Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

アンパンマン

2013年10月30日 | Weblog
「アンパンマン」の生みの親、
やなせたかしさんが亡くなりました。

「アンパンマンのマーチ」の歌詞の、

「なんのために生まれて、
 なにをして生きるのか。
 こたえられないなんて、
 そんなのはいやだ!」

という箇所に
私は心惹かれるものがありました。

小さな子供が好きなアンパンマンの歌詞としては、
随分、深い哲学的な命題だなぁと思っていたからです。

やなせさんの本を読んでいたら、
次のようにお書きになっていました。


「アンパンマンの人気が高いのは、2~3歳の子どもたち。

「なんのために生まれてきたのかなんて言っても、
 そんな年齢の子どもにはわからない」と言われることがある。

そんなときは「わからなくていい」と思う。

わからなくても、子どもの頃からずっと、
そういうテーマのアニメや絵本を見たり、
歌を歌ったりすることが大事なんだ。

そうしているうちに、
子どもの中になにかしらが入っていく。
考えることが自然に身についていくと思うのだ。」


生きる意味を考えるということは、
志を立てるということそのものだと思います。

確かに、いつ志が立てられるかはわかりません。
答えのない問題に、手探りで立ち向かうようなものです。

しかし、それでもなお、
人は志を立てようと思って生きていた方が良いと思うのです。

やなせさん自身も、

「なんのために生まれてきたのか、
 わからないまま人生を終えるのは本当に残念だ。」

とお書きになっています。

そして、

「それ(生きる意味)がわかったのは、
 人生もかなり後半に入ってからだった。」とも。


「志の教育」を追い求めていくことは、
やはり大切なのだと、
改めて思わせていただきました。

ありがとうございます。合掌。

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教育の目的

2013年10月29日 | Weblog
教育の目的は、

結局のところ、
人が自立して生きていけるようになる
ということだと思います。

社会の在り方が、
複雑になればなるほど、

自立して生きていくためには、
様々なことが必要となってきます。

経済的にも、
精神的にも、
人間的にも、
自立していかなければならないのです。

生まれて、
親の愛情と庇護を受けて、
私たちは子供時代を過ごします。

しかし、
いつかは自分の足で
生きていかなくてはならない。

そして、
いつかは自分の生を終えるのです。

だから、
自分が自立できたら、

今度は人生の中で出会う
多くの人たちに、
沢山の愛情を注ぎ、
人を大切にしていくことになる。

なぜなら、
それは、
私たちが、そうしていただいたから。

だから、いつまでも自立できなければ、
愛情と庇護を受け続けたい人の群れになってしまいます。

一人でいて寂しくない人間になる。

それは、人生の志を見出し、
かつ、人間修行を経て、
ようやくたどり着ける境地なのかもしれません。




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出世願望がない時代に

2013年10月28日 | Weblog

出世願望がなく、
「そこそこでいいよ」という生き方が
若い世代を中心に多くなっているようです。

私は、それはそれでも良いと思います。

しかし、飛行機には必ずエンジンや舵も必要です。
みんながお客さんではいられないのです。

つまり、どんな組織にも、
推進力の役割を果たす人と
方向性を決める舵取り役とが必要なのです。

そうした人たちがいなければ、
飛行機は前にも進まず、
どこに向かって飛んでいけば良いのかもわからない。

勿論、
全員がエンジンになり舵になる必要はないし、
できることでもありません。

しかし、
誰かがその役を背負わなくてはならない。

そして、将来、若者たちの中の誰が、
その役割を果たしてくれるかはわからないのです。

だから、「リーダーたれ」と
みんなに対して呼びかけることになります。

それを聴きたくないものとして聞く人もいるでしょう。
「私はそこそこでいいのに…」と。

しかし、
リーダーを最初から選別して、
区別して教育することが出来ない以上、
全員に対して呼びかけていく以外に道はないのです。

従って、反発を受けることも
当然のこととして避けては通れません。

ただ、思うことは、
リーダーとしての教育を通して、

リーダーの責任や負担や苦労を知っている人が
一人でも増えていけば、

その人たちは、
良きフォロワーとして
リーダーを支えてくれる人材に
なってくれるのではないかということと、

今のリーダーが倒れたときには、
次のリーダーとして立ってくれるように、
成長してくれる可能性があるのではないかということです。


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当意即妙

2013年10月21日 | Weblog

「芸術は計画とか
作為を持たないもの、
刻々に生まれてくるものである。
言葉を換えて言うなら、
当意即妙の連続である。」

     北大路魯山人の言葉


教育が行政的に位置づけられている以上、
確かに計画的に行うことは避けては通れません。

しかし、

その日の子供たちの状況、
その日の自分の状況は刻々と変わっているものです。

また、

教えようとする事柄に対する意識も、
学ぼうとする事柄に対する意識も、

教える側、学ぶ側の双方で、
日々、刻々と変わっていくものだと思います。

つまり、
教育もまた、
当意即妙の連続でなければならないと私は思うのです。

相手の心と、自分の心を響き合わせる学びは、
そうでなければ、決して生まれてはこない。

ちょっとした自分の心の変化にもしっかりと目を向けて、
はじめて言葉に魂が宿るのだと思います。

私が、そこに価値を見出している以上、
当然、無計画に思われることも、
行き当たりばったりに思われることもあります。

しかし、
どんな状況であっても、
私は魂の死んだ言葉で、
語るようなことはしたくはないのです。

講演や研修に際しては、
いつも直前まで悩み抜き、
直前まで変更が加えられていきます。

何ヶ月前に作っても、
当日、同じ味であるような料理は、

決して私の目指す料理ではありません。

その日に手に入るネタも、
その日のお客様のコンディションも違うわけですから、

やはり、芸術も、料理も、教育も、
当意即妙である事が大切なのだと思います。

しかしそれは、
気の遠くなるような、
地道な下積みがあってこそ生まれる
当意即妙であることは
言うまでもありません。
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教育

