Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

不羈独立

2022年11月28日 | Weblog

私は、残された人生の時間を、ただひたすらに教育に打ち込もうと思います。

日本の未来にとって、素晴らしい人財が育っていくことは、非常に大切なことだと思います。

私に出来ることは、ほんとに小さな事でしかありませんが、

誠意を込めて全力を尽くしたいと思います。

私は、私の教育を追い求め続けていくだけです。

それ以外のことに興味はありません。

不羈独立の精神こそがこれからの若者たちに大切だと思えば、

まずは自分自身が、不羈独立の精神を重んじた生き方をしなければならないのは、当然のことです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前の9月に書いたこと

2022年11月24日 | Weblog

私がなりたいのは、「始末に困る人」です。

自分のことはどうでも良いといつも思うこと。

そして、教育の事だけは、

微塵もどうでも良いとは思わぬ事。

そうなれるように心を磨きたいものです。

 

命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして
国家の大業は成し得られぬなり。

          西郷隆盛

 

1年前の9月に書いた言葉が、今また、私の心に響いています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい教育とは

2022年11月21日 | Weblog

「正しい考えを持っている我々が、誤っている勉強不足の君たちを教育してやろう。」

こんな尊大な考え方では、決して良い教育など出来ないと思います。

共に時代の来し方行く末を見つめ、共に学び、共に悩み、共に笑い合ってこその教育だと私は思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間学

2022年11月19日 | Weblog

私の教育は不易を追いたいと思っています。

時代のトレンドを追うことも勿論大切なことです。

語学やプログラミングや起業家精神について教える教育も大切です。

しかし、それも全ては人間がやることです。

人間性という土台作りなくして上手くいくとは私には思えないのです。

古いと言われるだろうけれども、

私は人間学を探究し続けたいと思いますし、

人としての在り方を子どもたちと共に学びたいと思います。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命がけでやること

2022年11月18日 | Weblog

学校教育の世界からに離れて(高校教師を辞めて)随分時間が過ぎました。

今、三つの寺子屋と、企業研修で、子どもたちにも大人たちにも、本当に人材育成の手応えを感じています。

学校教育の世界で一生懸命教育をしていたら、今の私の「気づき」は、確実になかったと思います。

学校という世界を外から見ていると、いかに考える力を育むことの出来ないシステムになっているか、いかに自己重要感が下がる仕組みになっているか、色々なことがよくわかるようになりました。

先生方は誠実に懸命に仕事をして下さっています。

しかし、そうであればあるほど、浮世離れした教育にならざるを得ないのです。

おそらく、そう言ってみても私の言葉は響かないと思います。

企業勤務をし、団体の専従をし、起業をしたから、学校という仕組みから逃れられて、私もようやくわかったのです。

そうした視点を伝えたい思いはありますが、今の仕組みに安住したい人たちに、何を伝えても、気分を害するだけで終わるだろうと思います。

それは、私に学校教育改革への思いが足りないからです。全ての困難を乗り越え、阻害要因をなぎ倒しながら、改革に邁進するエネルギーは、眠りについています。

その代わり、その全てのエネルギーは、学校外の教育実践を命がけでやっていくことで、あかあかと燃やし続けられています。当面は、そのことを通して、学校教育を応援し続けたいと思います。

大切なことは、一人一人に対して、教育的成果を出すことであって、こんな良い教育をやっていますよとアピールすることに、私はあまり意義を感じません。

私と同じ年齢の人は、来春、定年退職を迎えると思います。

教育改革への情熱を、退職後も燃やし続けていただくことを心から願っています。

私もそうあり続けます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関係のない世界

2022年11月17日 | Weblog

「こどもがまんなか」などという言葉が語られているのを耳にしました。

当たり前のように聞こえる言葉ですが、ことさら言葉として出してみると、実に寒々しい言葉だと思います。

教育は、大人自身の在り方、生き方の問題であり、自己変革という厳しさを持たなければ、教育がより良いものになるなどということはないと思います。

自分にも、子どもにも、教育の責任を持たなければならないと私は思います。

いったい「まんなか」とは何か。そこにどれほどの意味と価値があるのか、私にはよくわからないのです。

様々な人との繋がりが断絶された中でも、真ん中に位置すると言うことは出来ます。しかし、それが心のこもった教育なのか?

