Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ビジネスフォン

2023年05月31日 | Weblog

ビジネスフォンを社内の誰かが使っているランプが付いているのを見て、変な話ですが、嬉しくなり、ふと懐かしさがこみ上げてきました。

今でこそ、スタッフたちが、それぞれに色々な人と電話でやりとりをし、それぞれに仕事を進めて下さっていますが、私の会社は、17年前に、机1つ、電話1本で、私の狭い自宅の書庫からスタートしました。

本当に何もなく、ひとりぼっちでした。

その後、福岡市の香椎という所に、小さなマンションを事務所として借りましたが、コピー機も家庭用の複合機が一台、電話も家庭用で子機が一台でした。

その頃には、百万をこえるような立派なコピー機のリースをし、何十万ものビジネスフォンを借りたり、家賃を払ったり、社員の給料を払ったりということができるようになるとは思ってもいませんでした。

勿論、いつかはそうなりたいと思っていましたが、それは遠い夢のような話でした。

多くの方々の支えで、今日があります。

とにかく日本の教育をより良いものにするために走り続けるだけです。

 

 

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教える心、学ぶ心

2023年05月31日 | Weblog

自分事として考えなければ、

何も学ぶことはできません。

所詮は他人事と思っている聴衆に

話を聞いていただく機会も多いものですが、

それでも全力を尽くし、

全身全霊をかけて伝えようと思います。

「気づく」ことは、

そのことを抜きにはあり得ないと思うからです。

他人様に何かを伝えると言うことは、

簡単なことではないと思います。

だから相手がどうであろうと、

決して手を抜くことなく

全力を尽くすしかないと思います。

また、

私という人間以上の教育を、

私は生み出すことはできません。

結局は、自分自身と向き合い、

自分を磨き抜くことでしか、

日本の教育をより良いものにする道は

ひらけないのだろうと思っています。

教育制度改革ではなく、

学校という箱物を作ることでもなく、

本当に目の前の1人の人間を育てるということは、

そうした厳しい道を歩くことに

ならざるを得ないのだと思います。

 

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5900

2023年05月21日 | Weblog

ブログ開設から5900日になりました。

あと100日で6000日です。

つらつらと徒然なるままに書いてきましたが、

随分と時が経ったものです。

言えることは、

書くことは、

自分の考えを鍛えていくことだということです。

お付き合いいただいている皆様、ありがとうございます。

これは私という一人のちっぽけな人間の、

心の彷徨いの記録であり、

悩みながらも志を失うことなく生きてきた

心の遍歴でもあります。

 

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強烈な願望を持つ

2023年05月20日 | Weblog

強烈な願望を持つことが、事業成功の鍵であり、何かを実現させるための大切な要因になるといいます。

では、世の親たちは、どれほど子供の健やかな成長と幸せを強烈に願っているのだろうかと思います。

そして、教育関係者たちは、人様の子供たちの健やかな成長と幸せを、どれほど強烈に願っているのだろうかと思います。

そこに今日の教育荒廃の原因があるのではないかと思います。

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ニーズ

2023年05月19日 | Weblog

今日もまた、素晴らしい人たちに出会い、

共に学ばせていただくことが出来ました。

感謝しかありません。

「学び方の変革」と「志の教育」の大切さを、

私自身が改めて感じました。

でも、こうした人たちは、私が伝えるまでもなく、

ご自身で気づき、素晴らしい人生を生きて行かれるのでは

ないだろうかとも思います。

むしろ、こうした教育の必要性を感じない人たちにこそ、

その大切さが伝えられたら良いのにと思います。

しかし、どんなに良い商品を作ったところで、

ニーズがなければ売れません。

それが難しいところであり、教育も同様です。

いくら高い理想を掲げても、ニーズがなければ求められない。

私の生み出す教育には残念ながら、

ニーズがないのだろうと思うこともあります。

だだ、教育は、それでも生み出し続け、

針の穴を通すような出会いから、

少しずつ手探りを続けていくしかないのだろうとも思います。

幸い、共に学んで下さった方の大きな成長の手応えは、

常に感じています。

だから、私は、

私を支えて下さっている方々のためにも、

信念をもって走り続けるだけです。

 

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航空会社

2023年05月16日 | Weblog

某航空会社のサイトがめちゃくちゃ使いにくくなっている。

多分、コンピュータのことは理解できても、

人間のことがあまりわからん人が作ったのだろうと思う。

使い勝手や、人間の意識の流れ、判断の効率、etc.…。

とにかく使い勝手が悪い。

まぁ、私が、もっと機械寄りになるしかないのかも知れませんが。

しかし、機械は人間が使って便利になるためのものではなかったのかと首をかしげたくなります。

きっとこれからそういう傾向は増加するのではないかと思います。

 

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「人生の本舞台は常に将来に在り」

2023年05月16日 | Weblog

「人生の本舞台は常に将来に在り」(憲政の父・尾崎行雄)

この言葉を、私が尊敬する憲政記念館の石田事務局長に教えていただき、随分時が経ちました。

この言葉について、「尾崎は74歳(満年齢)のとき、三重を遊説中に風邪をこじらせ中耳炎を併発。心身共に疲弊する中、まるで天からの啓示のごとく、突然この言葉が浮かび上がったといいます。「昨日までは人生の序幕に過ぎず、今日以後がその本舞台。過去はすべて人生の予備門で、現在以後がその本領だと信じて生きる」―という人生観です。」というように教えていただきました。

勿論、その通りなのです。「生を燃焼させるべし」という強い意志のあらわれた言葉であることに違いはありません。

しかし、昨日、「将来とは、自分が死んだ後の世の中のことではなかろうか」という思いが、ふと、頭をよぎりました。

自分が生きている間にやって来たことが、本当に実を結ぶのは、おそらく自分が死んだ後でしかない。だからこそ、生きている限り、子や孫の世代が幸せになるように全身全霊を注いで力を尽くす。

自分が生きているうちにやったことが、死後、日本社会で受け継がれ、活かされていくことこそが、自分の人生の意義であったのだ、と尾崎行雄は、病の床で考えたのではなかろうかと思うのです。

還暦を迎えた爺になったからこそ、このように考えてみることも出来たのだと思います。

そうすると、「人生の本舞台」「将来」という言葉が、また今までとは違った迫力で心に迫ってくるように感じました。

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本当に深い話

2023年05月10日 | Weblog

本当に深い話は、

何度聞いても、新たな気づきがあります。

よく人は、

「その話は一度聴いたから、もう聴かなくていい。」

と言っていますが、

実にもったいないことだと思います。

学びの本質を知らないから、

そう言えるのだと思います。

私は頭が良くないので、

同じ講演CDを、何度も何度も、

繰り返し繰り返し、聴いています。

その中で、何気なく聴いていた言葉が、

新たな光をまとって、ぱっと頭に入ってきて、

新しい気づきをいただくことが良くあるからです。

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逆境

2023年05月09日 | Weblog

逆境こそが志を鍛えてくれ、

孤独が人格を磨いてくれると思います。

そこで大切なのは、

その厳しさに負けないこと。

いつも笑顔で立ち向かうこと。

信念を貫くこと。

感謝と利他の心を忘れないこと。

素直であること。

 

捨て身で頑張ろうと思います。

どの道、死ぬのであれば、

少しでも他人様、世間様の、

お役に立てた方が良いと思うからです。

 

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静かな覚悟として

2023年05月09日 | Weblog

個人にも、家にも、国家にも、

天命というものがあるのかも知れません。

しかし、出来る限り、それぞれの人の営みが、

滅びないようにしたいと思います。

それは、まだ見ぬ、子どもや孫や曾孫たちの

幸せを願うことだからです。

間違いなく、父母や祖父母や曾祖父母たちは、

私たちの幸せを願って下さっていました。

その思いを受け止め、手渡していくことが、

歴史を紡いでいくということだと思います。

現代の日本では、それがすっかり変質しているように思います。

確信犯的に国を滅ぼしたいのだろうと思われる人もいます。

しかし、国が滅びていくのは、

結局、1人1人の心が、利己的で、

人間として何が正しいのかも判断できなくなった結果だと感じます。

その正しさは、歴史を学び、人間性を磨き、

未来への志を立てることでしか、

見えてこないように思います。

少なくとも私はそうでした。

日本と日本人を何とかしなければと思います。

しかし、他人様を云々するのではなく、

ただひたすらに、自分自身を磨いていこうと思います。

死に物狂いで私にやれることをやろうと思います。

 

 

 

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