Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

心を鍛える

2019年02月28日 | Weblog
最近、
メンタルが弱い人や心の狭い人が
多くなった気がします。
鷹揚さがないようにも感じます。

私も中高生の頃は、とても弱かったと思います。
ただ、手紙などを書きながら、
自分と向き合うことは多かったと思います。
青春期の苦悩のようなものを
たっぷりと味わっていた方だと思います。

それから、大学生になり、
社会人になるにしたがって、
次第に考えることをやめ、
目先の楽しさに埋没するようになりました。
苦しさから逃げたかったのでしょうし、
苦しむことを無意味だと思いはじめていたのでしょう。

でも、転機が訪れます。
そこの話は割愛します。

今は、本当に志高く生きようとする日々です。

その中で、
人の心に向き合うことが
再び増えてきました。

今は、苦悩しつつ、苦悩しなくなったように思います。
苦悩を冷静に捉えて、
楽しめるようになってきたのかもしれません。

とにかく多くの人たちが、
自然体で生きられるように、
苦悩から脱し、多くの人と笑って過ごせるように、
共に学ばせていただけたらと思います。

まずは、自分自身が心を磨き、
心を鍛えていこうと思います。


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教育の難しさ、教育論の難しさ

2019年02月28日 | Weblog
教育論の難しさは、
教育している対象や状況が異なるのに、
一般論として語らざるを得ないというところにあります。

つまり、

生徒に基本的な躾や生活習慣が確立されておらず、
教師への反抗や暴力が日常茶飯事の教育現場もあれば、

基本的な躾や生活習慣が確立された
素直に話を受け容れることのできる生徒ばかりの学校もあるのです。

一概に論じたことが正しいわけがありません。

どこかで成果を出した教育実践が、
別のところでそのまま成果を出せることにはならないのです。

言論では、細かいニュアンスが
伝わらないことも多々ありますし、
わかり合えなくとも仕方ないこともあります。

ただ、
教育実践においては、
謙虚に相手を見ながら、
しっかりと考えて、
ひたすら丁寧に実践していきたいと思います。

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解答乱麻

2019年02月27日 | Weblog
産経新聞コラム「解答乱麻」を
長年執筆させていただいています。

毎回、難産なのですが、
無事、書き上げました。

掲載日は、3月6日(水)です。
買って読んでいただけたら嬉しいです。

私のサイトにもアップしますが、
やはり、新聞で読むと何か違う感じがします。




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高校時代を振り返った人の記事を読んで

2019年02月25日 | Weblog
人生において、
もっとこうしておけば良かった
という後悔は沢山ある。

人との出会いや
書物との出会いにしてもそうだ。

しかし、それは、
今だからそう思うだけのことかもしれない。

もっと早く出会っておきたかったと
思う人もいるが、

考えてみれば、
良き出会いも沢山いただいた。

もっと色々な経験をしておきたかった
とも思うが、

それをしていたとしたら、
たぶんできなかったであろう経験も
たくさんしてきた。

所詮は、この道しかなかったのだろうと思う。

だから、その道をしっかりと歩いて行きたい。

まだまだ、これからなのだから。

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人事を尽くして天命を待つ

2019年02月21日 | Weblog
「人事を尽くして天命を待つ」

それは、

「死ぬほど努力した先にしか祈りはない」

ということと同じ意味だと思います。

自分が死ぬほど努力して後に祈る。

本当の祈りは、
そこから先にしか生まれてこないのだと思います。

祈りが逃げになってはいけないのだと

私は思います。
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心窓去来559

2019年02月18日 | Weblog
一粒の米や、
一滴の水を大切にする倫理の
滅びて行く時代には、

行き届いた愛情も、
緻密な計画心も、
厳しい責任感も、育たない。

およそ磨きのかかった人間の魂というものは、
小さなものに対する畏敬の念のないところには、
決して育つものではないのである。(心窓去来559)

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下村湖人の言葉は、
真理を突き、胸を打つ。

豊かな時代に、
なぜ食べ物を粗末にしてはならないのか、
よくわからなくなってしまった大人も多い。

だから、子どもたちにも
食べ物の大切さを
確信を持って伝えることができなくなってきた。

損得と経済効率でしか、
ものごとを見られなくなってきた私たちが、

もっと深くものごとを見ていくことができるよう、
下村湖人の言葉に触れていたいと思う。







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人としての成長

2019年02月17日 | Weblog
人間が成長するということは、
ものの見方、心の持ち方、考え方が、
磨かれていくということだと思います。

同じ出来事をピンチと見るかチャンスと見るか。
偽物や偽りに騙されず、
真善美を見抜く力があるか。
私利ではなく利他の心でものを見ているか。

喜怒哀楽に過度に振り回されていないか、
自分の感情を制御できているか、
孤独から来る寂しさや自己憐憫、
他者との関わりから生じる、
妬み、嫉み、怒りなどの感情に執着しすぎていないか。

