まだ正確には終わっていないが、昨年度は、縁あって高校の教壇に一年間立たせていただくこととなった。慌ただしいスケジュールの合間を縫っての、週に数日限りの教師生活だったが、一年が終わってみて、「教師とは何と素晴らしい仕事か!」と改めて思った。
最後の授業で生徒たちが書いてくれた感想には心が震えた。感動した!感激した!感謝した!
素晴らしい生徒たち!素晴らしい学び舎!である。
とにかく嬉しかった。
そして、
「あぁ、今まで私が目指そうとしてきた道は間違っていなかったのだ」と思った。
それを生徒たちにはっきりと教えてもらった。
私はこれからも、私の師道を探究していく。
酒を愛し、人を愛し、旅を愛し、
二度とないこの生を愛しつつ、
文学や芸術を愛し、風流を好む心を貫きたい。
そして、志に生きたい。
豊かな人生を生きることが私は好きである。
だから、あらゆる枠にも肩書きにも、
とらわれることはないだろう。
私なんぞが、新渡戸稲造の言うところの
「教育家」になることは
無理に決まってはいるが、
新渡戸の『自警録』の言葉には、やはり心引かれるので、紹介しておきたい。
「日本の教育を進めるには、
必ずしも大臣になりあるいは文部の役人となる必要はない。また県の教育課長、視学官になる必要もない。真に教育を理想とするなら、学校の教師になる必要もないくらいである。
(中略)
むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等はみな塾を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。
藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。
人そのものが教育である。
人が真に教育家なら笑っていても教育になる。
寝ているのも教育になる。
一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。
われわれの目的および理想が教育であるなら、
全身その理想に充ち満ち、
することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。」
最後の授業で生徒たちが書いてくれた感想には心が震えた。感動した!感激した!感謝した!
素晴らしい生徒たち!素晴らしい学び舎!である。
とにかく嬉しかった。
そして、
「あぁ、今まで私が目指そうとしてきた道は間違っていなかったのだ」と思った。
それを生徒たちにはっきりと教えてもらった。
私はこれからも、私の師道を探究していく。
酒を愛し、人を愛し、旅を愛し、
二度とないこの生を愛しつつ、
文学や芸術を愛し、風流を好む心を貫きたい。
そして、志に生きたい。
豊かな人生を生きることが私は好きである。
だから、あらゆる枠にも肩書きにも、
とらわれることはないだろう。
私なんぞが、新渡戸稲造の言うところの
「教育家」になることは
無理に決まってはいるが、
新渡戸の『自警録』の言葉には、やはり心引かれるので、紹介しておきたい。
「日本の教育を進めるには、
必ずしも大臣になりあるいは文部の役人となる必要はない。また県の教育課長、視学官になる必要もない。真に教育を理想とするなら、学校の教師になる必要もないくらいである。
(中略)
むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等はみな塾を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。
藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。
人そのものが教育である。
人が真に教育家なら笑っていても教育になる。
寝ているのも教育になる。
一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。
われわれの目的および理想が教育であるなら、
全身その理想に充ち満ち、
することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。」