Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

2018年03月29日 | Weblog
社長室の机を買い換えました。

なんと、組み立てが必要で、さぁ、大変。
でも、何とかやり遂げました。

三階の社長室では、
講演・研修のプランニング、
教育プログラムの策定、
原稿執筆等に集中できる環境をつくりました。
(まだ、現在進行形ですが・・・。)

オフィスも少しずつ整えていきます。
(きっとスタッフの皆さんが・・・。)

一階のセミナールームは資料室にして、
多岐にわたる資料を捜しやすくしました。
(これもまだ、現在進行形です。)

二階は図書室とキッチンですが、
お客様を迎えられるようになるまでに、
あと数ヶ月かかりそうです。

新年度は、
更に次のステージに行けるように、
一つ一つ実行に移していきます。

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講演・研修

2018年03月28日 | Weblog
講演や研修を進めていくのに、
私は常に臨機応変に進められるように
準備をしておきたいと思っています。

また、完成されなくても良い
ワークシートの使い方も
ありだと思っています。

書いてみてはじめて、
書けないことがわかるということも
大切なことだからです。

また、
時間通りに進められるかどうかも
自分ではよくわかりません。

相手の反応を受け止めていれば、
当然、時間の流れは変わってくるからです。

ただ、
それでも総体として、
心に深く残る時間を作りたいと思っています。

計画通りに、
人間が教育され、
成長するなどという考えには、
私は到底なれません。

自分自身、
そうはならないということが
よくわかっているからです。

だから私は、
沢山の予備の力を蓄えて、
(要するに多くの無駄を作って)
講演・研修には臨もうと思っています。

それは、
受講者に対する敬意であり、
人間に対する敬意でもあります。

機械的にやる研修は、
私のやるべきことではありません。

捨てる神あれば、拾う神あり。

私は私の良心の声に従って動くだけです。

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季節の花と共に

2018年03月28日 | Weblog
今日は自宅から会社に、
木瓜(ぼけ)の花を一枝手折ってきました。

年が明けると、

我が家の庭では、

素心臘梅の香りと共に黄色い花が咲き、

紅白の梅が咲き始め、

桜桃(さくらんぼ)の花が咲き、

そして、今は木瓜の花です。

その間、椿や水仙も咲いています。

国語の教師だった亡父は、

日本の美しさを愛した人だったのだと
つくづく思います。

季節毎に花の咲く木を植え、育て、
花を愛でる心を持った人だったからです。

それは教育をする心に
繋がっていたのだろうと思います。

美しい花を見るために、
土にまみれる事を厭わない心、

手間暇かけて育て、
花を咲かせることに、
価値を見出していたのだろうと思います。

花にも人にも・・・。
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言語空間の違い

2018年03月27日 | Weblog
公立学校教育を取り巻く言語空間と、
一般社会の言語空間では、
全くニュアンスが変わってくる言葉があります。

それは、両者を経験したことがない人には、
ちょっとわかりにくいことだと思います。

ここ10年ほどの私は心穏やかです。

イデオロギーの対立に巻き込まれて、
先鋭的にならなくて良いからです。

様々な団体との関わりも一切なくなり、
個人として、純粋に物を言って良い環境に
いられるようになったからです。







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子どもが出来たら

2018年03月27日 | Weblog
「子どもが出来たら、
 絶対、バッカーズ寺子屋に通わせたい!」

専門学校の男子学生が言ってくれました。
萩往還を一緒に歩いた仲間です。

とても嬉しい瞬間でした。

そういえば、
10年前に高校生からも
同じことを言われた記憶があります。

何年後かに、
そうしたことが起きてくるのであれば、
教育者としては、夢のようなことです。

でも、同時に、
責任を痛感した瞬間でもありました。

この寺子屋の学びを、
次世代に遺していかなければならない。

そうした思いが、頭をよぎりました。

私が死んでこの世にいなくなった後も、
誰かがその精神と方法を受け継いで、
やっていけるようにしておかなくてはならない。

そんな思いが芽生えてきました。

出会いの神様に祈り続けようと思います。




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いにしへの

2018年03月27日 | Weblog
いにしへの道を聞きても唱えても
我が行ひにせずば甲斐なし


どんなに古今東西の
聖賢の教えに触れたとしても、

それを自分の行動として
とらえていくことができなければ、
無意味だと思います。

そうした人が実に多いと思います。

聖賢の教えは、
一見、きれい事のようにしか
思えないときもあります。

その教えに従えば従うほど、
一時的に、
馬鹿を見ているような
気になることもあります。

しかし、

それを乗り越えて、
それをやり抜いた先に真実はあります。

私ももっともっと、
学び続け、
自分を磨き抜いて、
まだ見ぬ世界を見てみたいと思います。
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教育の理想

2018年03月23日 | Weblog
理想的な教育というのは、

教育を受けている時には、
教育を受けているとは思えず、

教育を受けた後になっては、
何を教育してもらったか、
はっきりとは記憶に残っておらず、

それでいて、

いつの間にか、
素晴らしい人格となり、
素晴らしく社会に貢献する。

そんな人たちが、
沢山育っていくということだと思います。
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光陰矢の如し

2018年03月23日 | Weblog
月並みな言葉ですが、

光陰矢の如し、

このことを実感する日々です。

もっと一日をしっかり味わっていたい気もします。

でも、今は、

無我夢中で、

一日を駆け抜けていくことが

私の使命なのだと思います。

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もっと力を

2018年03月22日 | Weblog
バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋の
スピーチコンテストが終わりました。

テーマは「日本の未来」。

このテーマに対して、
自分の信念と共に力強く語ることは、
大人にもなかなかできないことだと思います。

いや、私自身、
三十代、四十代でも、
しっかり語れたかどうかは怪しいものです。

しかし、
未来を担う人財に大いに期待していますし、
必ずもっと高みに到達できると信じています。

課題は常に、指導者の側の力不足にあります。

子供たちがどこまで伸びて行けるかどうかは、
私自身の成長如何にかかっているのです。

また、新たな思いで、学び続けようと思います。


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落差が大切

2018年03月20日 | Weblog
プライドの高さは大切だと思います。
それは自らを恃む気持ちです。
鼻持ちならぬプライドではなく、
自負心と言うべきものです。

一方で、自信のなさというか、
細部を見つめていく繊細さを持ち、
その一つ一つが完璧にならぬもどかしさに、
苦悩し続けることも大切だと思います。

つまり、

自分の未熟さにいつも打ちのめされる、
痛々しい感性を常に持ちつつ、

このままでは絶対に終わらない、
絶対に成長してみせるという、
誇りと強い意志を持つことが大切で、

その両者の落差が大きいことが、
人を高みに連れて行ってくれるように思います。

言い換えれば、

そこそこでいいやと思う人に、
大きな成果は得られないし、

自分のやっていることの
レベルの低さに気づけないようでは、
成長はないということです。

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