経験を超えた世界の価値を知らない
無知から生まれる言葉だと思います。
そして、
最高の氷を削ってお客様にお出しするという行為は、
お客様に対する最高の敬意がなければできないことです。
私の教育も、その境地を目指したいと思います。
「子どもにそんなことまでしなくてもいい。」
「できる範囲でいい。」
これらは教育をより良いものに変革する気のない人の言葉ですし、
自分の受けた教育から一歩も出ようとしない人の言葉です。
そして、子どもたちへの敬意のない言葉です。
私は自分の道を歩き続けます。
当然に理解されずに孤独な歩みとなっていきます。
しかし、それは私が借り物の教育でなく、
自分の教育実践から掴んだ教育と共にあることであり、
自分の信念と共に歩んでいる何よりの証ですから、
喜ぶべきことなのだろうと思います。
「わかること」と「できること」は違います。
例えば、書くことの大切さが、本当にわかっていれば、
書くことを実際にやっていきます。
私は書くことの大切さを精一杯伝えています。
しかし、それでも書く人はそう多くはありません。
それは、結局は、わかってもいないし、
できてもいないと言うことです。
自己教育の道は常に厳しく険しいものです。
自分の力不足に歯ぎしりしながら、
大切なことを伝える力を高めていくために、
ただただ自分を磨き続けます。
ある時期から、私は西瓜の果肉を皮から切り離して、
一口サイズに切って、包丁の先で出来るだけ種を取って、
冷やすようになりました。
西瓜の種ぐらい、
食べる人が取れば良いと思っていましたが、
私のような大して世の中の役にも立たないような人間は、
一つでも他人様のために良いことをするように
心がけていかなければならないと思います。
ささやかな、気にも留められないようなことですが、
私の心の修行としてやり続けていきたいと思っています。
自惚れてはいけないのです。
他人様のために何ができているのか、
自問自答しながら、
生きていこうと思います。
オリンピックが始まろうとしているのに、
東京の街は静かです。
東京オリンピック開催が決まったときには、
こんなことになるとは誰にも予測できませんでした。
未来を予想することはできません。
だからこそ志を掲げ、
全力で今を生きるだけです。
それが間違っているかもしれませんし、
正しいのかもしれません。
いずれにせよ、自分の信ずる道を歩むしかないし、
間違えないように学び続けるしかないのだと思います。
東京での講演が終わりました。
一日目は90分の講演3本、
二日目は90分の講演一本でしたが、
90分が短く感じる今日この頃です。
聴いて下さっている方たちにとっても、
同じように短い時間であって欲しいと祈るばかりです。
あと何年全力で伝えられるかは天命次第ですが、
せっかく学ばせていただいたことを、
少しでも誰かに手渡していけたらと思っています。
それが私を支えて下さった皆様への
ささやかな感謝の形になるのではないかと思います。
どうぞ、お気軽にお声がけ下さい。
全国どこへでも参ります。
志のない人に、志の教育の価値は、
永遠にわからないと思います。
しかし、志ある人と出会い、
何事かを感じた時に、
志の教育への理解の種が撒かれます。
自分の志が確立されたら、
初めて志の教育の意味がわかってきます。
だから、自己の修練と忍耐が大切なのです。
私もあの人のように志高く生きてみたい、
そう言われるように頑張ります。
福岡でのエクスプレッションアカデミー第1講座が終了しました。
一歩一歩地道にやってきておかげさまで11年目を迎えました。
20名の定員が集まって下さるようになりました。
本当に有り難いことです。
今日は、高校生の子どもに聴かせたいと、
お子様と一緒に来て下さった方もおられました。
やはり、より良い教育を生み出すことが私のテーマですから、
もっとたくさんの機会を作りたいと思います。
毎回、伝えるだけのものを
自分が持ち合わせているかが問われます。
深く学び続けるだけです。
「あきらむ」という古語に、
「諦める」という意味はありません。
正確を期すために、Weblio古語辞典を引用させていただきます。
①明らかにする。はっきりさせる。
②晴れ晴れとさせる。心を明るくさせる。出典源氏物語 早蕨
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。」
ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
明らかに見た上で、受け入れるなり、変えるなりを判断していく。
前提となるのは「明らかに見る」ということです。
明らかになるから、心が晴れ、すっきりするという心の動きを
先人たちは理解していたのです。
諦めることは、途中で投げ出したり、
放り出すことではないのです。
さらに、感性的に悩むことも超越できれば、
人生は随分とすっきりしたものになるのかもしれません。
私はまだそこにたどり着けそうにありませんが(笑)。