Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

大説と小説、志と夢

2013年01月16日 | Weblog
かつては、

君子が国家や政治に対する志を述べた
「四書五経」のことを「大説」と言っていました。

それに対して、

日常の出来事に関する意見・主張や噂話など
虚構・空想の話を書いたものを「小説」と言います。
これは、今日も生きている言葉です。

昔の人たちは、

「大説」と「小説」という対比の中にも、
「志」と「夢」とを対比させていたのです。

「夢」と「志」とは、異なるものとして
はっきりと認識していたということでしょう。

今、「大説」という言葉は死語になっています。
「小説」という言葉に対概念があったことすら、
私たちは民族の記憶から抹消してしまっていたのです。

それは、

私たちが、「志」という言葉を使わなくなり、
「夢」との区別を失ったことと全く同じことのように思います。

国家や政治に対する志を持つことを忘れ、
虚構と空想の中で漂うように生きている。

つまり、

「大説」としての人生を生きることを忘れ、
「小説」としての人生しか生きられなくなってしまった。

私たちが実践している「志の教育」とは、
ひょっとしたら、
「大説」という言葉に、
命を取り戻すという取り組みになるのかもしれません。

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けじめと覚悟

2013年01月15日 | Weblog
私たちが長く失っていたものは、
「けじめ」と「覚悟」なのかもしれません。

学校には勉強をしに行っているはずなのに勉強しない。
教室で騒いだり、先生の話を聴かないと言うことは、
何となく学校に来ているからだと思います。

生徒としての「けじめ」が実に無いわけです。

教師もそうした生徒や親に対して、
学ぶ気が無いなら学校には来なくて結構ですよ、
と明確に言うことをしていません。

これは、教師の「覚悟」の無さだと言えるのかも知れません。

学ぶ側にも、教える側にも、
「けじめ」と「覚悟」がなくなってしまったことが、
様々な教育問題を引き起こしているのかもしれません。

また、「けじめ」と「覚悟」の無さが、
外交問題や経済問題など、
様々な国家としての問題を生み出しているのかも知れません。


だから、
私自身、
まずは、「けじめ」と「覚悟」を意識して、
日々の教育実践に取り組んでいこうと思います。


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国力の低下

2013年01月09日 | Weblog
戦後初めて、私たちは、
国力の低下が何をもたらすかに直面しています。

世界第二位の経済大国が、
第三位に転落すると言うことの意味は、

経済問題のみならず、
様々な問題に影を落とします。

外交、軍事、貿易、文化交流、教育、etc.

様々な屈辱的な対応も
国際社会の中で沢山生じてくることでしょう。

伸びゆくアジアの国は、
世界第2位の経済大国となり、
そして、
今、急速に、沈み行く斜陽国家になっています。

つい数年前まで、
「国家なき個人はあるか」などという
お気楽な議論がまかり通っていたことが懐かしく思えます。

お気楽に物が言え、
生活ができていたことは、
国力があったからということに他なりません。

しかし、まだまだ、評論家気分の人たちは、
存在し続けるのだと思います。

教育は国家百年の計と言いながら、
数年先の危機への想像力さえ欠落した
教育が続けられるのだと思います。

私たちは、そうした国内の現実に対し、
悔しさに歯ぎしりしながら、
毎日を全力で駆け抜けていこうと思います。




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人をだます

2013年01月09日 | Weblog
相手をうまくだました時に、
しめしめと思っている人も多いかも知れないが、
不幸の種を手に入れたのは、
実はだました自分自身である。

うそをついたり、誤魔化したりして
得た利益があったとしても、
その自覚があれば、
人間は心苦しさや後ろめたさを引きずっていくので、
結局はうまくいかないものである。

