Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

人の心

2021年11月30日 | Weblog

昨日の日経新聞の夕刊に掲載されていた、

八代亜紀さんのコメントに心惹かれました。

「『舟唄』を歌って初めて男心を知った。」というのです。

銀座のクラブ歌手から歌謡界にデビューした、

八代亜紀さんにしてそうなのかと思いました。

昭和の時代以上に、今の時代は、

男も女も、大人も子どもも、

「私のことをわかって欲しい」「何でわからないの」

「わからない方が悪い」

というような利己的な考え方に陥っていると感じます。

『舟唄』を歌って、男心がわかったということは、

やはり、言葉は心なのだなぁと思います。

相手を理解するためには、

言葉の力を高めていくしかないのです。

そのためには、本を読み、文章を書き、体験を言語化し、

言葉の力を磨いていくしかありません。

目先の忙しさに追われ、

言葉の力を大事に思わない大人が多くなったから、

人の心もわからなくなってしまったのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御社の存在意義何ですか

2021年11月29日 | Weblog

「御社の存在意義何ですか」という見出しの記事が、

今朝の日経新聞一面に出ていました。

「カイシャの未来 志を探して①」とありましたので、

これから何回か連載が続くのだろうと思われます。

いよいよ、個としての志の在り方と、

会社としての志たる「企業理念」が、

大切にされる時代がやってくるのか?

私はそう簡単ではないと思っています。

なぜなら、人間自体が変わっていないからです。

孔子の時代から言われていることが、

未だ身につかないわけですから、

そう簡単ではありません。

しかし、少しずつ気がつき始めた人たちが

いらっしゃることもまた事実です。

とにかく、私は粛々と「志の教育」をやり続けていくだけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈り

2021年11月27日 | Weblog

ラインホールド・ニーバーの祈りです。

いつも私を支えてくれる言葉です。

「あきらむ」という古語に似ているところもあります。

現代語と違い、ありのままに見て、全てを受け入れることです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについては、
それを変える勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれる心の平静を与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
見分ける叡智を与えたまえ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は私。他人は他人。

ただ、そこで少しでも、

私の思いを、ー私事ではないその思いをー、

理解して下さる方がいたら、

それはとても幸せなこと。

でも、わかってもらえなくとも、

気にしない。

それは当然のことだから…。

自分の未熟さを思い、更なる一歩を踏み出すだけ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エクスプレッションアカデミーin福岡2021

2021年11月26日 | Weblog

今年の福岡でのエクスプレッションアカデミーが

終了致しました。

受講してくださった皆様に、

心からの感謝を申し上げます。

色々とわかりづらいこともあったかと思います。

それでも共に学ばせていただいたことに

心からの感謝を申し上げます。

私の伝えたいことは、

あまり理解されないかと思います

私の生き方も、理解されないと思います。

しかし、それでも日本の教育のために

良かれ思うことを全力で生み出し続けようと思います。

一人で歩むことになっても、それは仕方がないこと。

笑って孤独な歩みを続けていくだけです。

それで全くかまいません。

しかし、その中で、一人でも、

私の思いを理解してくれる方が、

居てくださったならば、

手を合わせたくなるような感謝の気持ちで、

共に歩んでいこうと思います。

教育が良くなるのであれば、

私のことなどは、どうでもよいことです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五省

2021年11月26日 | Weblog

一 至誠に悖(もと)るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕

二 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕

三 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕

四 努力に憾(うら)みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕

五 不精に亘(わた)るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕


海軍兵学校で用いられてきた「五省」は、

自らの在り方を顧みる上で、

非常に大切なメッセージだと思います。

私も自分の1日を静かに振り返り、

明日という日に備えたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生涯、人間修業

2021年11月23日 | Weblog

結局、不断の人間修行が大切なのだと思います。

逆境のさなかにあれば、

人は、自ずから謙虚にならざるを得ません。

しかし、順境にさしかかれば、

慢心する心が、頭をもたげてきます。

自分がそうなっていることを、

気づけぬ人たちも多いもので、

慢心したままだと必ずまた、逆境が訪れます。

慢心の後の逆境は、

その原因を、他に求めることが多くなります。

私はしっかりやってきたからこそ、ここまでこれたのだ。

上手くいかないのは、たまたまであり、周囲の要因なのだと。

しかし、その原因は、自分の中にあるのです。

自分の人間としての未熟さが、

様々な混乱やネガティブな感情を生み出していることに、

自らが気づいて改善していく以外に、

救われる道はありません。

だから、結局は、人間修業をし続けるしかないのです。

それは、本を読むことであり、他者から学ぶことであり、

新聞などを読み時事問題を知ることであり、

様々な機会を捉えて、教養を深めていくことです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誠意を尽くす

2021年11月21日 | Weblog

誠意を尽くせば、

後はどうなろうと、

私の知るところではありません。

勿論、最善は尽くします。

それでも力及ばないかもしれません。

だから、日々、自分を高めようと、

努力するしかありません。

申し訳ないけれども、

それしかできないのです。

だから、最善を尽くした後は、

感性的に悩んでも仕方ないと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人づくり

2021年11月20日 | Weblog

前にも同様のことを、このブログで書きましたが、

「人づくり」とは、何と傲慢な言葉かと思います。

人に人を作ることが出来ようはずがありません。

それができるものがあるとすれば、

おそらく神以上の存在でしかないだろうと私は思います。

少なくとも長年、多くの人たちと共に学んできて、

「私が、この人を作りました。」などという実感もないし、

「私は人を作っています。」などとは、

おこがましくて、言えたものではありません。

そう言えるとすれば、よほどお目出度いか、

よほど傲慢な人かのどちらかだろうと思います。

あるいは、本当に神の如くに素晴らしい人かです。

勿論、あまり深い意味を考えずに言う場合もあります。

若い頃の私もそうでした。

無邪気に「ひとづくり、国づくり」などと言っていました。

しかし、長年、本気で教育に関わっていれば、

その言葉がいかに愚かしく浅薄なものであるかに、

気づかないわけにはいかぬものだと私は思います。

 

私のこうした物言いは、反感を招くだろうことも、

容易に想像はつきます。

しかし、本当に日本の教育を変えていくためには、

多数に迎合して、正しいと思うことを、

言わないわけにもいかぬだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人格を磨く

2021年11月19日 | Weblog

仕事をしていく上で、その成否は、

やはりその人の人間性が問われるものだと痛感します。

裏表無く、誠実に生きていなければ、

その濁りは必ず何らかの形で自分に返ってくるものです。

私の理想は、まだまだ遠いところにあります。

自分の人格が未熟だから、

なかなかそこにどり着けないのだと思います。

深く自らを省みて、一歩一歩を大切に、

前進していきたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩往還を歩く

2021年11月13日 | Weblog

昨日、萩往還を歩いてきました。

もう25年ほど、この道を歩いているでしょうか。

しかも、コロナ前は、年に4度も。

毎回、新たな気づきがあり、新たな思いになる道です。

「帰らじと 思ひ定めし 旅なれば

ひとしほぬるる 涙松かな」

と吉田松陰先生は、故郷、萩に、

二度と戻ることもあるまいと、

覚悟を決めて江戸へ旅立たれ、

そのまま死出の旅路となりました。

私がこの道を歩く最後になるのは、

いつになるのだろうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする