Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

二つの考え

2018年02月28日 | Weblog
「給料がもっと良ければ、
私ももっと良い仕事をするのに…。」

と考える人がいます。

一方で、

「一生懸命、良い仕事をしていれば、
そのうちお金は付いてくるだろう。」

と考える人がいます。

私は後者であり続けることが大切だと
経験上思っています。

見ていないようで、
人は見ているのです。

世の中は厳しく正直だと私は思います。

結果を出すことが大切だし、
向上心をもって、
誠実に努力を重ねることが大切なのです。

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中津よいとこ

2018年02月28日 | Weblog
昨日は、大分県中津市で講演でした。
講演の後には懇親会で、
中津商工会議所青年部の皆様には
大変お世話になりました。

酒も久しぶりに?
ちょとだけ?たくさん?
いただきました。

美味しかったし、
楽しかったし、
思いが通い合う時間が、
かけがえの無いものに思えました。

今、戻りの列車の中ですが、
飲んだ割りに、
酒が全く残っていなくて快適ですし、
ここのところの寝不足続きが、
すっきり解消された感じです。

福澤諭吉のふるさとであり、

日本の近代医学の土台を作る上で、
重要な役割を果たした人たちが
生まれたこの町に、

改めてゆっくり足を運びたいと思いました。

感謝。

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志の教育

2018年02月27日 | Weblog
「志の教育」を実践していて思うことは、
私自身が高い志を持ち、
それを実現していかなければ、
私の教育は全て嘘になるということです。

もっと高みにたどり着かなければ、
もっと足下を見つめて踏ん張らなければ、
もっと自分の人格を磨かなくては、
志を語る資格がないのです。

ある意味実に厳しいとも言えますが、
実に楽しい人生でもあります。

逃げを打っているわけではありませんが、

私自身も迷いながら、
志を掴もうともがき続けている、
一人の人間に過ぎません。

自分の見果てぬ夢を追い続けています。
わからないことだって沢山あります。

だからこそ、
志を立てなさいと言うこともないし、
志を教えているわけでもありません。
ただ、共に学ぶのみなのです。

志に年齢や学歴や肩書きは関係ありません。

だからこそ、
私は私と共に学んで下さる人たちに恥じぬよう、
本気の勝負をしていかなければならないのです。



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不治の病

2018年02月26日 | Weblog
昔は結核が不治の病でした。
その次は、ガンが不治の病でした。
更にその次は、エイズやエボラが不治の病でした。

しかし、そのいずれをも、
人間は克服しつつあります。

凄いことですし、素晴らしいことです。

ただ、その代わりに私たちは、、
なかなか死ねないで、
生きながらえることが、
苦しみになるのかもしれません。

生きたくて死を迎えなければならないのも、
不条理ではありますが、

死にたくて生きながらえなければならないのも、
また、不条理であるのかもしれません。

だから、
生を燃焼し尽くせるような、
生き方を模索したいと思います。





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品位

2018年02月26日 | Weblog
「品位」というものの大切さを感じています。

辞書を引いてみると、

「人や事物にそなわっている気高さや上品さ。品格。」とあります。

「気高い」の意味を調べてみると、

「どことなく、おかしがたい気品を備えている。
 品格が高い。崇高だ。」とあります。

してみると、
おかしがたいということは、
揺るがぬ自分を持っているということでしょうし、

その揺るがぬ自分の核心は、
自分のためではなく、
人々のためであり、
社会のためであるということでしょう。

自分のためという心が見え隠れするところに、
人は卑しさを感じます。

失ってなお凜としていられる強さと優しさが、
気品を醸し出すのだろうと思います。

気品と遠いような表現を
敢えて使って言えば、

饅頭を二人で分けようと、
二つに割ったときに、

一瞬の迷いもなく、
相手に大きい方を渡す心、

しかもそれを
喜んで渡すことができる
心を持つということだろうと思います。

自分は・・・だから、
自分は・・・しているから、

そんな言い訳もやはり、
自分優先の卑しさが見え隠れします。

私もまだまだ心を磨いていかなければなりません。
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見果てぬ夢

