Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

伝えることの難しさ

2023年01月30日 | Weblog

自分が心底「そうだ」と思ったことしか、

本当の意味で他人には伝えられないと感じています。

付け焼き刃の知識や小賢しい智恵などでは、

一瞬でメッキは剥がれていきます。

ということは、他人に伝えるためには、

自分が広く深く学び続けるしかないということです。

それをせぬまま伝えたところで、大したことにはならないのです。

伝えることを生業とする者は、不断の修行者でなければならない。

当たり前と言えば、あまりに当たり前のことでしかありませんが、

この思いを共有できる人と出会い、共に学びたいと思います。

 

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福澤心訓

2023年01月24日 | Weblog

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。

一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。

一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。

一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。

一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。

一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。

一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

 

ふと、『福澤心訓』のことを思い出しました。

福澤諭吉の書いたものとして出回っていますが、そうではありません。偽書だということです。

しかし、内容的には素晴らしいと思います。

作った人は、「福澤諭吉書」などと書かなければ良かったのに、実に残念なことです。

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 「一燈照隅 万燈照国」

2023年01月21日 | Weblog

 「一燈照隅 万燈照国」(いっとうしょうぐう・ばんとうしょうこく)。という言葉があります。あるいは、「一燈照隅 萬燈遍照(いっとうしょうぐう・ばんとうへんじょう」とも言います。

これは最澄の説いた言葉です。

「一つの灯火だけでは隅しか照らせないが、その灯火が数多く集まると、国中を照らすことができる」という意味です。

安岡正篤先生は、この言葉について、

「一つの灯火を掲げて一隅を照らす。そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる」と仰っています。

また、この言葉は、佐藤一斎の書いた『言志四録』の言葉を思い出させてくれます。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。」

一燈の灯りは自分の生き方であり、志です。自分は自分という一燈しか提げることはできないのです。他に頼っても、それはかりそめのものに過ぎない。

だから、どんなに先の見えない暗い世の中であっても、自分がどんな窮地に立たされたとしても、自分自身の志と信念を頼りとして、己を磨き、自分で力強く歩んでいくしかないのです。

また、そうすることで必ず道はひらけていくというのです。

憂えても、不平不満を言っても仕方ありません。私も、ただ、己の一燈を頼みとして歩いて行こうと思います。

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一日一日を大切に

2023年01月21日 | Weblog

今日という名の私の人生は実に楽しい1日でした。

でも、今日で私の今日という名の人生の時間は終わります。

二度と戻っては来ない、かけがえのない時間です。

1日が一生。

明日も良い一日になるよう、精一杯生きようと思います。

そうしているうちに、人生最期の日が来ます。

その日も楽しかったと言えたら、

人生全体が楽しかったということであり、

きっと幸せな人生だったと言えるのだろうと思います。

一日一日を大切にしていこうと思います。

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学び続ける

2023年01月19日 | Weblog

自分ができている些細なことを、他人ができていないから、その人格を否定するようなことが世間ではよくあります。

私は、それは間違っているし、愚かだなことだと思うので、そんな考えはしたくありません。

なぜなら、人はそれぞれに強みや、良い所は違うからです。瑕疵だけを見て、他にできることや、良い所が沢山あることを見ようとしないのは哀しいことです。

自分が常識と思っていることも人によっては違います。

この社会には、経済的にものすごく豊かな人もいれば、ものすごく貧しい人もいます。品行方正な人もいれば、反社会的な人たちもいます。

そうした様々な人たちに出会う機会が無ければ、私もそのことを気づかなかったかもしれません。

大人になった今が豊かでも、ひょっとしたら、貧しい暮らしをして苦労をしてきた人かもしれません。それぞれのバックボーンがありますから、私は、共に過ごしてくださる全ての人たちに、深い敬意と感謝の気持ちを持っていたいと思います。

他人に対して「基本的なことが出来ていない」と否定するのであれば、自分が教育をしてみたら良いのです。

「いったいどんな教育を受けたのか」などと無責任に言っていますが、自分が教育をしてみれば、いかに人が何かを身につけていくことや、習慣にすることが難しいかということはすぐにわかります。

他人に対して、教育が悪い、躾が悪いと言っても何も変わりはしません。そう言うのであれば、自分がその人を変える努力をすれば良いのです。

でも多くの人は、次の瞬間に、「なんで私がやんなきゃいけないんだ。」と言います。自分の子どもでもないのにと。

しかし、みんながそう思っていれば、確実に、社会全体のモラルや教養や教育力は低下していきます。

他人を変えるなどということは容易なことではありません。子どもでも、大人でもそうです。それどころか、自分自身を変えることも、そのために自分自身が学び続けることも容易なことではありません。

