Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

邪なボール

2014年05月30日 | Weblog
邪なボールを投げれば、

邪なボールが帰ってくるものです。

何が正しいか、
私の目にはわからないことも、
天は正しく判断して下さるものだと思います。

確かに私には能力も不足しており、
できないことも多いものです。

ただ、確かなことは、

私はそのような邪なボールは、
決して投げない人間でありたい。

そう思っているということです。
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ただひたすらに

2014年05月30日 | Weblog
ただひたすらに、誠実に、
志の教育を探究していくだけです。

たとえ、近くにも、遠くにも、
色々なことを言う人がいたとしても、

でも、私は私です。

私のことは私に聴いていただくのが一番ですし、
私の言動を見ていただくのが一番だと思います。

時が経てば、
正邪の秤は、
必ず正しい位置に戻るものだと私は信じます。

ま、色々あるのが人生です(笑)。

まぁ、確かに、
基本はろくなもんじゃないですけどね!(笑)









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卒塾レポート

2014年05月20日 | Weblog
バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋、
二つの寺子屋の卒塾レポートが届いています。

読んでいて、本当に感動します。

自分で掴んだものを、
自分の言葉で書いてくれています。

それは当然のことながら、
誤魔化しようのないものです。

共に、体験を重ねる日々を過ごしてきたのですから、
読んでみれば、すぐにわかります。

本当に人を育てると言うことは、
客観的な物差しなどでは測れないものだと思います。

一人一人、全員を、心から主観的に見るのです。
それが教育における公平であり、平等だと思います。

皆さんの成長に感動しながら、
次の山に登る準備を始めています。



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幾多の悩みを経て

2014年05月17日 | Weblog
私は子どもの頃から、
ずっと悩んでばかりいました。

人は、何故、生きなくてはならないのか。
どうすれば、自分の心は強くなれるのか。
どうすれば、人は幸せになれるのか。

多くの子どもたちは、
そうした問題に気を止めることもなく、
目の前の楽しさや忙しさに埋没する日々を選びます。

また、そうした問題に向き合うことに疲れて、
考えることをやめてしまいます。

しかし、
それは、課題がなくなってしまった訳ではなく、

人生の節目節目に、
必ずまた頭をもたげてきては、
人を不安に陥れていくもののようです。

私は悩み続けたお陰で、
おぼろげながらも、
光に向かって進む道筋を知ったのかもしれません。

だから、それを伝えていかなければならないように思います。

それが、志の教育なのかもしれません。

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哲学を

2014年05月16日 | Weblog
やはり、熟々思うことは、
わが国の教育に哲学が失われたことの大きさである。

知識を問う教育が盛んになり、
それを補強する技術の教育は盛んになった。

だが、人間不在の教育が、
いったいどこへ向かうことができるというのか。

道徳教育もあるではないかと
簡単に答えが返ってくるであろうが、
私が言いたいのはそうしたことではない。

人間は何のために生きるのか。
人間は何故学ばなければならないのか。

そうした根源的な問いは、本当に深く、
本当に答えを見出しにくいものである。

だから、学び続け、考え続け、自分と向き合い続け、
そして、現実の社会の中で生き抜く自己の経営理念を
自ら見出すしかないのだ。

哲学するとは、観念を弄ぶことではなく、
そうした生きる根っこを育むことだと思う。

そのような、暗夜の道に、
一灯を灯すが如き教育が行われなければ、

結局は、大人になっても、
人は、自分の人生の意味を知ることもなく、
また、知ろうとすることもあるまい。

あまり考えず、軽やかに、漂うように生きていく人生。
それしかあるまい。

豊かな時代なら、
そこに幾ばくかの幸せもあるだろう。

しかし、本当にそれで良いのだろうか?

自分のことだけを考え、
物質的価値のみを追い求め、
子々孫々の幸せを考えぬ人間に、
本当の意味での良き教育はできるのであろうか。

今、私が実践している教育には、
ここで述べたところの哲学的なものが
多分に含まれて居るのだろう。

人生の意味を考え始めた人は、
年齢にかかわらず、
本当に大きな成長を遂げ始めていく。




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一歩一歩

2014年05月16日 | Weblog
萩往還を歩き終えました。

この合宿が終わると、
バッカーズ寺子屋は、
卒塾式に向けて準備を進めていくことになります。

バッカーズ寺子屋に限らず、
様々な場面において、
出会いがあり、
新たな旅立ちがあります。

人生そのものも、
一つの旅だと思います。

一人一人の人生の糸が交差し、
そして、織りなされていく様は、
実に深く、実に不思議なものです。

しかし、まずは、自分の道を、
自分の日々の一歩を、
しっかりと踏みしめて歩いて行こうと思います。


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人間を育てるということ

2014年05月01日 | Weblog
人間を育てるということは、
手間暇のかかることであり、
愛情を注がなければできないものです。

たとえできの悪いと思われる子どもであったとしても、
わが子のように愛情を注がなくては、
育つはずがありません。

私は、私の思いと感覚を信じて教育を続けてきました。

それが理解されなくなれば、
私が教育を続ける意味はもはやありません。

教育はメンタルな部分が大きいものですから、
モチベーションの下がった状態で教育したところで、
それは私の抜け殻が教育しているに過ぎません。

そんなことをするぐらいなら、
潔く、全てを捨て、
新天地を切り拓く方が明らかに正しい。

私の判断の基準は、
そう簡単に変わるものではありません。

そして、私の悲しい覚悟はいつも決まっています。


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大観の富士

2014年05月01日 | Weblog
富士山を描いた絵を色々と見てきましたが、
やはり横山大観の絵は別格だと思います。

桜の花の絵なら、
それぞれの画家の、
それぞれの美に対する
感性の素晴らしさを感じ取り、
それぞれに共鳴することができます。

しかし、富士の絵となると、
どうも勝手が違うのです。

富士は「心神」と言うぐらいですから、
やはり、画家の精神性が滲み出てくるのだと思います。

偉そうに評価する資格が
私にないことはよくわかっています。

それでも、横山大観の描いた富士は、
大観自身の人生の凄みと、
その精神の凄みが伝わってくるのです。

そうとしか私には言いようがないのです。
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