Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

復活!

2017年02月28日 | Weblog
ようやくバッカーズ寺子屋の皆さんに、
バースデーカードを書けるようになりました。

遅くなってごめんなさい。

本当は、
新年から復活の予定で、
年賀状には1月から復活させると
豪語していたのですが・・・。

面目ない・・・。

でも、ようやく復活!
私もとても嬉しいです。

スタッフのサポートがあって、
初めてできることです。

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日本科学未来館

2017年02月24日 | Weblog
バッカーズ九州寺子屋では、
2回目の合宿の際、
日本科学未来館へ行きます。

今期もASIMOのショーを見ました。

科学コミュニケーターの方が、
小さな子供に、
「アシモと何して遊びたい?」
と聞いていました。、

その子は、嬉しそうに、
「海で遊びたい!」と答えていました。

大人の発想では「水分も塩分も細かい砂も、
機械にとっては天敵だから無理。」となりそうです。

しかし、子供の無邪気な発想は、
真っ直ぐで核心を突いています。

この子のように、
何ものにも囚われずに、
「こんなことができたらいいなぁ。」という思いが、
人間の科学技術を発展させる
大きな原動力となってきたのだと思います。

現実に飲み込まれ、
妥協することが
大人になることではありません。

夢を追い続けていくこと。
夢の実現という困難に立ち向かっていくこと。

その中に人間としての成長も、
人間社会の進歩も含まれているのだと思います。

そして、子供の何気ない一言に、
大きな気づきを与えてもらい、
深く学ばせてもらうこともあるのだと思いました。

しなやかな心を失ってはならないのです。
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人格を磨く

2017年02月23日 | Weblog
私は私の人格を磨くことさえ、
覚束ないという思いでいっぱいです。

だから他人のことを
云々言うつもりもありません。

ただ、
人格を磨くことが大切だという
確信は持っています。

だから、日々、
自分の弱さと向き合い、
それと闘うしかありません。

それは苦しい修業の日々ですが、

自分の弱さから目を背け、
他を非難し、自分を正当化し続けるよりは、

多少、マシな生き方ではないかと思っています。



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解釈

2017年02月22日 | Weblog
私たち人間は、
同じ物を見ているようであっても、
同じ体験をしているようであっても、
それぞれの解釈によって、
その現象を捉えている生き物です。

だから、
いくら同じ体験をし、
同じ言葉を使ってみたところで、
その解釈しているところは
いくらでも異なることがあり得ますし、
常に幾分かの誤差を含んでいるものだと思います。

簡単に言うと、
同じ物を見ていても、
同じようには見えていないし、
同じ言葉を使っていても、
同じニュアンスでは、
使っていないと言うことです。

同じ言葉を使ったその先は、
それぞれの感性で、
その言葉の背景を感じ取っていくしかありません。

それが大きく違えば、
共に歩むことは難しくなる。
それだけのことです。

良いとか、悪いとかではなく、
違うものは、違うものなのです。

あとは、
そこにこだわりを持つか持たないかだけです。

こだわりを持つか持たないかは、
それを何のためにやっているかということによります。

私の人生の目的は、
日本の教育をより良いものにする
という一事のみです。

こだわりをもって、
私らしい教育を生み出し続けることが、
私のミッションです。

今の仕事の仕方を続ける限り、
私は肩書きも地位もお金もないままで、
生涯を終えていくことになります。

しかし、そこに悔いはありません。

私がやっていることの成果は、
私自身がその手応えを感じているからです。







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行蔵は我に存す

2017年02月20日 | Weblog
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」

2007年にこの言葉をブログに書いていました。
しかし、いつも胸にあるせいか、
久しぶりな気がしません。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」

これは勝海舟の言葉です。

福澤諭吉に、
「元幕臣が新政府で名利を得るとは」
と非難された勝海舟が言った言葉です。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」