2018年02月26日 | Weblog
教師の育成という夢に向かっての試みは、
かつて思わぬ形でその道を断たれました。

しかし、それで良かったのです。
そう確信を持って今は言うことが出来ます。

この14年間ほどの間に、
共に学んでくれた子供たちが、
何人も海外に羽ばたいていき、

私の伝えたことと、
海外の教育とを実際に体験し、
較べながら学んでくれています。

その若者たちが、、
いつか日本の教育を変える
大きな原動力となるであろう手応えを、
私はしっかりと感じ取っています。

私よりも、
もっと広く、もっと深い視点で、
改革を進めてくれる日は必ず来ます。

私の役割は、
そうした若者たちの
土台作りなのだと思います。

そういう意味で、
私の見果てぬ夢は、
まだまだ続いているのです。



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未来を考える

2018年02月24日 | Weblog
最近、未来を考える時間の大切さを痛感します。

未来と言っても、
そう遠くない時間も含まれます。

明日、明後日のスケジュールもそうです。

どれだけ、
深く未来をイメージするかで、

うまく言えないのですが、
色々なことが変わっていくことを感じています。

スケジューリングという次元にとどまらず、
深く、未来に過ごす時間のことを、
考え抜くことで、

生み出していく成果が、
より良いものになっていくように思います。

当たり前の話ではあると思いますが、

それを実行し、実感するということは、
私にはなかなか出来ていなかったのです。

より手応えのある時間を過ごすには、
予習と復習が大切だったのです。

予習と復習を、
学校の授業のこととして、
矮小化すべきではなかったのです。

そのことを痛感しています。
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子育てにせよ

2018年02月22日 | Weblog
子育てにせよ、何にせよ、
自分の至らざる所に思いを致さなければ、
人の成長はないと言うことも、
また事実です。

子育てをした人、
全てが学び、
人格者になるわけでもありません。

成長できないのは、
自分の事が先に立って
しまっているからだと思います。

悪いのは相手であり、
改善すべきは相手であり、
譲歩すべきは相手であると
常に思ってれいれば、

見るべきものも
学ぶべきものも見えないものだと
私は思います。

相手が子供でも、大人でも、同じことです。
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子育て

2018年02月22日 | Weblog
子育てによって、
実は親も育てられていくことを
私自身痛感してきました。

子育てを通して教えられたことは、

見返りを求めず、
無償で「与える」ことの
喜びを知ることであり、

自分ではないが自分に近い人間の
欲求というある種の理不尽さを受け止め、
それに寄り添いつつ、
心の底から成長を願い続ける事です。

それは、
合理を超えた関わりであり、
理不尽を笑って受け入れる
営みでもあると思います。

だから、

子育てによって、
人は寛容になり、
分かち合う心が深まり、
人の痛みを
我が痛みとして受け取る
感受性が磨かれ、

次第に人としての
深みを増していくのだろうと思います。

そして、

私の両親も、
私にそうしてくださったのだという、
親心の有り難さが、

子育てを経験してみて初めて、
本当の意味でわかるため、

深い感謝の念が芽生えるということです。

いや、

わかったというのではなく、
「思い知った」という言葉の方が
適切なのかもしれません。

そんな気がしています。
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善意を大切に

2018年02月21日 | Weblog
バッカーズ寺子屋にせよ、
様々な社会貢献事業には、
色々な人たちの思いが込められています。

ボランティア活動や社会貢献事業は、
本業の二の次ということで、
どうしても様々な対応の
精度が落ちる危険性が伴います。

しかし、
ビジネスでないからこそ、
ビジネス以上に、

関わってくださる人たちへの
敬意と真心を込めて
丁重に対応しなければならないと思います。

なぜならば、
それは見返りを求めない、
世の中をより良くするための行為だからです。

だからこそ、
敬意を払い、
丁重にしていかなければならないのです。

仕事じゃないからこそ、
お金に換算できない大きなものがあるのです。

最近、そうした思いが、
ひしひしと強まっています。

ただ、そうした思いを持ちながらも、
やるべき事の多さに苦闘している日々を、

本当に申し訳なく思っています。

ただ、その思いを忘れずに頑張ろうと思います。




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