だから私は、日々、自分の無力さに絶望的な気持ちになります。

本当に大したことなどできないのです。祈るような気持ちで共に学ばせていただくだけです。

そして、無力さを痛感しつつも、また、大したことないと非難されつつも、それでもやり続けていくだけです。それが教育を変えていくということだと私は思います。

私も人の子ですから、やらない人にとやかく言われたくない気持ちも無くはありませんが、それは仕方の無いことだと思っています。

だって、やったことないからわからないだろうし、視野が狭いから、自分の常識が全ての常識だと思うしかないだろうと思うからです。

もっと多くの人たちに、想像力の大切さと、人を愛する気持ちの大切さを伝えられたらと思います。これもまた、私の力不足です。

まずは、自分を成長させるために、必死になって、一日、一日を過ごしていくことから始める以外に道はないと思っています。

 

 

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結局は教育なのかもしれない

2023年01月19日 | Weblog

博多での殺人事件が大々的に報じられています。

私も最近事件が多いなぁと感じます。

しかし、殺人事件は戦後減少の一途を辿っています。

世界97国での殺人事件発生率の比較をしたデータでも日本は94位です。

詳細なデータは、以下のサイトにもあります。

日本の意図的な殺人の発生率(推移と比較グラフ) | GraphToChart

一方で、児童虐待、DV、サイバー犯罪、特殊詐欺などは増えています。

ということは、弱い者に向けた犯罪、匿名性の高い犯罪が多くなったということです。

今回の殺人事件もこの延長線上にあると思います。

これは、人間が狡く卑しくなったということのように思います。また、我慢する心(忍耐力)が弱くなり、激情に駆られてやってしまうという、極めて禽獣に近い存在に堕しているということだと思います。

幼いときからの教育というか、大人の価値観が問題なのだと思います。

損得ばかりを追求し、道義や思いやりの心を失いつつある社会全体の問題であり、結局は、一人一人の心の持ち方の問題なのだと思います。

生まれつきの殺人者などいません。

人間が人間になるための教育が必要なのだと思います。

 

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美しくないもの

2023年01月18日 | Weblog

世の中で、美しくないのは、言葉を偽ること。

本当に腹の中で思っていることと、

口にしている言葉が、

裏腹であるのを感じた瞬間に、

私は哀しい気持ちになります。

これは心を磨き人格を高めることでしか、

変えることはできません。

言行一致。

それは厳しくも美しい、人としての道だと思います。

 

 

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17期目スタート

2023年01月17日 | Weblog

今日から、弊社、Vision&Education,Ltd.の17期目がスタートしました。

1月17日が創立記念日で、17年目のスタート。

イイナ、イイナ、と語呂合わせしている私がいます。苦笑(創業以来)

いよいよこれからが、私の会社の本番です。

今までに蓄積したものを存分に活用して、日本の教育をより良いものにするために、全力を尽くします。

ワクワクします!

 

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温暖化でサメが!

2023年01月17日 | Weblog

“迷い鯨”が注目集める中…日本の海に異変?「北上する大型サメ」温暖化による歪みか

配信

という記事が配信されていました。

温暖化ねぇ・・・。と私は思いました。

ご存じ「因幡の白うさぎ」のお話は、古事記に書かれています。

このお話は、ウサギが海を渡りたいために、サメとどっちが仲間が多いか較べっこしようとサメを騙して、渡りきる直前に自ら騙したことをしゃべったために、皮を剥がれてしまったというお話です。

古事記の成立は712年ですから、それ以前に、日本人の原体験として、出雲の方に、つまり、山陰の日本海にサメが沢山いたということでしょうし、ウサギも沢山いたということでもあると思います。

ということは、「サメが多くなった=地球温暖化」と考えるのは、あまりにも短絡的ではないかなと思います。

ちなみに、広島県の三次市のスーパーでは、ほぼ例外なく、普通に「ワニ」が売られているそうです。「ワニ」というのは鰐ではなく「サメ」のことです。サメは死んでからアンモニア臭がするものの、生姜で匂いを消せば、刺身でも食べられるということで、海から遠い山間部の三次では珍重され、食文化として様々なワニ料理が受け継がれています。

「サメがいた!」「温暖化だ!」という心配もいいけど、古事記の時代からサメや野ウサギがいなくなったことの方は心配しなくて良いのだろうかと思います。

「地球温暖化でサメがいなくなった!」

「地球温暖化でサメが多くなった!」

どっちが本当なのか、私にはさっぱりわかりません。

ただ、何でもかんでも温暖化で説明されて、納得するようなことは出来ないと思います。

ということで、機会があったら、三次にサメでも食べに行こっと。

 

 
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ブログに思う

2023年01月16日 | Weblog

人はわかりやすいこと、明るいこと、楽しいこと、心地よいこと、軽やかなことに心惹かれます。

しかし、私のブログは、ほぼすべてが、その反対と言っても良いトーンです。

それを変えるべきか否か。

時々、迷うこともあります。

しかし、このブログでは、私の思いを書き綴っていくしかないのだと思います。

もうすぐ私の会社は17期目を迎えます。

私に出来ることを精一杯やって、一人でも多くの方のお役に立てたらと思います。

 

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