Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

私の好きな魯山人の言葉

2016年12月28日 | Weblog
芸術家の境涯

魯山人は気難しい奴だと思っている人がいる。
変人だという人もある。
わがままな人だと思っている方もあるらしい。
うるさいおやじだという評もきく。
口の悪い先生だともいわれている。
どれ一つとして私を誉めた言葉はない。

だが、あいつはずるい奴だとか、
いやしい奴だといわれないだけありがたいと思っている。

こんなにいろいろいわれるのは当然だと
私は満足している。
私が人のことを誉めたことが殆どないのだから、
誉められる道理がない。
世の人々からよくいわれようと思えば、
いたってやさしいことだ。

だが、うまくもないものを
うまいというわけにはゆかぬ。
また、資格のないものも
高く評することもできぬ。

たいがいの人は私を嫌いだという。
私が誉めてやらぬからだ。
別にけなすわけではない。
本当のことをいっているだけなのだが、
世の中の人は本当のことをいわれると
さしつかえる人が多すぎるから、
私を敬遠してしまう。

心にもない誉め言葉をいって、
北大路は善人だといわれるよりは、
ひとりぼっちで坐っている方が安らかだ。
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規格外

2016年12月28日 | Weblog
私の使命は、
規格外の人物を育てる
ということだと思っています。

そのためには、
「かくあらねば」とか、
「かくあるべきだ」という
常識に縛られないことが大切になってきます。

しかし、

規格外の人物は、
強固な規格の中に閉じ込められたが故に、
強烈な反発のエネルギーをもって
生まれてくると言うのも、
また一つの真実です。

かくして、

私は私の直感を信じて揺るがず、
瞬間瞬間に、思いつくまま、
自由闊達な教育を行うことを志向するのが
最善の選択ということになります。

しかし、その背景として、
死ぬほど勉強しておくことが必要です。

少なくとも、
そうした背景をもって生まれた思いつきは、
マニュアルによって作られた硬直化した教育より、
多少はマシなものだと私は思います。

なぜなら、
これまでも、
そこに天の啓示が宿るということを
多々感じてきましたし、

少なくともそこには、
私という人間が存在していると思えるからです。

上っ面で耳障りの良いことを言う善人より、
上っ面でない悪人でありたいと私は思います。

その方がよほど正直で、
よほど教育的だと思うからです。






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