Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

どこの

2018年04月28日 | Weblog
どこの国に生まれようとも、
どのような文化を持とうとも、
どのような歴史を持とうとも、

その地で、
死に物狂いでやり抜いたこと、
自分が創り上げたことは、

きっとどこでも通用する
普遍性を持つに至るものだと信じます。

素晴らしいものは、
素晴らしいはずであり、

理解されるのに、
多少の時間を要したとしても、

世界の何処に出しても
通用するものだと信じます。


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夢と志

2018年04月26日 | Weblog
国会議員になりたいという夢があった。
でも、それは、
夢であって、志ではなかった。
それが、今の政治状況を作っているのではないか。

勿論、私のことではなく、
今の多くの国会議員の皆様の話です。

政治家になって、
本当に国を変えていきたい。

国を背負い、
国民のためを思い、
揺るがぬ信念と、
努力を積み重ねてきた、
不屈の信念を持つ人間の凄み。

それを野党議員の言動から
感じられることは少ない。

大局観がないのだ。

地方から選ばれても、
考えるのは国家のことであるべきであって、

地元への利益誘導が
国会議員の仕事ではないと思う。

選ばれ続けた尾崎行雄も凄かったが、
尾崎行雄を選び続けた有権者も凄かった。

地元への利益誘導など、
一切やってはくれないと知りつつ、
国政に送り出し続けたのだから。

自分への見返りを求める人たちが、
見返りを与えてくれる人たちを
選ぶ選挙になってしまった。

我が国は、
あちこちから膿が出てくる
残念な国になってしまった。

私は、教育を通じて、
それを変えていきたいと思う。
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メディアの正義

2018年04月25日 | Weblog
メディアの人たちにとって、
正義とは何なのだろうかと思います。

権力の座にいる人たちを、
スキャンダルを報じて引きずり下ろすこと?

で、その後は、
誰がそのかわりをやれるのだろう?

マスコミの力で脚光を浴びた
芸能人やスポーツ選手たちも、

何かあれば、

あっという間に、
手酷い非難を浴びせられ失脚の
憂き目を見ることになります。

で、その人たちの、
家族や生活はどうなっていくのだろう?

私が知りたいのは、
メディアの人たちにとって、

何が正義であり、
どのような信念に基づいて、
行動しているのかと言うことです。

拝金主義の風潮をつくるためとか、
人情酷薄な社会を実現するためとか、
相互理解不能な社会を作るためとか、
何でも良いのです。

ただ、メディアの大義と、
その引き起こしている現実の、
辻褄が何処まで合っているのかを
私は知りたいのです。




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一貫性

2018年04月24日 | Weblog
一貫して、
言うことを変えないのは、
実に難しいことですが、
とても大切なことです。

状況によって、
その人の評価を
変えないことも大切です。

信じたらとことん信じる。

そうありたいと思います。

ただ、見立て違いをすると
如何ともしがたいことになります。

この見立て違いをしない人に
なりたいものだと思います。

しかし、それは、
私が教育者である限り、
難しいようにも思います。

全ての人の可能性を
信じているからです。


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人は様々

2018年04月24日 | Weblog
様々な人がいます。

「常識」とよく言いますが、
それもどこでも誰にでも
通用する訳ではありません。

それを知っているかどうかは、
色々な人に揉まれ、
色々な苦労をしてきたかどうかによって、
左右されるものです。

大体の人は、
同じ感覚の人といるほうが、
心地よいので、
その中に固まって、
その中の常識に生きようとします。

そして、
たまに違う人と出会うと、
声を揃えて非難したり、
追い出しにかかったりします。

悲しいことですが、
それを何とかする術を私はまだ持ちません。

その人を成長させるだけの
教育力が私には無いのです。

みんな違って良いとは言うものの、
やはり、高いレベルで仕事をする人たちに、
共通したことはあります。

・細かい視点を持っていること。
・几帳面であること。
・よく気が利くこと。
・他人のこと周囲のことを優先して考えられること。
・愚痴や悪口を言わないこと。
・言い訳をしないこと。
・常に考えて仕事をしていること。

どうすれば、それらは身に付くのか。
本格的に考え、形にしていこうと思います。


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卒塾生たち

2018年04月24日 | Weblog
バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋の
卒塾生たちが素晴らしい活躍を
みせてくれるようになってきました。

気合いを入れていくべきはここからです。

賞賛も浴びれば、
非難も浴びるからです。

世に出るということは、
そういうことなのです。

ここからは精神の修養が、
もっと大切になります。

賞賛におごらず、
非難に動揺せず、
謙虚に、真っ直ぐに、己の道を歩むことです。

回り道のように思えることがあっても、
その方が、後々、大きな成果を手にできるものなのです。

私はそう思います。
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歳を取ると

2018年04月24日 | Weblog
歳を取ると、
色々なことが衰えていくものだと
思い込んでいました。

しかし、
まだ、気力・体力共に、
充実していく一方のように感じます。

何歳から下り坂になるのかわかりませんが、
まだ、私は違っているようです。

今の無理の反動が、
どこかで一気に来るのかもしれません。

でも、
苦難も含め、
楽しんでるから、
いいんじゃないかと思います。

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適当(てきとー)

2018年04月19日 | Weblog
適当にやることで、
失っているのは、信頼です。

本人は、
省エネのつもりだったり、
効率よくやったつもりだったり、

あるいは、
自分の基準では、
十分だったりするのかもしれません。

しかし、

得られているものは、

自分の価値を下げ、
信頼を失い、
未来への道を閉ざしているということです。

愚直にやることで、
私は何も失わないと思います。

しかし、
そのことがわかるのは、
随分長く、愚直にやり続けた後のことなのです。


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教育改革論の不毛

2018年04月19日 | Weblog
教育改革論が不毛なのは、

様々な教育現場の違いや、
子供たちの置かれた環境の違い、
子供たちの資質能力などの違いなどを考慮せず、
全てを一緒くたに論じてしまうからだ。

まるで「病院」というくくりで、
医療を論じているようなものだ。

脳神経外科か、耳鼻咽喉科か、内科か、外科か、
整形外科か、産婦人科か、小児科か、循環器内科か・・・。

これらは確かに「病院」だが、同じではない。

くも膜下出血を起こした患者さんを、
産婦人科に連れて行くのは違うと誰しも思う。

一人一人に症状があるからだ。

だが、教育においては、
年齢の違い、障害の有無ぐらいで、
あとの違いは考慮に入れられないようだ。

普通科高校といったところで、
生徒の状況、親の状況は様々だ。

同じ教育が通用するとも思えない。

しかし、行政は公平性の名の下に、
十把一絡げに教育改革を捉えざるを得ない。

これほど現実と乖離していることもない。



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人間

2018年04月18日 | Weblog
人間が何かを成し遂げようとする時、

達成した状態とそのプロセスを、
言語化し、映像化し、
計画的に実行していくことが大切だ。

しかし、

人間は目標の達成を望みながらも、
時に計画的に生きることを嫌う一面もある。

計画に縛られず、
気ままに、
風に吹かれるように、
漂っていたいこともある。

チームの計画が、
自分自身のものでもあるという
所有感を持ちにくいときなどは、
いっそうその感情は募る。

だからこそ、
人は己の志をしっかりと立て
なければならない。

揺るがぬ志を確立し、
脇目も振らずに走り続けていると、

計画と偶然とが、
実は渾然一体のものであることが
時にふと感じられるようになる。

人生とはそうしたものなのかもしれない。



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