Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

自分で考える力の大切さ

2015年04月30日 | Weblog
安倍首相の米議会での演説を報じた新聞各紙の見出しに
とても考えさせられた。

演説全体を聴いていて、
内容の重きは、どう考えても「大戦への反省」とは思えなかった。

しかし、見出しは以下の通りだ。


1.安倍首相「大戦、痛切な反省」 米議会で演説

2.大戦に「痛切な反省」表明…首相、米議会で演説

3.「首相、大戦、痛切に反省」

4.安倍首相、米議会演説で「希望の同盟」を強調

かく報じなければという思い込みが、
メディアの中枢を担う世代にはあるのだろうか。

しかし、私にはその縛られ方の方にすごく違和感がある。
言論とは自由なものではなかったのだろうか。

4.の産経新聞を除いて、
どうにも、画一的、言論統制的反応と思えてならない。

見出しというのは、そもそも、
全体をひと言で端的に示すものではないのだろうか。
そして、新聞社は、そのプロなのではなかったのだろうか。

自由だから、
自由に書いた結果、
みんな同じで画一的になりました。
というなんとも日本的な落ちをつけるしか、
どうしようもないのかもしれないが、

インターネットの普及により、
急速に時代は変化し、
ようやく江藤淳氏が指摘したところの
「閉ざされた言語空間」の呪縛が解けた世代か生まれ始めている。

次世代の若者たちは、
言語空間や空気に縛られることなく、
0から物を論理的に考える人間になって欲しい。

人間は見たいようにしか物を見ることができず、
聞きたいようにしか話を聞くことができない存在でもある。

だからこそ、
若者たちには、
公平さと冷静さと論理性、
そして、勇気を身につけて、
新しい時代を切り拓いていって欲しい。









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悪しき病

2015年04月27日 | Weblog
人の成長にとって、最も悪しき病は、
「話を聴かない」「素直に聴かない」
ということだと思います。

大切なメッセージが、
同じように投げかけられ、
同じように受け取るチャンスはあるのに、

成長のチャンスを常に逃していく子どもと、
常にしっかりキャッチできる子どもがいます。

その差は小さな差ですが、
習慣の差であるがゆえに、
月日を重ねる毎に、
どんどん開いていってしまいます。

素直な心でいること。
人の話を真摯に聴くこと。

このたった二つのことが、
とても大切なのだと痛切に感じる日々です。

何とかして、
この習慣がみんなの身につくように、
奮闘し続けます。
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人生の学び

2015年04月22日 | Weblog
人生の学びは積み重ねだと思います。

良きものに触れていなければ、
それ相応の年になっても、
真贋はわからないでしょう。

しかし、わからないからと言って、
人としての価値に遜色があるわけでもありません。

それぞれで良いのです。

本物の出汁をとった味噌汁と、
インスタントの味噌汁との区別がつかなくとも、
どちらも美味しくいただけることは、
別に悪いことではありません。

しかし、私は、やはり、
本物がわかる人間でありたいと思います。

和菓子にせよ、陶器にせよ、何にせよ、
本物はそこにたどり着くまでに、
素材や材料を徹底して吟味し抜き、
過去の一流を研究し、学び抜き、
その上で技を磨き、人格を磨き、
作り上げられたものだと思うからです。

私は、そこにこそ、
敬意を払いたいと思うのです。

そして、敬意を払うには、
違いがわからないといけません。

違いがわかるためには教養が必要です。

沢山の本を読み、学びへの真摯な姿勢を
持ち続けることがどうしても必要なのです。

違いがわからなければ、
敬意の払いようはありません。

魯山人の備前花入れに造花を生けるが如きは、
私の美意識とは違うところにあります。

善悪でも、優劣でもありません。
信じる宗教の違いのようなものでしょうか。


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雨もまた良し

2015年04月20日 | Weblog
今日は雨です。

人生にも、
晴れの日もあれば、
雨の日の時もあります。

雨が降らなければ、
晴れの日の心地よさはわからないもの。

雨が降らなければ、
人間も植物も生長しないもの。

晴れが良いとか、
雨が良いとか、
人間の気分で言っているだけに過ぎません。

万物にとっては、
双方共にかけがえのないものです。

晴れも良し、雨もまた良し。





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祈り

2015年04月14日 | Weblog
ふと、私は多くの人たちに、
祈っていただいて生きてきたのではないかと
気付かされました。

ここでいう「祈り」とは、
必ずしも宗教的なものを言っているのではありません。

父母が子に「健やかなれ」と願う「祈り」。
子が父母に「健やかなれ」と願う「祈り」。
祖父母が孫に「健やかなれ」と願う「祈り」。
孫が祖父母に「健やかなれ」と願う「祈り」。

そうした人間の愛情と共にある「祈り」です。

私自身がそうであったように、
私たちは誰かのために祈ることと、
自分が祈っていただいているということを
忘れてしまっているような気がします。

以下は、
4月11日 6時40分更新のYahoo!の
ニュースページの見出しです。

・全国1510施設で高齢者虐待か
・韓国で生徒22人万引き 謹慎に
・14歳少女を痴漢 80歳男を逮捕
・清朝最後の皇帝の弟が死去
・日本最長の高速バス 休止へ
・燕首位タイ 59年ぶりの記録も
・R1準優勝 35歳で俳優から転身
・ふた寄付問題 協力の淳も怒り

「祈り・祈られること」を忘れ去った、
私たちの作る社会は、
このようなものでしかなかったのかもしれません。

しかし、「祈ること」は、
何も持たない貧しき存在にもできることのはずです。

誰かのために、
私も祈り続けられる人間であろうと
改めて思います。

そして、
現役の教育者であり経営者であるということは、

祈るだけではなく、
現実の社会で闘い続け、
成果を出し続けるということにほかなりません。

更に厳しく、自分を磨き続けます。


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人生二度なし

2015年04月10日 | Weblog
人生は一度限りです。

出会った人に、
できる限りのことをしてさしあげられる
力を持った人間になりたいと思います。

喜んでいただけることを、
一つでも生み出せたら、
ささやかであっても生きた価値が
私にもあるのではないかと思います。

悲しいことに、
私にできることはたいしてありません。

だからこそ、先を考えて、
今を全力で生きなければと思います。

死生観を磨くことが、
生を輝かせていくうえで大切な事のように思います。

多くの出会いに感謝し、
更に、自分を磨いていきます。

私にはそれしかないからです。



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命日に思う

2015年04月09日 | Weblog
今日は、父の命日です。

亡くなった時の悲しみはとても深いものがありました。

でも、今は、不思議なことに、
共に生きている感覚が年々強まっていくのを感じます。

同じ教育をテーマに人生を生きているからでしょうか。

とっくに亡くなっているのに、
確かに自分の中には父が存在している。

そんな感じです。

忙しい毎日ですから、お墓には行きません。

「風居(父の墓に刻まれた文字はこの二文字のみ)へは、
 3年か5年に一度、西王母の咲く頃、来れば良い。」

病床の中、書き綴ったノートに書かれていた私へのメッセージです。
父の遺言を守ります。

西王母とは、一重の筒咲きの椿で、
西王母の持っていた桃のような花をつけます。

川筋者の気性の荒さと、
細やかな愛情を持ち、
野の花の美しさを愛した人でした。


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