Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

希望がなければ生きられない

2020年10月31日 | Weblog
「人は希望がなければ生きられない」その通りだと思います。

では、希望はどこから来るのか。

希望は他人に与えてもらえることもあると思います。しかし、それは、希望を与えてくれた人が、うまくいかなくなったり、いなくなったりすれば、消えていくことにもなるものです。

だから、自分で希望は見出していくしかない。そう思います。

夢を持つこともその一つです。しかし、何となく思い描く夢は、儚く消えていきます。現実を生き抜く強さと共に夢を持たなければと思います。

虚無との戦いも大切です。自分の無力さを感じたり、ある程度のことができても虚しさを感じれば、希望はたちどころに失われてしまいます。

絶望や虚無と闘うには、夢とビジョンと志が必要です。具体性や信念が必要になるのです。

だから、私は、「志を立てる」ということの大切さを伝え続けたいと思います。

しかし、「志とは何か」という定義から語り始めなければ、なかなか伝わらないのが辛いところです。
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とんかつDJあアゲ太郎

2020年10月30日 | Weblog
福岡空港でやたらと「とんかつ」が食べたくなり、お店に入りました。

「口福」という言葉がぴったりの美味しさでした。

揚げたての衣のサクサクした食感。ジューシーな豚肉の食感。ソースの美味しさ+摺りたてのゴマの香りと食感。レモンの香り。辛子の香りと辛み。ご飯を頬張っての口内調味。色々なものが混じり合った至福の世界です。

やはり、「食べたいときに、食べたいものを食べるのが一番!」と思ったのですが、その後で、ふと考えました。

「食べたいもの」とわかるためには、「食べたくないものと食べたいものの区別がつかなければならない」ということは、「食べたいもの」がわかるには、たくさんの食の経験が必要である。

同じものを食べても体調や年齢によっても味わいは変化するので、常に食の体験を拡げておかなければ、自分の食べたいものすら、自分自身でわからない。

だから、食へのこだわりがなく、ただ、何となく食べている人は、「何でもいい」という情けないことになるのだと思いました。同時に食べ物を選ぶことのできる生活を有り難く思いました。

私は贅沢をすることを言っているのではありません。自然のものを、いかに美味しくいただけるかにこだわることが、体にも心にも良いのと思うのです。

コンビニ弁当ばかり食べていたら、その世界観しか知らずに人生が終わることもある。食の世界観を拡げることが、人生の豊かさに繋がる、等々、色々と思考が回転していました。

それにしても、これは食に限ったことではないなと感じました。色々な仕事や趣味や、あらゆることにも当てはまるのだと思いました。

「自分がやりたいこと」もそうです。経験値を上げなければ、「やりたいか、やりたくないか」の判断すら、ままならないのが本当のところなのです。自分のことだけれども、自分でもわからないのです。

それにしても、とんかつは美味かった。

でも、なぜ、とんかつが食べたかったのだろう?そう思ったときに。「とんかつDJアゲ太郎」という言葉がふと思い浮かびました。

俳優の事故で、この言葉も繰り返し目にしていたから、とんかつ食べたくなったんだ(笑)。刷り込みって怖いなぁと思いましたが、とんかつが美味かったから、ま、いっか。そう思ってしまいました。

ついでに、マンガ「とんかつDJあアゲ太郎」も読んでみましたが、なんだか、無駄に考えたことが結構マンガに書かれていることと重なるように感じました。(笑)
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組織の志

2020年10月28日 | Weblog
どんな組織にも、それぞれ経営理念という名の、組織の志があります。

それを理解せずに、どんなに頑張っていると言ったところで、それは残念ながら、見当違いな頑張りでしかありません。

会社経営にしても、教育にしても、何を目指しているのかがわかっていなければ、本当の意味で仕事をしているとは言えませんし、ただの独りよがりでしかないのです。

私も本を書き、ブログを書き、メールマガジンを書き、講演をし、研修をし、酒を飲み、発信をし続けてはいますが、いくらやってみたところで、それを受け取る気がない人にとっては、何の力も持ち得ません。

己の無力を思いつつも、また、明日からも努力を続けていくだけです。

私は、子どもたちのため、日本の未来のために、全力を尽くします。それ以外は二の次のことです。人事を尽くして天命を待つだけです。


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教育とは

2020年10月24日 | Weblog
出来ていないことを叱ったり責めたりすることが教育ではありません。

出来ない者ができるようになる手助けをすることが教育であるし、

出来ない者の伴走者であり続け、
出来なかったことが、できるようにすることが教育だと思います。

私は出来ている。お前は出来ていない。だからお前が悪い。
という言い方に、成長の芽は育まれません。

しかし、それを教育だと勘違いする人が多いと思います。

下らない優越感に浸っていても誰も成長はしないのです。

どうすれば改善できるのか。どうすれば良いのか。
そのことの方が余程困難なことです。

どうすれば良いのか、私にもよくわからないことだらけです。

ただ、言えることは、私はできる限り、出来ない人の伴走者であり続けようと思っているということだけです。

なぜなら、私も出来ない人であったし、今も出来ない人であり続けているからです。


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時間は限られている

2020年10月22日 | Weblog
今、私が考えたいこと、そして、実行に移していくべきことは、バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋の教育を、志の教育を、どのように次の世代に引き継いでいくかということです。

本筋でないことはどうでも良いのです。私にとって、それは大した問題ではありません。

人生の時間は限られています。

だから、多くの人たちに支えられ、形にしてきた教育実践と理論を、社会に還元しなくてはなりません。

日本の教育をより良いものにしていくために、自分に何ができるのか。そのことだけに、真っ直ぐに向き合っていこうと思います。

私は若くはありませんから、限りある人生の時間を無駄にするわけにはいかないのです。ただ、それだけです。


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本当の敵

2020年10月20日 | Weblog
大切なことは、自分への厳しさだと思います。

一見、無駄に思われるようなことで、少しずつその人の大きな財産になることに、例えば、「書くことで思考を整理する」ということがあります。

しかし、受験勉強にはあまり役に立ちそうにありません。また、大人になってからも、高いレベルまで思考を鍛えようとする大人はそう多くはありません。

かくして、親も子も、面倒くさいことは避けて、点数に繋がることをやることが賢いことだと思うようになります。

そうした姿を見続けてきて、それをしない一握りの子どもたちに、私は未来を託すしかないかと思います。

ただ、そうしたことに、いつ気づくかは、未知数だとも言えますから、私としては、この虚しい作業を全力で、虚しいと思わずにやり続けるだけです。

私の敵は「日本社会全体の精神の荒廃」ということですから、それぐらいのことでめげている場合ではありません。
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○○式教育法

2020年10月19日 | Weblog
○○式教育法というものが、時々、世の中に流行します。

しかし、色々な問題が、その提唱者に起こったり、それを導入した企業に起こったりしています。

思うのは、教育は、そう簡単なものではないということです。

何せ、紀元前に孔子が提唱したことも、ブッダが提唱したことも、イエスキリストが提唱したことも、なかなか人間は守ることができないのですから。

私は、人間学を深く学んでいくことが王道だと考えています。

How toの教育は、やはり浅いので、カンフル注射になって一時的に上手くいったように見えても、結局は、その人間の未熟さによって崩壊していくのです。

浅いものはわかりやすく、やりやすいと思います。

深いものはわかりにくくて、やりにくい。

しかし、正しい道は、険しい道なのだと思います。
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「大説」の滅びた時代に

2020年10月19日 | Weblog
自殺者が後を絶ちません。どんな理由かはわかりませんが、まずはご冥福をお祈りします。

「赤い公園」というバンドのライブ映像をYouTubeで見ました。熱気溢れる素晴らしい世界を生み出していました。

こうした人たちは、少し静かな時間が来ると、ふと「もういいかな。」と思ってしまうような気もします。強い光を浴び続けていると、いつの間にか、影も濃くなってしまい、その陰に飲み込まれてしまうのかもしれません。