もし、嘘をついたり、誤魔化したりしても、
そのことを恬として恥じる気持ちがない人間であったとしたら…。

それでも、やはり結果は同じことである。

なぜなら、
そんな人間は他人から信頼されることも大切にされることもない。
だから、結局、その人はうまくいかずに必ず行き詰まっていく。

だまされたとしても、
相手の善意を信じて、
失ったものを忘れ去り、
次に向かう心さえ失わなければ、
沢山の幸せを人は得ることができる。

何も失ってはいないのだ。

恨みは何ももたらさない。
批難するより、明日を見ることだ。

物やお金を失ったとしても、
広く大きな心で、
「正しい心」という財産を失わなければ、
かならずまたその人は多くの幸いを得ることになる。

私はそう思っています。















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善きことも悪しきことも

2013年01月05日 | Weblog
善きことも悪しきことも、
過去に起きた出来事は、
もはや過ぎ去っていて、
今、ここには存在していない。

ただ、
自分の記憶だけが、
その事柄を、
善きこととして、
あるいは、
悪しきこととして記憶にとどめているだけだ。

過去の悪しき記憶に縛られて、
新たに悪しき感情を自ら起こせば、
それは、自分で自分を傷つける自傷行為に他ならない。

また、そのことを将来蒸し返されはしないかと恐れることも、
まだ起こっていない未来を悪しき方に想像し、
悪しき感情を自ら生じさせているだけだ。

善き記憶に縛られ、
あるいは、
過去の栄光にひたって、
日々の苦闘や努力や感謝を忘れ去ることもまた、
自らの成長を自分で阻害することになる。

結局、いずれにしても、
自分の弱き心に縛られているに過ぎない。

今という時間を大切にすることだ。

そして、

悪しき感情には、良き感情で報いる。
良き感情には、良き感情で報いることだ。

良き感情でいるかどうかは自分が決めること。
他人に決められることではない。

そう心に強く思い定めることが大切だと思う。
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言葉の劣化

2013年01月03日 | Weblog
「自民党の一人勝ちを許してはいけない」

こう語る政治家の声が新聞に載っていた。

いつもよくわからないのは、

「なぜ?」ということが抜きにされることだ。

「なぜ、一人勝ちとも言うべき状況になったのか」
「なぜ、一人勝ちをしてはいけないのか」

「なぜ?」を捨てた言論は、言論の死へと向かうしかない。

政治との関わりを好まない私が、
なぜ、今回反応したかというと、
言論の死は、教育の死へとつながりかねないと思うからだ。

答えの簡単に見つからない問題に、
何故を問い続けることは苦しい。

だが、人間存在は、考えることに価値がある。
そして、勿論、行動することにも。

行動しながら、考え、
考えながら、行動する。

それが大切なのだと思う。






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願いを持つ

2013年01月02日 | Weblog

大切なことは「願い」を持つということだと思います。

「志」と言っても良いのですが、
大きなテーマに向き合おうとすると、
やはり、
「願い」や「祈り」という言葉が自然に出てきます。

私にとって、大きなテーマとは、
「日本の教育をより良いものにする」ということ。

私は、ずっとこのテーマを追い続けてきました。

そんなことを考えずに、
もっと個人としての幸せや、
個人の経済的豊かさを求める生き方をすればいいのに。
と思う人も多いでしょう。

しかし、
「日本の教育をよりよい良いしたい」という願いは、
ますます強くなる一方です。

もはや、理由などよくわかりません。

何故、そんな大きなテーマを持つのか。
何故、そんな苦しい戦いに喜々として臨むのか。

しかし、そのテーマが自分の信念となり、
粛々と実践し続ける揺るぎない意志が、
私の中に確固としてあることは確かです。

テーマは大きいけれど、
私は私にできる小さな一歩を、
粛々とやり続けていこうと思います。



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あけましておめでとうございます

2013年01月01日 | Weblog
人生とは、今であり、
生まれてから今までの時間の集積だと思います。

だから、次の瞬間に死んでしまえば、
それまでの時間が私の人生として確定してしまうことになる。

だから、私たちは、今をより高めるために、

過去を見つめ、未来を考え抜く意志の力を持たなくてはならない。

今はまぎれもなく過去と未来の接点であり、
絶え間なく未来へと進み続けているものです。

今日までの自分の時間が、
自分の人生として確定して良いのか?と言われれば、

「NO」としか言いようがありません。

だから、私は、前を向いて、高みを目指し、
歩き続けるしかないのだと思います。

二度とない人生を悔いのないものにするために。


今年も頑張ります!
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