「行」と「蔵」とは、
「進んで世に出て手腕を振るうこと」と、
「隠れて世に出ないこと」です。

つまり、
自分の行動や、
出処進退をどうするかは自分が決める。

その結果について、
人はあれこれ評価したり批判したりするだろうが、
それは他人がやることであって、
私のあずかり知るところではない。

そう勝は答えたのです。

私は福沢諭吉も好きなのですが、
勝海舟のこの言葉も大好きです。

勝の言葉は、
人生を丸ごと公のためにぶつけて生きている
という自負と信念があったればこそ出たものだと思います。

揺るがぬ信念に生きる勝海舟の信念にあこがれますし、
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」という言葉は、
いつも私の胸の中にこだましています。


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私の志

2017年02月18日 | Weblog
私の志は、
「日本の教育をより良いものにする」
ということです。

そして、
私が私であり続ける限り、

どこにいても、
私の教育は、
変わらずに実践し続けていくことができます。

一つの組織や、団体も、
勿論大切ですが、
そうしたところが大切な理由は、
それも含めて日本だから、
ということに過ぎません。

一つ一つが良くならないで、
日本の教育が良くなると言うことは、
あり得ないからです。

しかし、大義を見失ってはいけないと思います。
そして、節を曲げる気もありません。

熟慮はしますが、
一旦、腹を括ると、断行してきたのが
私の生き方です。












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人格を磨く

2017年02月15日 | Weblog
人格を磨くということは、
実に難しいことです。

私自身、自分の未熟さに、
途方に暮れることもままあります。

しかし、それでも、
己の人間性を磨いていくしかない。
そう思います。

至らざる所を自覚することは、
針の筵に座っているような
そんな心持ちになることもあります。

しかし、それでも、
自分の人間性を磨き続けなければならないし、
それが人生の永遠のテーマなのだと思います。
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2月15日

2017年02月15日 | Weblog
今日は、産経新聞解答乱麻の掲載日です。
教師のコメント力と聴く力について書いてみました。

何かお役に立てる、
お手軽なヒントを書けたらと
随分悩んではみましたが、

つまるところ、
知識やスキルではなく、
その人の人間性が問われているのだとしか、
言いようが無いのだと原稿を書いていて思いました。

そう言うと、
身も蓋もない感じではありますが、

嘘をつくわけにもいきません。

誤魔化しが効かないものは、
効かないというしかないのだと思います。



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言葉は生き方

2017年02月13日 | Weblog
また、いじめによる自殺がありました。
担任がいじめたとか。

翌日になって、その表現を撤回しました。

行政や弁護士によって、
責任の所在が取り沙汰され、
裁判においてマイナスになる
不適切な言葉を撤回させられたということでしょうか。

言葉は難しいです。

信念を持って、
言葉を発していくことは、
本当に難しい。

だからこそ、
捨て身で考え、
言葉を発していかなければならない。
そう思います。

政治家の言葉も、
最近、実に軽く聞こえます。

本当に悲しくなります。

なぜ、そう聞こえるのかは、
少々、わからないところもありますが、

責任感や覚悟の無さが背後にあることは、
良く伝わってきます。

教育者も政治家も、
言葉を磨いていくことが大切であり、

それは技術ではなく、
生き方の問題だと思います。
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反抗期に大切なこと

2017年02月11日 | Weblog
反抗期に大切なことは、
己の小ささを感じざるを得ないような、
器の大きな人たちと出会うことだと思います。

自分の小さな反抗が、
恥ずかしく見えるぐらいに
圧倒的に社会で活躍している人物と出会うことが、

若者が道を踏み外さず、
更に高みを目指して成長していく上で、
とても大切なことだと思います。

家族や同級生しか知らない中で反抗期を迎え、
そして、終えてしまうことは、
人間の成長にとって、
少々残念なことのように思います。

なぜなら、
思春期の反抗は、
次の自分に脱皮していくために、
本当の自分の姿を探し、
苛立ちもがき苦しんでいる姿だからです。

その最中にどのような光を見いだすかが、
そこからの人生を大きく変えていくように感じています。
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