Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

本来無一物

2008年04月30日 | Weblog
「本来無一物」

私たちは何も持たずに生まれてきて、
何も持たずにこの世を去っていく。

本来、執着すべきものは何も無い。
一切は、空である。

本来の心(仏性)にはもとより塵や埃はなく、
「空」や「無」と云う悟りにさえもとらわれない。

無一物の境地は、そのまま「無一物中、無尽蔵」の世界。
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萩往還

2008年04月28日 | Weblog
今度の五月の連休で、バッカーズ寺子屋第三期生と萩往還道約30㎞を歩いてきます。吉田松陰先生はじめ、維新の志士たちが歩いた道程です。また、自然が豊かで、先人たちの息吹を感じることのできる素晴らしい道でもあります。

この道を歩こうと思ったのは、もう、14年前のこと。

夏の暑い日に、ふと、どんな道かを知りたくなって、たった一人で歩き始めました。

以来、大勢の人たちと、毎年、この道を歩き続けてきました。自らの志を見つめたり、他の人の志に大いに刺激を受けたり、いろいろなご縁を感じながら歩いてきました。一緒に歩いてくださった方は、おそらく延べ300人ぐらいにはなるのだと思います。

年によっては、大勢の人と賑やかに歩いたこともありました。参加者が少なくほんの数名で歩いたこともありました。

晴れの日もありました。曇りの日もありました。土砂降りの日もありました。台風の爪痕が残る中を歩いたこともありました。

どんな状況であれ、仲間と共に歩くことができたのは、私にとって素晴らしい財産となりました。


でも、夏の暑い日、たった一人で歩いた日のことを私は忘れることができません。その映像は、いつまでも私の脳裏に鮮明に焼き付いています。

そして、私は思います。人生を生きることは、道を歩くことと同じなのだと。

大勢で歩くこともあれば、独りぼっちで歩くこともある。

そして、大勢で歩くことも、数名で歩くことも素晴らしい。仲間を得られることは、それだけで素晴らしいのだと心からそう思います。

しかし、一方では、「たとえ独りででも歩き続けるという覚悟を、いつも胸に秘めておこう」とも私は思うのです。

そう。たった独りで歩き始めた道。一人でも誰かが共に歩いてくださったら、そのことに感謝しよう。また、たとえ独りぼっちになったとしても、誰を恨むこともない。なぜなら、それはただ独りで歩き始めた、あの時の、あの原点に戻っただけのことなのだから。
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大義

2008年04月24日 | Weblog
いろいろな人の行動を見て、違和感を感じるときに思うことは、「この人の大義はどこにあるのだろうか?」ということである。

人間の行動に故無きことはない。必ず何らかの動機がある。しかし、それがどこから発されたものなのかが大切だと思う。

私的なレベルの動機なのか、公的なレベルの動機なのか。あるいは、公的に装われた私的な動機なのか、一見私的に見えるが実はきわめて公的な動機なのか。

見分けはつきにくいこともある。しかし、時がたてば、それは必ず明らかになると思う。いつの時代にも、メッキははげるものだからだ。
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佳き時間を過ごす

2008年04月23日 | Weblog
私は佳き時間を少しでも多く作りたいと願っている。佳き時間とは、子どもや親御さんや先生や、あらゆる人たちと過ごす、充実した時間のことである。それは、研鑽の時間であり、学びの時間であり、遊びの時間であり、安らぎの時間である。そうした心安らかで充実した時間を過ごしつつ、日本の教育をより良いものにするために、少しでもお役に立ちたいと心から願っている。

私の立っている場所にささやかであっても光を当てることができればよい。教育正常化のための激しい戦いはもういい。そう思っていた。

しかし、戦わなければ、本当の意味で、子どもたちにとっての豊かな時間が生み出せないとすれば、やはり阿修羅の如く立ち向かうしかないのだろうか。

少し心が波立つ今日この頃ではある。
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大切なことは

2008年04月23日 | Weblog
組織を変えていく上で大切なことはリーダーの心の持ち方なのだと痛感する。心が表情や服装や言動に表れてくる。心の持ち方を磨くには、素晴らしい人たちと接すること、素晴らしい先人たちの生き方に学ぶことだと思う。一つ一つを具体的に形にしていきたい。そして、組織全体が、少しずつでも良い方向に進んでいくように努力を続けていきたい。
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プレゼンセミナー

2008年04月21日 | Weblog
昨日、プレゼンセミナー第三講座が終了した。五時間×三回の講座である。私は学校の先生をはじめ、人前で話をする仕事に携わっている人たちは、話すことや聴くことについて構造的に学ぶ必要があると思う。今のところ、学校の先生に対して「伝える力」を高めるプログラムというのはほとんど存在していない。どういう結果が生まれるかは未知数だが、一つ一つ形にしていこうと思う。

