Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

日本を知る

2011年11月30日 | Weblog
私たちは日本という国に生まれ育ちました。

しかし、そのことと、
自国の自然・歴史・文化を
どこまで深く理解しているかということは、
多少、趣を異にしていると思います。。

その国に生まれ育ったということは、
自国の様々なことを
肌で感じてきていることを意味します。

しかし、
そのことに対して自覚的であるためには、
他国を知らなければなりませんし、
自国を語る言葉に触れなければならないと思います。

つまり、
自国を深く理解するためには、
外からの視点を持ち、
世界という座標の中で自国を理解することが大切ですし、

また、
自らを語る言葉を持つためには、
感じ、気づき、深く考え抜くことが大切だと思います。

より日本的であることが世界に通じるのだと
改めて学ばせていただくことのできた週末でした。
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人生の成果

2011年11月21日 | Weblog
 スティービー・クレオ・ダービックの著書『新 自分を磨く方法』に次のようなエピソードが出てきます。

南の島にバカンスでやってきたビジネスマンがある朝浜辺を散歩していた。
そのうち、地元の男が一人、ヤシの木陰で寝そべっているのが目に入った。
ビジネスマンはその男に近づき、話しかけてみた。
「君は仕事がないのかね?」
男は目を開き、にっこり笑うと言った。
「朝早く漁に出て、もうひと仕事終えたんですよ」
ビジネスマンは驚いた。
「えっ!まだ朝の10時だよ。これで仕事は終わりかい?」
「2、3時間漁をすれば一家5人が食っていけるくらいは魚がとれるんでね。
あとは、こうしてのんびりしてるんです」
「でも、1日働けば、それだけお金が稼げるだろうに」
男はビジネスマンに尋ねた。
「それじゃあなたは毎日、どのくらい働いてるんですか?」
「朝の8時にはオフィスにいて、それから夜の11時くらいまで仕事だね。
週末も2日のうち1日は働いているよ」
「なぜそんなに働くんです?」
ビジネスマンは内心、いかにも南国人らしいこの怠け者の男に、
勤勉ということの価値を教えてやろうと考え、熱のこもった口調でこう言った。
「働けば、それだけ評価が上がって、給料も上がる。私は20年間懸命に働いてきたから地位も収入も十分になった。だからこうやって、南の島に来てのんびりできるわけさ。」
すると、男はこう言った。
「南の島でのんびり、なら私は生まれた時からやってますよ。20年あくせく働かないと実現しないなんて、あなたがたはお気の毒なことですね」

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 この話は「人生あくせく働くだけが全てじゃない」ということや「幸福の尺度はお金では計れない」といったことの喩えとして使われることが多いようですが、私はむしろ、「人生の終着地点を同じような形で迎えたとしても、それは決して人生の意味が同じであったということにはならない。なぜなら、人生の意味は、決してその終着地点にはなく、過ごしてきた日々の過程にあるからだ。」ということを強く思います。
 例えば、今日で私の人生が終わるとすれば、私の人生の価値というものは、昨日までの人生の日々を如何に生きたかによって決められるしかないものです。まだ生きていない明日以降の予定で、その人の人生が論じられることは決してありません。ということは、1日1日を、如何に真剣に、そして、丁寧に、人々と共に生きたかということが、その人の「人生の成果」になるのだと思います。だから、人生の終わりの日々が「南の島でゆったりする」というものであったとしても、その人の人生の価値はその瞬間にあるのではなく、これまでの日々の積み重ねの中にこそあるはずです。もちろん、「南の島でゆったりしている時間」もその人の人生の時間の一部であるわけですから、それが、今後の人生にどう活かされていくのかで、その価値もまた決まっていくのだと思います。
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心のふるさと

2011年11月18日 | Weblog
「ふるさとがあるから、
人は世界のどこに行っても戦える。」

世界的に活躍している建築家の方から、
こんな大切な言葉を聞くことができました。

愛情不足の中で育つ子供たちが多い昨今、
家庭は子供たちの心のふるさとであって欲しいと思います。

塾やお稽古ごともいいけれど、
子供にとっての、
心のふるさとになっていますか?

心のふるさとには、
無条件の許しがあるのだと思います。
すべてを受け入れてくれる愛があるのだと思います。

帰る場所があるから、
人は戦うことができる。

退路を断っての捨て身の戦いは悲しい戦い。

さまざまな人たちと共に学び、
その巣立ちを見送っていく
私たちの会社も学び舎も、
帰るべきあたたかな場所でありたいと思っています。

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人格の向上

2011年11月13日 | Weblog
どんなに法律を作ったところで、
悪がなくなるわけでもないと思います。

政治にせよ、
経済にせよ、

一つ一つの商品開発にせよ、
サービスの提供にせよ、

結局は、
人間が成長していく以外にはない。
そう、思います。

例えば、
「殺人ゲーム」が青少年に悪いからといっても、
そこに何某かの価値を見いだす需要者と供給者がいれば、
ビジネスとしては一応成り立つわけです。

それを乗り越えていく道はただ一つ。

作る側の良心と、
買う側の良心が成長して、

つまり、

そんなものは作ることが出来ても作らないという良心と、
買うことが出来ても欲しくはないという良心が、
共に成長して初めて、社会が一歩前進するのだと思います。

私は理想論を語っているのではありません。

一国の政治家の姿も、国の姿も、
詰まるところは、
国民の映し鏡であるということを、
痛感しているのです。

そして、一人の教育者としての
無力をかみしめつつ、
明日を見据えているのです。
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考える時間を作る

2011年11月12日 | Weblog
教育にとって大切なことは、
知識の伝達でなく、
考える力や、
感じる力、
そして、
それを表現し伝える力だと思います。

今までの方法で授業を行っていては、
明らかに駄目だと思います。

その危機感をどれほど先生方は
持っているのか。
そこが大きなポイントです。

古典の授業でも、
考える授業、思考力を鍛える授業は、
実現可能なのではないかと思います。

もちろん、
模試との兼ね合いがありますが、

いや、だからこそ、
考える学びを共に行うことで、
成績が上がっていくことを目指したいのです。

今年、一年間、そのチャレンジをしていますが、
手応えはだいぶ出てきました。

あと四ヶ月、全力で、
共に学びたいと思っています。

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夢と志

2011年11月09日 | Weblog
「夢物語」とは言うが、
「志物語」とは言わない。

「お前、夢みたいなことばかり言ってるんじゃない!」とは言うが、
「お前、志みたいなことばかり言ってるんじゃない!」とは言わない。

「私の夢は、儚く消えた」とは言うが、
「私の志は、儚く消えた」とは言わない。

「夢」を持つことは楽しい。
だから、大いに夢を持って生きていきたい。

しかし、「志」という言葉の方が、
私にはしっくり来る。

それは、地に足が着いた言葉だからであり、
それは、信念を伴った言葉だからであり、
それは、人々のためにという思いを伴った言葉だからである。

そして、何よりも、
今の日本に欠けている、
「覚悟」を伴った言葉だからである。



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志の教育

2011年11月09日 | Weblog
この不透明な時代に大切なのは、
やはり、自分の「志」をしっかりと持つことだと改めて思います。

いいえ、不透明な時代であろうとなかろうと、
二度と無い人生を燃焼し尽くすためには、
やはり、「志」が大切なのだと思います。

少しずつ、
「同志」と言うべき人たちが増えていることを、
日々実感しています。

それは、私にとって大きな喜びです。

多くの人たちが、
「志」という言葉の本当の意味に気づき、
素晴らしい人生を送って下さっていることに、
私自身が励まされています。

私の「志」は、
具体的には色々と表現できますが、

一言で言えば、
「志の教育」をあらゆるシーンで創ること。

それに尽きます。

私自身が志高く生きることが、
日々求められている厳しさに感謝したいと思います。









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情報過多の時代に

2011年11月04日 | Weblog
新聞、雑誌、漫画、テレビ、DVD、インターネット、
日本には様々な情報があふれかえっています。

その情報の多くは、
本能的欲求から知的欲求にいたるまで、
人間の好奇心という好奇心に働きかけ、
ある種の満足感を与えてくれます。

しかし、その情報は、
その人の仕事や生活にとって、
どれほどの役に立っているのだろうかと思います。

もちろん生活に潤いが必要であることと同様に、
情報にも幅広さと遊びの部分も必要です。

しかし、それにしても…、と思うのです。

怖いのは、各種ゲームでも、
一種の向上心が生まれ達成感が得られます。
同様に、テレビのニュースやインターネットでも、
学んでいるという意識がうまれます。

しかし、それは人間の成長に役立たない、
偽物の向上心であり、達成感であり、学びであることも多いのです。

その情報空間に支配された結果が、
幾多の「評論家」たちを
生み出しているのではないでしょうか。

しかし、それでは、世の中を変革する力にはならない。

私は常に、
手応えのある、
確かな一歩一歩を、
大切にしていこうと思っています。


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与え続けること

2011年11月04日 | Weblog
人間は基本的には、
していただいたことしか、
してあげることができないと思います。

父にしていただいたこと、
母にしていただいたこと、
祖父にしていただいたこと、
祖母にしていただいたこと…。

私たちは、
ついつい日頃忘れていますが、
生まれたときから、
沢山、沢山していただいて
大人になっているのだと思います。

だから、大人になった今、
するべきことは一つだけ。

与え続けると言うこと。

しかし、私たちは、
損得の勘定に目を曇らせ、
与えることは失うことだと勘違いしてしまいます。

与えることは、与えられること。
してあげることは、していただくこと。

それは、その時、その場限りの、
一対一の物々交換のようなものではなく、

長い時間の中でやりとりされる無限のつながり。

だから、いくら与えたとしても、
きっと私たちは何も失ってはいないのです。

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テーブルマナー

2011年11月04日 | Weblog
今日は、バッカーズ九州寺子屋での、
テーブルマナーの勉強でした。

テーブルマナーの食事会は一般的ですが、
バッカーズ寺子屋では、
どこまで深く学べるかを追求したいと思っています。

少人数だからできる学び方、
時間の枠にとらわれないからできる学び方。
そんなテーブルマナーの学びは、
とても有意義なものになっていると思います。

マナーを学ぶのは、自分が恥をかかないためではなく、
周囲の人たちが不快な気分にならないための心配り。

自分軸ではなく、相手軸での行動を。

何度同じことを学ぼうとも、
学びは日々に新しいのだと思います。




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