Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育とは

2016年05月27日 | Weblog
三十代の頃は、
もし立派な人が教育長になったら、
もし立派な人が文部大臣になったら、
教育は良くなるのではないかと思っていました。

しかし、それは間違っていました。

教育はつまるところ実践でしかないのです。

どれだけ制度が整い、
施設設備が立派になったとしても、

教えている人間がダメだったら、
良い教育は実現されないのです。

では、教えている人間を
立派にすることができるか?

これもまた力ずくでやろうとしても
無理な話なのです。

だから、結局は、
自分自身の感化力を高めていくしかない。

日本の教育をより良いものにするために
私ができることは、

実は自分自身を磨き抜くという
その一点にしか答えはなかったのです。

「日本の教育をより良いものにする」という、
私が掲げているこのテーマは、
「私自身をより良い存在にできるよう学び続ける」
ということでしかなかったのです。
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卒塾文集

2016年05月26日 | Weblog
バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋の
一年間の学びがいよいよ終わりに近づいてきました。
来月は卒塾式です。

塾生の皆さんの卒塾文集の原稿を読んでいると、
本当にその成長に感動します。

同時に、
日本の教育の抱えている課題について
深く考えさせられます。

まだ、
この取り組みはささやかで、
人々の話題に上ることも少ないですが、

この学び方が日本中に広がっていけば、
日本は変わると思います。

一年間と言いながら、
わずか三十日ほどの学びが、
素晴らしい成長を生み出していくのです。

私も地道に学び続け、
次の世代にバトンを手渡していきたいと思います。


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言葉と行動

2016年05月26日 | Weblog
東京都知事が糾弾されている。

東大法学部を出て、
東大でも教鞭を執り、
参議院になり、
東京都知事になった。

日本の世の親たちが、
求め続けてやまない
プロフィールではないだろうか。

このニュースに接して、
教育は何を忘れてきたのか、
ハッキリと見えるのではないかと思う。
そろそろ目を覚まして良いのではないかと思う。

大企業の危機管理のマニュアルに則った言葉も、
いわゆる「大人の対応」と言われる言葉と行動も、
所詮は真心のないものでしかない。

その究極の姿が、
都知事のあの振る舞いではないか。

利を見て、機を見て、右顧左眄し、
保身に汲々とするするだけで、
そこに行動哲学などありはしない。

だが、それが大企業や行政といった、
日本の多くの組織の正義だったではないか。

だからなかなか倒れはしないのだ。

そして、
程度の違いはあれど、
そうした姿勢の大人たちは、
嫌と言うほど身近にいる。

言葉以上に、行動は物語る。

慇懃な言葉で真心のない言葉を耳にするのは、
うんざりする。

私は損をしてでも、
真っ直ぐであり続けたいのだ。











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死生観

2016年05月25日 | Weblog
死生観は人によって異なります。

しかし、
志高きリーダーたちは、

「人生二度無し」

という死生観を、
明確に持っていると感じます。

そこにたどり着くためには、
死線をさまよう経験の有無が大きいように思います。

私も一度、
交通事故で死にかけました。

とはいえ、
車で信号待ちしていたところに、
大型トラックが居眠り運転をして突っ込んできただけで、
私の車は大破し全損するという事故でしたが、
私はピンピンしていました。

そのあたりが、
私の死生観の甘さに繋がっているのかもしれません。




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近代化の果てに

2016年05月25日 | Weblog
近代化の果てに、
私たちは歯車としての人生を生きることを
余儀なくされているのかもしれない。

特に大きな組織においては、
いかに役割を果たしていくかが大切である。

勿論、組織の維持発展は、
個人の幸せにも直結した、
一大事である。

また、
その組織に何らかの形で、
関与している、
社員の家族や顧客や取引先の人生にとっても
非常に大切なことである。

だから、
良き歯車になろうという努力は、
正しい努力である。

しかし、
そうした人材だけでは、
社会変革は起こせないように感じている。

だから、
人間の原点に立ち返った教育を私は生み出していきたい。

それが正しいかどうかはわからない。
多勢に無勢の愚行とも言える。

しかし、それもまた良いのではないか。

一人ぐらいはそういう馬鹿もいた方が、
世間様のスパイスになるというものだろう。
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価値は相対的