日々発生する仕事や社会の出来事に対して、
どのように考え、対応していくのか。
人間存在、人間社会に対して、
どのような考え方を持っているのか。

その総合力がその人の言葉と行動を
規定していくことになります。

だから、様々な、
ものの見方、心の持ち方、考え方に触れ、

自己を確立していかなければ
ならないのだと思います。

そのためには、
他者から学び、自己と向き合い、
絶えず己の向上を目指す意志を持つことが、
必要なのだと思います。






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志の教育への信念

2019年02月16日 | Weblog
志の教育の大切さを、
私は信念を持って、
全力で伝えていこうと思っています。

信念と言うことに対しては、
下村湖人が語った言葉が
大きな救いとなっています。

「信念の人ほど、
時として最も激しく
主義主張の動揺になやむものである。

なぜなら、
信念とは、
かつて最高無上だと信じたことを
永遠に信じ続けることではなく、

常に最高無上なものを信じたいと
願う心をゆるがせないことだからである。」

言葉の滅び行く気配がする時代に、
こうした揺るがない言葉に、
私は常に触れていたいし、

自分自身でも、
こうした透徹した思想に裏打ちされた言葉を
少しは紡ぎ出してみたいものだと思います。




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メディアリテラシー

2019年02月14日 | Weblog
桜田大臣の発言と、それに関するマスコミ報道は、メディアリテラシーの大切さを考える良い教材となったと思います。また、言語感覚を磨く大切さも改めて考えさせられました。

メディアの論調は、この一言に集約されます。

「池江選手のことについて、がっかりしているという発言があり、大臣としての資質が問われている」

これだけ聞くとなんて非道い大臣だとしか思えません。

しかし、以下、産経新聞が報じた、桜田大臣のインタビュー全文です。

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--きょう、競泳の池江選手が自らが白血病であることと、しばらく休養することを発表しました。大臣として、これについての受け止めをお願いします

 「正直なところ、びっくりしましたね。聞いて。本当に。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿に戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちですね」

 --競泳の中ではですね…

 「本当に、そう、金メダル候補ですからねえ。日本が本当に期待している選手ですからねえ。本当にがっかりしております。やはり、早く治療に専念していただいて、頑張っていただきたい。また元気な姿を見たいですよ。そうですね」

 --大臣はこれまで、池江選手の活躍をどのようにご覧になられてましたか

 「いやあ、日本が誇るべきスポーツの選手だと思いますよね。われわれがほんとに誇りとするものなので。最近水泳が非常に盛り上がっているときでもありますし、オリンピック担当大臣としては、オリンピックで水泳の部分をね、非常に期待している部分があるんですよね。一人リードする選手がいると、みんなその人につられてね、全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりがね、若干下火にならないかなと思って、ちょっと心配していますよね。ですから、われわれも一生懸命頑張って、いろんな環境整備をやりますけど。とにかく治療に専念して、元気な姿を見せていただいて、また、スポーツ界の花形として、頑張っていただきたいというのが私の考えですね」

 --最後に一言だけ。池江選手にエールを送るとしたらどんな言葉を

 「とにかく治療を最優先にして、元気な姿を見たい。また、頑張っている姿をわれわれは期待してます、ということです」

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メディアの方が、メディアリテラシーがわかっていないのでしょうか?
それともわかっていて、やっているのでしょうか?

「がっかり」という言葉を不用意に使った感性を問題視することもできます。しかし、大いに期待していてたところに病を得て「残念だなぁ」と思う感覚は理解できます。

大臣の語彙力を問題視するよりも、むしろこの全文を「がっかりしたと大臣が語った」と要約する記者の言語力の方を問題にした方が良いのではないかと思います。

国会でも言葉尻を捉えては非難することが続いています。しかし、もっと本質的なことや、具体的な施策について議論し、行動して欲しいと思います。

こんなことで、多くの人を誤導し、いちいち人を振り回すようなことは、やめていただきたいと思います。


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保護者の体罰禁止条例に思う

2019年02月13日 | Weblog
東京都が体罰禁止条例を議会に提出すると耳にして、
反射的に、オグ・マンディーノ『地上最強の商人』
の巻物の一節が思い出された。

「地図は、いかに精密であろうとも、
 地図自身がその持ち主を
 一インチたりとも運ぶことはできない。

 法律書が、いかに公正に書かれてあったとしても、
 法律書自身が、一件たりとも犯罪を防いだことはない。

 私の持っている巻物でさえ、
 そのままでは一ペニーも稼ぎはしないし、
 喝采の言葉ひとつを生みだすわけでもない。」

残念ながら、
条例で人の心や行動を縛ることはできない。

人間存在を深く見つめていない施策は、
残念ながら力を持つはずがないと思う。

美しかったり、醜くかったりする人間の心と行動とが、
一律の文言で縛られようか?私にはわからない。

ただ、真摯に考えて
そのようにしか動けなくなった、
政治や行政の限界を哀しく思う。

人間が置き去りにされている気がするのだ。

非難するつもりはない。

哀しく思いながら、
自分ができることを全力でやっていくだけだ。

自分が関わることのできる、
子どもたち、大人たちと、
共に学び続けていくだけだ。





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