昨日は今期の最終講座で、懇親会も盛り上がった。こうした時間を共有することが、一生の中でどれぐらいあるかというと、やはり、そうそう多くはないだろう。一瞬の出会いを大切にしていきたいと改めて思った。
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ワイシャツ

2008年04月18日 | Weblog
朝、ワイシャツを着ようとして、手に取ったそのワイシャツをよく見ると、袖のところがかなり擦り切れていて、全体の生地も随分くたびれた感じになっていた。長い間頑張ってくれたワイシャツとのお別れに、私はため息混じりで「これももう駄目だな。よく頑張りました。」とつぶやいた。

突然、背後から、珍しく鬼嫁の優しい声が聞こえてきた。
「どうしたの?」「何かあったの?」「大丈夫?」

「??????」私は怪しく思って悩んだ。
そして、答えた。
「ん?ワイシャツがくたびれたんで、もう捨てなきゃと思っただけだけど…」

「あははははははははは。な~んだ。朝っぱらから、しみじみと「俺ももう駄目だな」とか言い出したから、なんて言葉をかけたらいいかと思ったじゃない。あはははは。」

どうやら「これ(ワイシャツ)」と「おれ(私)」を聞き違えたらしい。たしかにどちらもくたびれている点では同じであり、その意味では彼女の判断の方が正しいかとも一瞬思った。しかし、私の賢明なる知性は、次の論理を導き出した。「私は人間である(たぶん)。少なくとも生物であり、ご飯を食べる。」「ワイシャツは人間ではない。また、ご飯は食べない。」「ゆえに、私はワイシャツではない。」

嫁は時々私が死んでも口に出しそうにないことを勝手に耳にして自爆している。巻き添えを食わないように気をつけようっと。
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要領の悪さ

2008年04月18日 | Weblog
私は要領が悪い。他人様からは要領よく見られることも多いようではあるけれども、やはり要領が悪いのだと思う。例えば、授業で使う教材が去年と同じものだったとしても、また、一から全てを学び直し、自分のノートを作り直さないと気が済まない。黄色くなったノートを十年一日が如く使うなどということは、私には逆立ちしてもできない芸当である。頭が悪いせいなのかとも思うが、日常生活ではずぼらなくせに、相手に向き合うこととなると手間暇かかることをいちいちしていく。

なぜなら、今の自分が読み、感じ、気づいたことを元にして言葉を発していかなければ、そこには幾ばくかの隙や嘘・誤魔化しが入り込んで来ると思うからだ。心を言葉に乗せていくと言うことは、愚直なまでの正直さが必要なのだと思う。残念なことに、これでよいと思えたことは、まだ、一度もないのだが…。

しかし、私はそういう生き方を是としたい。策を弄することで一時的な成功を納めたとしても、永続的な成功や、心からの満足を得ることはできないと思うからである。仮に、他人を一時的に誤魔化せたところで、自分の心と天は知っている。そこに何の意味があろうか。
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松下幸之助~商売と誠意~に思う

2008年04月17日 | Weblog
商売の神様と言われた松下幸之助翁の言葉を読み返していて、教育と合致する言葉に心惹かれた。

曰く、「誠意にあふれ、真剣な思いに満ちた行動は必ず人びとの心をとらえずにはおきません。誠意を持って熱心に仕事に取り組んでいる人は、常に「こうしてはどうだろうか」とか、「この次にはこんな方法でお客さんに話してみよう」というように工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考えます。また同じことを説明するにしても、その話し方に自然と熱がこもり、気迫があふれます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれ、「どうせ買うならこの人から」ということになってくるわけです。そういう日々の仕事の態度というものが、やがては大きな差となって表れてくるのではないでしょうか。」(松下幸之助一日一話)

お客さんを生徒におきかえて考えると、商売の極意も、教育の神髄も同じだと思う。教育というのは販売のノルマもなく、子どもたちの成長に関わることができるという恵まれた仕事だと思う。しかし、その思いを忘れた先生たちも世の中には多く見受けられるように思う。もったいないことである。

「どうせ習うなら、この先生から」と思ってもらえるように、私たちも教育という仕事に誠意をもって真剣に向き合っていきたいと改めて思った。
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初授業

2008年04月16日 | Weblog
今日は私がちょっとだけ教えているある私立高校での年度初の授業。
今年もまた高校3年生と言うことで、緊張の初対面!でしたが、楽しかった~!!
…と、生徒の迷惑を顧みず楽しんでしまうところが私でしょうか。

一時間一時間の授業にどれだけ自分の思いを込められるか。メッセージを発することができるのか。受験での強さを生み出せるのか。学校の教師という仕事を本業としなくなった私が、学校という場所でどこまで通用するのか貪欲にチャレンジしていきます。

ジャッジするのは生徒諸君。心を込めて精進あるのみです。
頑張りましょう!!素晴らしい生徒諸君に敬意を込めて。
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