吉田松陰は、「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」と言いました。

生死は問題ではないのです。ただし、この言葉は、あくまでも天下国家を考えた上での生死です。 

かつては、「大説」という言葉がありました。「大説」というのは、君子(徳のある立派な人間)が、国家や政治に対する志を述べたもののことです。

それに対して「小説」は、日常の出来事に関する意見・主張や噂話など、虚構・空想の話を書いたものです。

「大説」は死語と化しています。私たちは、そんな言葉があったことさえ忘れ果てています。哀しいことに、私たちは、「小説」しか知らない人生を生きているのです。

自殺しないためには、二度とない人生の意義と、命の連続性について、心から知っておく必要があるのかもしれません。また、常に未来を強く思い描く力が必要なのかもしれません。

それが志を立てるということなのだと私は思います。

それでも、死の誘いから逃れるのは、死に魅入られた人にとっては、ほとんど不可能なことなのかもしれません。

きっと私にはどうすることも出来ないのでしょう。

しかし、少しでもそこに可能性があれば、私は未来への可能性の芽を育むことに力を注いでみようと思います。
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予約の出来ないお店のようなもの

2020年10月16日 | Weblog
昨日はオフィスでささやかな夕食会を開きました。お客様は一人。
私の父も自宅で大勢のお客様をもてなすのが好きでした。母は本当に準備が大変そうでした。

私は、おもてなし好きと、準備好きが両立していますから、自由気ままにやります(笑)。
自宅ではなく、オフィスでやるから、もうやりたい放題!(笑)。

「おもてなし」ということを考えた時に、「美味しいお店」にお連れするという選択もあります。しかし、自分で料理を考えて準備するとなると、色々な事を考えなければなりませんし、色々なことができなければなりません。

食材の選び方は的確か。鮮度がわかるか。旬の物を知っているか。刺身は何が良いか。焼き魚は何が良いか。魚の焼き方は身についているか。フライの揚げ方は大丈夫か。わさびは何を使うのか。本わさびだとして、何を使っておろすのか。野菜の煮物でだしは何を使うのか。火の通し加減はどの程度か。ご飯は土鍋で炊くのか。炊飯器で炊いてお櫃を使うのか。お新香は何にするか。糠漬けは買うのか、自分で漬けるのか。お酒は何を飲むのか。

そうして無数のシミュレーションをし、選択し、形にしていくためには、無数の経験が必要です。そして、その経験は、やりっぱなしにしていては身につきません。次に活かされるように心に刻んでおかなければなりません。それには好奇心や探究心が必要です。何より手間暇が大切です。

また、金額的なことも含めて、心を尽くすということはどういうことかが問われます。相手を本当に大切に思っているか。妥協せずに向き合おうとしているか。自分の人と向き合う姿勢や、人生そのものが問われているのです。

人をお招きするのは怖いことでもあります。自分という人間が誤魔化しようもなくあらわれるからです。しかし、これほどの人間修業の機会はめったにありません。

父がお客様が来る前に、階段掃除を私に命じていました。少しでも手を抜いた形跡が見て取れると、やり直しをさせられていました。あれは素晴らしい教育だったのだと今になってよくわかります。心の隙をなくす教育だったのです。そして、細かなことに気づく力を養う教育だったのです。改めて、父に感謝です。

また、私の時間が出来たら遊びに来ていただきたいと思います。ただし、予約の出来ないお店のようなもので、いつになるかは全くわかりません。ごめんなさい(笑)。

でも、お食事処V&E、および、BarV&Eに興味のある方は、ご一報下さい。(笑)


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保育園主任研修会

2020年10月15日 | Weblog
今日は、佐賀市で、保育園の主任の皆様と共に学ぶ時間をいただきました。

どこまで思いが伝わったかは私の知るところではありませんが、限られた時間(2時間)で、全力を尽くしてきました。

今、心から思うことは、私の気づいた「学び方を変える」ということの大切さとその方法を、一人でも多くの方に伝えたいということです。

これからも全力でそのチャレンジを続けます。一度の人生、少しぐらいは、皆様のお役に立てることをしていきたいと思います。

懇親会も、美味しく、素晴らしいひとときを過ごさせていただきました。

ありがとうございました。
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