Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育に対する心構え

2014年03月22日 | Weblog

教えている子供が言うことを聞かない。
教えている子供の人間性が磨かれていない。

そうした愚痴を聞くことが良くあります。

しかし、それは教育する側の問題でしかありません。

どうすれば、子供たちが成長するのか。
そのことだけを考えて行動するしかないのが教育だと私は思います。

上手くいかないのは、自分の力が足りないからです。

私の指導が全て上手くいっているわけでは決してありません。

上手くいかないことも数多くあります。
これで良い、これで十分と思えたことなど一度もありません。

しかし、
上手くいかない現象が起きている時に、

それが私の力不足のせいであり、
その全てが私の責任であるということは、
少なくとも理解しています。

だから、自分で自分を磨き続ける努力を
もっともっとしていかなければならないのです。

私にできることは、
自分にできることを誠実に実行していくだけ、
というとてもシンプルなことなのです。

相手がどうであろうと、
それは関係ないことなのです。

あるのはただ、
自分が何をするかということだけなのです。



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人は必ず成長する

2014年03月20日 | Weblog
萩往還以来、ブログ更新のできない日々が続きました。
日々、体力と気力と時間との闘いです。

今日まで、
東京での講座、岡山での研修、福岡での研修と、
全力で走り続けていました。

ふと気づけば、

「人は必ず成長できる」

そう信じられるようになった自分がいました。

今までは、

「素直であれば、・・・」
「聴く力があれば、・・・」

という条件付でした。

しかし、今は違います。

私の人間観が磨かれていなかっただけなのです。
自分の信念が弱かっただけなのです。

「人は成長するように生まれてきている」

そう信じて頑張り続けます。
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萩往還を歩く

2014年03月15日 | Weblog
今年、第1回目の萩往還を歩き終えました。

19歳前後の若者たちと歩いてきました。

人生は道。

そう思います。


なぜ、生まれてきたのかなどわかりません。
何のために生きるのかという問いにも正解はありません。


萩往還を歩くこともそうです。

なぜ歩かなければならないかはわかりません。
何のために歩くのかにも正解などありません。


意味は自分で決めるしかないのです。


何のために歩くのか、どのように歩くのか。

萩往還も、人生も、自分で答えを見出すしかない。

それが「志を立てる」ということなのだと私は思います。

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バッカーズ九州寺子屋・スピーチコンテスト

2014年03月09日 | Weblog
バッカーズ九州寺子屋・第6期生
第2回目のスピーチコンテストが終わりました。
テーマは「日本の未来」です。

難しいテーマに対して、
塾生の皆さんは、よく頑張ってくれました。

ただ、
もっと伸びやかに、
もっと楽しんで、スピーチをしてもらいたいと思います。

原稿に頼らないスピーチをマスターして欲しいのです。

失敗してもいい、
頭が真っ白になっても良いのです。

そして、それは、実は失敗などではなく、
大切な経験となっていくのです。

しかし、それを失敗として真っ直ぐに受け止める強さも必要です。

バッカーズでのスピーチは、
生き方そのものでもあるのです。

真っすぐに顔を上げて、
自分の信ずるところを語れば良いのです。

それは、困難なことでもあり、
多くの塾生たちが、
卒塾後に掴むことができるものかもしれません。

卒塾生たちの『絆』のメッセージがそれを物語っています。



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お誕生日

2014年03月07日 | Weblog
昨日は我が社のスタッフのお誕生日でした。

私の会社は、
一人一人のメンバーと
心通う組織でありたいと願っています。

ささやかですが、
一人一人の誕生日にはお祝いをし、
みんなで食事に出かけます。

二度とない人生の中で、
Vision&Education,Ltd.という本当にささやかな会社で、
大切な人生の時間を共に過ごして下さる皆さんに感謝です!

そして、
私は更に厳しく仕事を追究していきます。



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いかがわしさ

2014年03月07日 | Weblog
商売であれ、教育であれ、
宗教であれ、思想であれ、

一種のいかがわしさを感じた瞬間に、
私はその類いの人と一線を画したくなります。

本物はやはり、美しさを持つものだと思います。

それは芸術的であり、
澄んだ心のみが生み出すことのできる
落ち着いた美しさなのだと思います。

一方で、
本物は人間を信じる心が生み出したものなのだと思います。

猜疑心に固まっていては、
素晴らしい作品の世界を感じ取ることはできないと思います。

とにかく真っ直ぐに突き進んでいきます。






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残るもの

2014年03月06日 | Weblog
人が亡くなったとしても、
その人の善き考え方や生き方は、
しっかりと心に残っていくものだということを感じました。

どうやらその人の行動によって示された、
善き心は死なないもののようです。

善き心とは、
つまるところ、
利他の心、私心なき心だと思います。





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これから

2014年03月05日 | Weblog
父の23回忌が終わりました。
故人を偲ぶということの重みが、
年と共に少しずつ感じられるようになってきました。

父は61歳で亡くなりましたから、
私も人生のゴールをとりあえず、
その年齢に定めて生きてきました。

今、私は51歳ですから、あと10年。
正確には7月で52歳ですから、あと9年。

何とも短過ぎます。

それ以上に寿命をいただけるのかもしれませんが、
とりあえず、そこを仮のゴールにして全力疾走していきます。

今、やりたいことは、
「志の教育」を形にして次世代に手渡すこと。
「国語教育」の新しいメソッドを作り上げるチャレンジをすること。
この二つです。

そして、その過程において、
多くの子供たちの思考力を高め、
志高き人材を育成し続けていきたいと思っています。

ただそれだけのことですが、
死にものぐるいの努力が必要ですし、
まだまだ、これからなのです。








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先生とは

2014年03月04日 | Weblog
先生とはどのような存在か?

辞書を引いてみました。


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せん‐せい 【先生】

《4が原義》

1 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。

2 教師・師匠・医師・代議士など学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。呼びかけるときなどに代名詞的に、また人名に付けて敬称としても用いる。

3 親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。

4 自分より先に生まれた人。年長者。


デジタル大辞泉の解説より

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さて、学問や技術を教えるとして、
先生の持っている知識や技術は、
今の時代にどれほどの価値を持つものなのでしょうか?

学校が、先生が、
時代に取り残されてはいないでしょうか?

先を生きているから先生という意味でもあるようですが、
本当に時代の先を生きているのでしょうか?

いや、流行よりも不易が大切だとして、
不易なる人間としての在り方を
先生は本当に極めているのでしょうか?



先生を責めているのではありません。

現代の凄まじいまでの社会変化を受け止め、
子供たちの教育をしていくということは、
並大抵の努力でできることではないのです。

しかし、
私たち教師は、
それを実現できるように、
必死の努力を続けなければならないのです。

そのために、
私は教師という立場を捨て、
教師という仕事を大きな視点からとらえなおし、
改革への道筋をつけられるようにチャレンジを続けます。

今の時代には必要なことだと思います。




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成果とは

2014年03月03日 | Weblog

教育の成果はなかなか見えないものです。

それでも私は惜しみなくエネルギーを注ぎ続けます。

わかりにくさ故に、
多くの誤解や批難を受けることでしょうが、
それは仕方のないこと。

そのことがよくわかってきました。

だから実践しチャレンジし続けるだけです。

支えて下さっている方に、
心からの感謝をしつつ・・・。

自分の道を一歩一歩、
心を込めて歩いて行きます。
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