Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

思うに

2015年07月31日 | Weblog
思うに、

私の想像する以上に、

多くの人たちが、

悩み、苦しみ、傷つき、

自分でもどうにもならない心を持て余して、

人生をあきらめようとしているのではないかと思うのです。

幸せな人生を過ごしている人ばかりに囲まれている人には、

そうした痛みや苦しみはなかなかわからないものだと思います。

人を責めているのではありません。

私自身、人の哀しみを、本当に悲しむことができるのか。

本当の意味では、きっと無理なことだと思います。

その人にしかわからないものだと思います。

だからこそ、

私は「志の大切さ」を共に学んでいくことで、

少しでも多くの人たちが前を向き、

幸せな人生を生きられたらと思うのです。

それは祈りにも似た、私の人生を賭けての挑戦です。
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信念

2015年07月23日 | Weblog
考えて、考えて、考えて、考え抜くこと。

毎日、毎日、毎日、毎日、考え抜くこと。

そうして、ようやく自分の信念なり、志なりは、
確立していくものだと思います。

つまり、寝ても覚めてもそのことを考え続けていなくては、
なかなか自分の信念と呼べるものにはならないのだと思います。

何かを本当に成し遂げたいのなら、
それだけの思いを持たなければならないし、
具体的行動を起こしていかなければなりません。

そうでなければ、何かを成し遂げることは、無理だと思います。

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今朝、出会った言葉

2015年07月22日 | Weblog


些細なことだといって、 ひとつ妥協したら、

将棋倒しに  すべてがこわれてしまう。


     映画監督 黒澤 明




こだわりをもって仕事をしている人間には、
とても心に響く言葉です。

やはり信念を貫きます。






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困難

2015年07月21日 | Weblog
純粋に教育をやっていきたいのですが、
なかなかにそれは困難なことのようです。

多くの関連事項には、
多くの人の価値観が紛れ込んでおり、

それは当の本人も気づかぬままに、
教育の本質に影響することが多々あるからです。

それに敏感に反応する私の方が、
非常識なのだろうと思いますし、
繊細すぎるのだろうと思います(笑)。

しかし、その意図と結果が見え、
それは予想に違うことはほぼないので、
なんともいえない哀しい気分です。

必敗の戦いを戦うような思いで、
何とか自分らしい教育をと思っています。

ただ、その非常識な私の教育が、
多くの人の成長に多少なりとも役立っているのならば、
そこには幾許かの価値はあるのだろうと思います。

他人の思惑を、一々、修正するのも面倒です。

そのときは、私が静かに去って行けば良いのです。

ただし。

そのままの私に価値を見いだしてくださる方がいらっしゃれば、
私は命懸けで教育実践を創り上げていきます。

これまでもそうでした。
そして、これからも。

私は、私の志を貫いていくだけです。
それ以外は二の次なのです。
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PC入院

2015年07月17日 | Weblog
PCが入院していて大変でした。

頭脳の一部がなくなったような、
大切な道具がなくなったような・・・。

今、新しいパソコンで書いています。

不幸中の幸いは、
台風で予定の研修が中止になったことです。

少し、時間ができました。

しかし、時間があってもパソコンがないと、
手も足も出ない状態になるものなのだと痛感しました。

再び、戦闘開始です。




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人生二度無し

2015年07月13日 | Weblog
今、悲しみの底にいる人も、
今、喜びの頂点にいる人も、
いずれその人生は終わりを迎えます。

人生は一期の夢・・・。

だから、精一杯生きていこうではありませんか。

人生は喜怒哀楽に彩られて過ぎていきます。

二度と無い人生を如何に生きるか。
何を次世代に残していくことができるのか。

全ては自分次第です。

私の人生など大した価値もありませんが、
ただ一つ思うことは、

期待して下さる方の期待には、
心を込めて誠実に応えていこうということです。



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確かな言葉を

2015年07月10日 | Weblog
日本人の精神が劣化しているという兆候が、
あちこちで感じられるようになったのは、
あながち気のせいではないように感じます。

一人一人の言動は、
その人の考え方から生み出されます。

そして、一人一人の考えは、
言葉によって生み出されていきます。

ということは、
日本人の精神の劣化は、
国語の劣化に外ならぬということになります。

最近、先人の書き残された書物を
学び直したいという気持ちが日増しに強くなっています。

それは、言葉が確かだからです。
確かな思想は、確かな言葉によってのみ
語られ得るのだと思います。

私も確かな言葉を持ちたいのです。

「日本再起動!」とか「日本を元気に!」などという言葉は、
私には、誰が誰に何をするのかが、さっぱりわかりません。

結果、かけ声だけ、評論だけ、になるのは目に見えています。

大切なのは、「私が、誰に、何をするか」という事だと思います。

一つ一つは些事であっても、
一つ一つの誠実さが大いなる成果を生み出すと、
私は信じています。














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子供の力

2015年07月09日 | Weblog
子供たちには、
目の前の大人が自分の敵か味方か、

上っ面だけで関わろうとしている人か、
心から関わろうとしている人なのか、

それらを瞬時に見抜く力が備わっています。

だから、
子供を見透かしているつもりが、
実は常に大人の側が見透かされているのです。

そこで問われるのは、

人を肩書きや地位で見ないとか、
愛情や思いやりの心をもって接するとか、

大人たちがいつも子供たちに説教していることを、
大人自身が本当にやっているかどうかということです。

そして、

子供をどう見ているかという心の持ち方です。

子供を可愛がること、子供を敬うこと。

言うのは簡単なのですが、
本当にそうした見方ができるようになるためには、

長い時間をかけて、学び続け、
自分の心を錬り続けなければなりません。

少なくとも私はそうでした。




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高岡の地にて

2015年07月05日 | Weblog
富山の高岡で、
45名の子供たちに、
「志の授業」をさせていただく機会を得ました。

日本の受け身型の教育は、
少しも変わっていないことを痛切に感じさせられましたが、

同時に、一人一人の子供たちの姿に、成長に、
大きな可能性を感じることができました。

やはり指導する大人の側の問題なのです。
技術ではなく、心を伝えること、
それもど真剣に伝えることが大切なのだと思います。

また、誰のために、何のために伝えようとしているのかという、
伝える側の心の在り方が大切なのだと思います。

一度限りの人生、
私を本当に必要としてくださる場所で、
全力で教育に打ち込みたいと思います。

教育と言うよりは、
自分が学ばせていただき、
大切だと実感してきたことを、
子供たちと共に学ばせていただくだけです。

偉そうに教えられることなど、
私には何一つありません。

時宜を得れば、大勢の人と共に学び、
時宜を得なければ、一人で学び続けるだけ。

ただ、それだけです。

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