Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ただそれだけ

2023年04月27日 | Weblog

一歩一歩、教育実践を積み重ねていきます。

子どもたちと共に、笑いながら過ごしていきます。

一方で激しく己の学びを深めていきます。

教育以外のあらゆることと距離を置きながら、

良寛さんにあこがれつつ、

自分の道を一歩一歩、歩きます。

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やっぱりブログかな

2023年04月26日 | Weblog

結局、私はFacebookでもTwitterでもなく、

ブログに落ち着くようです。

私がやっている活動のPRとしては、

それでは不足なのでしょうが、

どうやら私は、自己顕示欲が、

あまり強くはないようです。

私が何をしたかではなく、

それを受けた人がどう受け止め、

どのような変化が生じたのかを知りたいと思います。

私が何をしているかはどうでも良いことのように

思えてならないのです。

少し内省を深めながら、

自分と向き合い、

活字に落とし込んでいく作業の方が、

私には向いているるのだと思います。

 

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2023年04月24日 | Weblog

読みたい本が沢山あります。

読み直したい本が沢山あります。

後者にはゆったりとした時間が必要です。

目先のことにばかり追われていれば、

なかなかその時間をとることは出来ません。

大切なことをじっくり反復して学び直すことも

大切だと思います。

それでしか深く学ぶことは出来ないからです。

 

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精度を上げる

2023年04月19日 | Weblog

すべての仕事がそうですが、

教育も一つ一つの精度を上げていかなければなりません。

自分の言葉一つ、自分の振るまい一つ、

生活の一つ一つ、生き方の一つ一つが、

教育として滲み出てくるものである以上、

自分の生活と仕事へのこだわりと、

やることの一つ一つの精度を上げていくしかありません。

何となくやっていないか。

鈍くなっていないか。

無精になってはいないか。

自分にもっと厳しくあらねばと思います。

なぜなら、その人間の甘さは必ず伝わるものだからです。

コピーの取り方一つ、ホチキスの止め方一つ、

その人の心構えがわかりますから、

私も精度を上げ続けなければなりません。

目に見えないからといって手を抜くようでは、

生ぬるい仕事しかしていないと思われて当然です。

 

 

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必敗の闘い

2023年04月19日 | Weblog

今、寺子屋でやっている教育は、

6・3・3の12年間と大学受験のための学びではなく、

50年近い社会人生活で活かすことの出来る学びだと自負しています。

しかし、学校教育で刷り込まれてしまった固定観念との闘いは、

所詮は多勢に無勢、

ごまめの歯ぎしりみたいなものでしかありません。

しかし、それでも私はもっと激しくやり続けます。

それが大切だとわかった以上は、

身を殺して仁を為す覚悟が必要だと思います。

大げさに聞こえると思いますが、

そうでもないかもしれません。

 

 

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「志の教育」への回帰

2023年04月18日 | Weblog

AIが発達していき、

人間の代わりとなることが増えれば増えるほど、

人は何のために生きるのか、

人は何のために学ぶのか、

人にとって何が幸せなのか、

といった哲学的な問いと、

「志」という社会貢献への思いを持つ目的意識が、

大切になるのだろうと思います。

また、「豊かに生きる」ということは、

結局は人との関わりの中でしか実現しないと思います。

だから、ますます人としての在り方が

問われていくのだろうと思います。

だから、結局、教育は、

「志の教育」という、

教育の原点に回帰していくことになるのではないかと

私は思っています。

 

 

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謝ること

2023年04月14日 | Weblog

私の中で、謝るとは、「ごめんなさい」と心から言うことだし、

感謝するとは、「ありがとう」と心から言うことだと思います。

「申し訳なく思っています。」という言い方は、

どこか他人事のようで、責任を感じているとは思えないし、

「感謝しています」という言い方も、

あまり心が伝わらないと感じます。

「○○と思っている」「○○している」という言い方は、

「○○」の部分は色々と主語をすげ替えて使える言葉です。

「私は○○と思っている」「彼女は○○と思っている」

「私は○○している」「彼は○○している」

一方で、「ごめんなさい」「ありがとう」は、

主語を置けない言葉です。

「私がごめんなさい」「私がありがとう」とは使えません。

つまり、自分自身の感情であることが大前提であり、

他人に思いを伝えるための、ストレートな言葉だと思います。

言質を取られないようにと気を遣わぬ生き方をしたいと思います。

 

 

 

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言葉が力を失った時代に

2023年04月11日 | Weblog

言葉が消費され、力を失った時代に、

私には何が語れるのだろうと思います。

とにかく誠実に真摯に、

行動を背景とした信念と共にある言葉を

紡ぎ出すしかありません。

それしかできないし、

人生も教育も、

結局は、言葉と行動の総体でしか在りません。

私如きのやることは、

たいしたことにならないのはわかっています。

しかし、それでも一歩一歩

踏み出し続けるしかないと思っています。

 

 

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昨日

2023年04月10日 | Weblog

昨日はバッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイでした。

久しぶりに再会できたこと、卒塾生の皆さんが、

それぞれに頑張っていることを大変嬉しく感じました。

昨日は、父の命日でもありましたが、

教育者であった父は、私が墓参りに行くよりも、

子どもたち若者たちと共にあることを、

きっと喜んでくれているだろうと

勝手に思っている自分がいました。

コロナで少し絆が弱くなったところも感じましたので、

改めて新しいスタートをと誓ったところでした。

 

 

 

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与えること

2023年04月07日 | Weblog

他人のために見返りを求めることなく、

嬉々として動く人がいます。

一方で、

他人のために自分が何かすることは、

自分の時間が失われることであり、

損をすることだと思う人がいます。

そうした心根の違いはちょっとしたところに表れます。

人としての未熟は隠しようがないのです。

与える人たちは、互いに与え合いながら、

感謝の心と共に楽しく生きていく人たちです。

与えない人たちの多くは、

与えられることも少なく、

感謝を本当の意味で理解することもなく、

奪われる不安におびえながら、

日々、生きていくことになる人たちのようです。

私は幸せな世の中になるように、

少しでも何かを与えることが出来るような

そんな人になりたいと思っています。

私は何も持っていませんが、

誰かのために時間を使うこと、

身体を使って汗を流して働くこと、

ささやかですが、できることをしようと思います。

 

 

 

 

 

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