2016年05月25日 | Weblog
命懸けでやっていると、
少々の事はたいしたことはないと
思えてくるから困ったものです。

死を前にしてみれば、
少々の事は消え去っていくもの。

スティーブ・ジョブズ氏の
有名なスタンフォード大学での講演での言葉が、
私の心の中にいつも響いています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。
これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には
常に決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

何故なら、
ありとあらゆる物事はほとんど全て
…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、
屈辱や挫折に対する恐怖の全て…

こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。

そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。

自分もいつかは死ぬ。

そのことを思い起こせば
自分が何か失ってしまうんじゃないか
という思考の落とし穴は回避できるし、
これは私の知る限り最善の防御策です。

君たちはもう素っ裸なんです。
自分の心の赴くまま生きてならない理由など、
何一つない。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私にとって、
本当に大切なのは、

私が死んだ後に、

共に学んだ塾生という仲間達が、
大きく成長していってくれるということだけ。

それ以外は、二の次であり、
たいしたことではないのです。

私が言うたいしたことが無いという言葉は、
そうした前提を持って、発せられることが多いのです。







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言葉

2016年05月24日 | Weblog
言葉の理解の深さは、
実体験と言語体験から磨かれていくと思います。

だから数多くの体験をしなければなりません。

自然体験も近代的な都市空間も。
山も川も海も野原も。
日本も海外も。

書にも絵画にも、
詩にも和歌にも、
小説にも評論にも。

美しいものにも醜いものにも。
善にも悪にも。

そうしたものを経て紡ぎ出されてこない言葉は、
薄っぺらなものであり、
観念の遊びに過ぎないように思います。

しかし、それぞれが、
それぞれの人生を生きていますから、

結局、本当の理解などというものは
幻想に過ぎないのでしょう。

だから、私は人を信じようと思います。

しかし、だからといって、
人が自分を信じるとも限らないし、
人が裏切らないとも限らないのです。

それもまたよし。

そう言える
心の強さとしなやかさを持とうと思います。

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教育という厄介なもの

2016年05月23日 | Weblog
教育は価値観です。

そして、価値観は、一人一人に存在しています。
私の価値観と、他の人との価値観は当然違います。

どちらの価値観が正しいということはありません。
ただ、「違う」ということがあるだけです。

ただ、
私が教育をしている場面においては、
私の価値観とこだわりを貫くしかありません。

そこに他の価値観を入れたいというのであれば、
別段、私がやらなくても良いのです。

自分が潔く降りれば良いだけです。

ビジネスにおける共同作業とは、
そこが大きく異なってくるのだと思います。

そして、それが難しいところなのだと思います。

ゼロか100か。

それは、ビジネス寄りではなく、
強烈に芸術寄りの価値観だとわかってはいます。

とにかく教育をより良いものにするための、
大きな戦いは好みますが、

小さな諍いは好みません。

そんなことに時間を取られるなら、
楽しくフルパワーで戦える新たな場にいたいと思います。
それがどんなに苦難に満ちた場であっても、
まっすぐに教育ができる場であれば、
私にとってはこの上なく楽しい場だと思うからです。



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瞬間を捕まえる

2016年05月23日 | Weblog
瞬間の意識は、
直ぐに消え去ってしまいます。

だから、
それを捕まえる努力をしなければなりません。

その瞬間のひらめきが、
ふと思い浮かんだ一瞬のアイディアが、
形になるかならないかは、

その刹那を捉えて、
言葉にできたかどうかだと思います。

捕まえた経験も多くありますが、
失った経験もまた数多くあります。

捕まえるためには、
心構えができていなければなりません。

一瞬の勝負に負けぬように、
構えを磨き続けなければなりません。
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2016年05月14日 | Weblog
志というものは、
志をもっている人にとっては、
その大切さが身にしみてわかるものです。

しかし、
志なき人にとって、
志の大切さはどうしてもわからないものです。

志があろうがなかろうが、
生物として生きていくことはできます。

しかし、
二度と無い人生を輝かせていくためには、
どうしても志が大切になってくると私は思います。

違うと言う人も、
志とは何かということをお伝えすれば、
きっと理解していただけると思います。

私自身、
志無き人生を生きていたからであり、

今、志高く生きようとしているから、
わかったことです。

偉そうに言うつもりはありません。

でも、志ある人生の方が楽しいし、
生き生きしたものになると私は思います。

だから、誰に対しても、
真摯に志の大切さを伝え続けていこうと思います。


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