ひょっとしたら、大切だというニュアンスを真ん中と言い表しているのかもしれません。

お父さんがいて、子どもがいて、お母さんがいて、両親から手を繋がれたこどもが真ん中にいるという図はわかりやすいとは思います。しかし、複雑な家庭環境の中で育たなければならなかった子どもたちだって沢山います。

真ん中でなくとも、心から、子どもの心に寄り添った大人だっていらっしゃると思います。

私は、教育に於いて、互いに敬う心を持つことが大切だと思っています。

子どもは大人を敬い、大人もまた子どもを敬うことが大切なのです。

孔子は「犬馬に至るまで、皆能く養うこと在り。敬せずんば、何を以て別たんや。」と語っています。

これは「孝」について語った文脈ですが、「敬う」心がなければ、人間も犬馬と同じだというのです。

冒頭の言葉から、「敬」のニュアンスは感じられません。

まぁ、どうせ、私の考え方の方が少数であることはわかっています。

しかし、それでも、私は私が納得できる価値を追求して教育をしていくだけです。

粛々と、ただ、粛々と。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誇りと尊厳

2022年11月16日 | Weblog

「額に汗した報酬以外は受けとらない」「報酬以上の価値を生み出す」

この覚悟を私は大切にしています。

「棚からぼた餅」「漁夫の利」「濡れ手に粟」、

色々と美味しそうに思える言葉はありますが、

それでは誇りと尊厳を投げ捨てるようなものだと思います。

卑しい後ろ姿を子どもたちに見せないことが、良き未来につながるのだろうと私は思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病膏肓に

2022年11月15日 | Weblog

某タレント議員の発言が問題になっているようですが、

一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルでしかありません。

また、議員のレベルは、それを選んだ有権者のレベルでしかありません。

議員だけを責めたり、党の新人議員教育の不備を責めるだけでは、何も変わらないように思います。

グローバル化の中、英語教育も勿論大切ですが、こうしたことが起きると、やはり国語を大切にした、情報収集能力、思考力、判断力、そして、教養や常識の教育に力を入れることも大切なのかもしれないと思います。

件の議員さんも、芸能界では立派な実績のある方ですから、これは単なるうっかりミス発言なのかもしれません。

ただ、それが、許容範囲内の不規則発言の一例に過ぎないのか、それとも、教育の劣化がもたらした深刻な問題なのか、私にはよくわかりません。

ただ、公私を峻別する感性が必要だということは思います。

政治家でなくとも、公の意識があれば、起きなかった問題だろうと思いますし、公意識が欠如しているのは、やはり、国全体の問題であり、教育の問題でもあろうと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偉人に学ぶ②

2022年11月15日 | Weblog

偉人に学ぶことは、その優れた生き方や、考え方を学ぶためだと思います。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言う言葉があります。

経験に学ぶことは勿論大切なのですが、たかだか自分の経験よりも、偉大な足跡を残した歴史上の偉人たちの経験をこそ学びたいと私は思います。自分の改善のためにです。

また、偉人に学ぶことは、その言葉を自分のものとし、自分を鼓舞するためだとも思います。

人それぞれに、自分を鼓舞してくれる言葉は違うと思いますが、多くを学べば学ぶほど、自分を鼓舞してくれる言葉は増えていきます。

そして、様々な場面で、逆境に直面しても、それを乗り越える力となってくれるものだと私は感じています。

その意味でも、私は偉人に学び続けていきたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偉人に学ぶ

2022年11月15日 | Weblog

偉人の生き方に学ぶのは、常に手の届かぬ仰ぎ見るような存在を忘れぬようにするためだと思います。

そんな人間を心の中に持たぬ人は、やはりどこか謙虚さに欠け、人間としての深みに欠けているように感じます。

そして、さらに大切なことは、「彼(彼女)も人なり、我も人なり」と思うことです。

そう思わなければ、人は、「無理!」の一言に逃げ込んで、自分への厳しさを持とうとはしないように感じます。

ただ、それは簡単なことではないのです。

だから、私は、何度も何度も本を読み、偉人の生き方に触れ、自分の未熟を省み、戒め、次の一歩を踏み出し続けなければならないのだと思っています。

それは私にとっては、恐ろしく困難で厳しいことでもあります。

だから、私のような未熟な者は、学び続けるしかないのです。

それだけのことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする