Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

心の中が映し出される

2013年05月26日 | Weblog
私たちが、日々の生活の中で
本当に理解できる人たちの数は限られています。

多くの人たちの働きぶりは、
実は「わからない」というのが本当のところです。

しかし、私たちは、
政治家や官僚やマスコミの人間に対して、
すぐに不信感を持ちます。

「きっと甘い汁を吸っているに違いない。」
「きっと不当に搾取しているに違いない。」
「きっと何か悪意があるに違いない。」

だったら、
自分が政治家や官僚やマスコミになれば良いのです。

なれないのであれば、
あるいは、
ならないのであれば、

その程度の見識と決意で
批判をしても仕方がないと思います。

言い方を変えれば、

私たちは、見えない世界の人たちに対して、

「信じよう」と思うこともできるし、
「疑おう」と思うこともできるのです。

そして、それは、自分自身の心の持ち方が
常に投影されているのだと自覚することが大切です。

結局、世の中を良くする道は、
自分の中にしかないのです。

私はそう思います。









コメント (1)

人は誰しも

2013年05月24日 | Weblog

人は誰しも子供の心を持ち続けています。

不思議なことに目を輝かせたり、
ひとりぼっちでいてとても寂しくなったり、
無謀なことにチャレンジしてみたくなったり、
みんなで大はしゃぎしてみたり…。

一つ一つのできごとが、
光と影のように織りなされて、
心の躍動感が生み出されていきます。

大切なことは、
その躍動感をいつまでも失わないこと。

瑞々しい感性と、
高い理想を持ち続けること。

私はそんな大人であり続けたいと思います。
コメント

深さと広さの両立

2013年05月23日 | Weblog

広げようとすれば、浅くなり、
深めようとすれば、狭くなる。

学問も仕事も人間関係も
そうした傾向があるものだと思います。

だからこそ、
広さと深さという、
一見、対立しているように見えることを
両立できるよう努力することが大切なのだと思います。

そして、それは、
チャレンジし続ける限り、
決して不可能なことではないのだと思います。
コメント

祈り

2013年05月16日 | Weblog
限られた命だからこそ、

誠実であろうと思います。

コメント

喜々として

2013年05月15日 | Weblog

喜々として、

自分の信ずる道を歩むことが大切なのだと思います。

コメント

教育改革とは

2013年05月14日 | Weblog
教育改革とは、
教育に携わる一人一人の意識と
行動が変わると言うことでしかありません。

その意味で、
私は一人一人の先生方が、
一人の人間として社会人として
目覚めて行かれることを心から祈っています。

ある方が、講演の中で、こう仰いました。

「学校の先生は、
 教科書を教えるプロであっても、
 教育のプロではない。」

実に的確なメッセージです。

そして、

実に残念な現実を突きつけられたメッセージです。


私は、現場教師の頃、
学校の中だけでしか通用しない
教師にはなりたくありませんでした。

そして、
学校の教師が持つ知識やスキルや人間性は、
企業教育では歯牙にもかけられないことを口惜しく思っていました。

わかりやすく言うと、

学校が企業教育に学ぶことがあっても、
企業が学校教育に学ぶことはないということです。

教育のプロとしては明らかな敗北であり、
私はそれが歯ぎしりするほど口惜しかったのです。

だから、多くのことを
学んで学んで学び抜こうと努力し続けました。

しかし、そうすればするほど、
結局、私は学校教育から遠ざかる一方のように感じています。

とにかく私は、虚心に学び続けるのみです。


コメント

答えのないことに向き合う

2013年05月10日 | Weblog
受験勉強など「答えのある学び」が、
今の時代、学びの中心になっています。

しかし、一方で、
「答えのない学び」が疎かにされていることを危惧します。

自分は何のために学ぶのか。
自分は何のために生まれてきたのか。

こうした「答えのない学び」に向き合うことで、
人は人生の目的を見いだしていくのだと思います。
つまり、志を立てると言うことです。

それが、「答えのある学び」に意味を与えてくれるのです。

学校や塾などでの「答えのある学び」を
充実したものにするためには、

なぜ学校に行くのか、
何故生きるのかといった、
「答えのない学び」を
充実させなければならないと思います。

人間はやる意味がわからないことに対しては、
そうそう力を出せるものではありません。

「答えのある学び」と「答えのない学び」は
車の両輪だったのです。

私たちは、「学び」とは、
「答えのあることを学ぶこと」だと
思い込み過ぎてはいなかったでしょうか。

だからこそ、
私は、「答えのない学び」に立ち向かっていきます。


コメント

子供は子供らしく、大人は大人らしく

2013年05月08日 | Weblog
「らしさ」という言葉が批判された時期がありました。

しかし、青年期にさしかかろうとする
子どもたちの姿を見ていて思うことは、

もっと子供らしく子供時代を過ごせたら、
もっと大きく人間的成長ができるのではないかということです。

のびのびと、
子供は子供らしく。

男の子などは特に、
母親から見れば、
訳のわからないことばかりする
実に馬鹿げた生き物に見えることもあると思います。

でも、それを暖かく見守っていくことが、
将来、自立した逞しい男性に育っていく上で
とても重要なのだと、今、確信を持って言えます。

親は、子供に、大人のように分別があることを求めます。

しかし、小さな子供は、
無分別で、色々な失敗をやらかすものなのです。

そして、時に涙を流して母親の膝に帰ってくる。
しばらくして、安心したら、
また、ケロッと忘れて、
次の冒険にチャレンジしにゴソゴソと動き始める。


そうしているうちに、自立が始まるのだと思います。

父親がいない、母親がいない子どもたちにも、
誰かが暖かく関わって、暖かく見守ることが大切なのです。

その時代があるからこそ、
子供は大人になって、
厳しい状況に立ち向かっていくことができるのだろうと思います。

そして、

大人は大人らしく、
楽しく厳しく生きる後ろ姿を
子どもたちに見せていてかなければならないのだと思います。


こうした問題を一般論にすることは、
もちろん正確な論理ではありません。


しかし、それでも私は、

子供時代に子供らしくあることが、
大人になって大人らしく生きることに
結びついているのではないかと感覚的に思うのです。








コメント

二項対立の必要性

2013年05月02日 | Weblog
一つの団体に所属すると、

大体の場合、
それに対する勢力と反目することになります。

与党と野党の対立のようなものですし、
左翼と右翼の対立のようなものです。

二項対立の中にいると、

気がつかぬ間に、
二項対立の軸で物事を見てしまいます。
そして、相手を論難することに力を注ぎます。

その時点で、眼は曇っているのです。

目的が、
国を良くするためであり、
教育を良くするためであれば、
多少なりとも共有できる視点はあるはずです。

しかし、共に歩もうとはしなくなる。

二項対立という考えにとらわれていることの問題点は、、

何より自分の物の見方が卑しくなるということだと思います。

以前の私もきっとそうでした。


私はもっと人として大切な価値観と
向き合っていたいと思います。







コメント

より良い教育の実現

2013年05月01日 | Weblog
私は、

「日本の教育をより良いものにしたい」

という志を持って人生を走り続けてきました。


そのために、結果的に教員も辞めてしまいました。

教員免許の更新にも行く暇はありませんから、
遅かれ早かれ免許も失効するのでしょう。

しかし、それも亦良しです。

私を先生だと思ってくれるかどうかは、
共に学んで下さる子供たちや大人たちが決めることです。
それで良いのです。
これほどすっきりした話しはありません。

肩書きや地位が一切関係のない世界。

免許状があろうがなかろうが、
教員であろうがなかろうが、

とにかく、
日本の教育をより良いものにするために
私は全力を尽くします。









コメント