2013年10月20日 | Weblog
「教育」は、「言葉と行動」である。

ずっと言い続けてきたことです。

そして、心から、そう思っています。

「日本の教育をより良いものにする」という私たちの願いは、

「私自身の言葉と行動をより良いものにする」
ということを経て初めて実現するものであり、

それは、
「自分を磨き続ける」ということを通じてしか、
実現することはないのだと思います。



教育がより良いものにならないとすれば、

その理由はたった一つ。

多くの人たちが、自分を磨くことに
価値を見出さなくなったということでしょう。

私は今のままでいい。
私はそこそこでいい。
面倒なことをして損はしたくない。
本を読めばお金がかかるし、時間もない。

そうした考えを広めるのも言葉と行動なら、
そうした考えを打ち破っていくのも言葉と行動です。

教育に携わる者は、
砂漠に水をまき続け、
いつの日にか、砂漠が緑の大地へと
変貌を遂げることを信じ抜く
心の強さをもっていなくてはならないのだと思います。










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わかることの深さ

2013年10月18日 | Weblog

「陶器だけでは美はわからぬ。
あらゆるものの美を知って、
それを通して陶器の美もわかる。
そして本当にわかるということは、
本当にそのものに惚れることである。」

        北大路魯山人の言葉


専門性だけで教育ができるとは、
私には到底思えません。

おそらく、歴史も文化も芸術も
深く学んでいって、
多少は人を育てることの
難しさと素晴らしさが見えてくる。
そのようなものだと思います。

そして、教育に携わる者は、
人の心がわからなければならない。

人の痛みや哀しみ。
人の嫉妬や邪心。
人の高貴さや利他の心。

人間を学ぶということは実に難しいことです。

それは苦労を通じて、
あるいはまた、
厳しい修練を積んで、
初めて身につけられるものかもしれません。

それでも私は、
教育の美しさ、
人が人を育てていくことの美しさを
探究し続けていきたいと思います。

それは、教育に惚れ込むことであり、
人間という存在に惚れ込むことだと思います。

それはつまり、裏切られてなお、
人を信じるということなのだと思います。
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リーダー

2013年10月17日 | Weblog
リーダーにとって大切なのは、
「利他の心」だと思います。

いい年になっていながら、
自分の損得を価値判断の中心に置いている大人が、
如何に多いことか。
誠に残念なことです。

自分のためだけに生きて何が悪いと
開き直る大人も子供も実に多くなったものです。

しかし、自分自身も、
自分の父母、祖父母、曾祖父母と連なる、
幾多の命のバトンを受け取った一人に
過ぎないのだということを、
はっきりと自覚できれば、

自分が如何に多くの人たちの「おかげ様」で
今日があるのかに気がつくのではないかと思います。

そして、子供、孫、曾孫と続いていく命に、
これからの社会のために、
何か一つでもいいから残していかなければ、
申し訳が立たないという思いになるのではないかと思います。

そのためには、甘えを断ち切らなくてはならない。

後輩たちに範となる生き方を
示さなければならないのだと思います。

そして、そのためには、
懸命の努力をしなければならないのだと思います。
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もし

2013年10月16日 | Weblog

もし、「醜い魂」が存在したとしても、
それを愛しくかき抱くことができるかどうか。

そこに教育に携わる者としての
魂の在りようが映し出されるのだと思います。

教育者の使命が、
人々の成長に在るのならば、

心が醜かろうが、
心が美しかろうが、

等しく、人々の、
その地点からの成長を
願わなければならないと思います。

いや、それは義務や使命感などではなく、
気がついたら走り出していたといった類いのものでなければ、
やはりどこかに偽りがあるのだと思います。


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惹かれる人

2013年10月16日 | Weblog
足立美術館に行ってきました。

私はやはり、
北大路魯山人の生き方に惹かれます。

芸術と教育は近い世界だと思うのです。

芸術家がとことん己を磨いて、
初めて芸術的に高い境地に立てるように、

教育者もまた、とことん己を磨いて、
初めて教育の何たるかがわかるように思います。

しかし、あまりにも、
知識の教育や技術の教育が横行していて、
深い人間学と教育哲学とを持った人物には
現実の社会では、なかなか出会えないものだと思います。

残念ながら、
私も浅薄な教育哲学しか
持ち合わせていないのですが…。


北大路魯山人の次の言葉は胸を打ちます。


人間が創作する以上、
人間が入用である。
人間なくしては
出来ない相談である。
陶器を作る前に
まず人間を作ることである。
名品は名人から生まれる。
しかるべき人間を作らずに
むやみに仕事にかかるごときは、
愚劣きわまることだと知ってよい。
下らない人間は
下らない仕事をする。
立派な人間は立派な仕事をする。
これは確定的である。


私は、こうした言葉を、
教育家が紡ぎ出せなくなり、

また、こうした言葉に、
学ぼうとすらしなくなったことに、
深い哀しみを抱いている一人です。

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話を聴く

2013年10月12日 | Weblog
私たちにとって、
本当の意味で「聴く」ということは、
非常に難しいことのように思います。

なぜなら、人は、
聴きたくないことは、
できるだけ耳に入って来ないよう、
心のフィルターをかけるからです。

こいつ気にくわないとか、
反対してやろうと思っていれば、

いつの間にか、
攻撃材料ばかりが耳に入るように
話を聴こうとしている自分が居ます。

しかし、これでは、
正しく聴いているとは言えません。

だから、「素直な心を持つこと」が、
とても大切になるのだと思います。

「本当に聴く」と言うことは、
「本当に素直な心を持つ」と言うことだから難しいのです。

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