Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

行く年に感謝

2021年12月31日 | Weblog

今年もたくさんの方にお世話になりました。

心より感謝申し上げます。

人生は日々新たな出会いの連続だと思います。

今年、新しく出会った方が、これからの私の教育実践活動に、大きな意味を持つこともあります。また、これまでに出会った方が、改めて私の人生に大きな意味を持つこともあります。

これまでに出会ってきた歴史上の偉人たち 、ーー吉田松陰や、橋本左内、西郷隆盛、小村寿太郎、二宮尊徳、渋沢栄一ーー、といった人たちとの、新たな出会いもありました。ここでいう新たな出会いというのは、その人の新たな人間的一面の発見や、新たな業績の発見をしたということです。

出会いとは、出会いの意味を新たに捉え直すということであり、既に出会った既知の人たちとも、私たちは日々新たに出会い直すのだと思います。それは自分の心次第です。

その出会いにどのような意味があるかを決めるのは自分自身なのです。

出会いに感謝し、自らのなすべき事を考え、来年も全力で走りたいと思います。

今年もお世話になりました。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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楽しく働く

2021年12月30日 | Weblog

一年を終えて思うことは、みんなが笑顔で楽しく働けたらいいなということです。

何のために働くのかといえば、やはり、自分も家族も社員も、全ての人たちが幸せに暮らすためだと思います。

そこで、正しい心を持つことが大切になります。わがままや、自己中心的な考え方は、他人様を不愉快な思いにさせてしまいます。

正しいと信ずる道を歩んでいても、妬みや嫉みという感情も時に受けるものですし、誤解や勘違いということも多々起こるものです。

だから、とらわれのない心で、他人と向き合うことができるよう、修業を積まなければならないと思います。

みんなが楽しく生きていくことができるように、力を尽くします。

 

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青天を衝け

2021年12月28日 | Weblog

どんなに素晴らしい業績を残した人にも人生の終わりの時が来ます。

その時まで懸命に生きた分だけ、死んだ後にも、その思いが残り、伝わり、受け継がれていくものなのだろうと思います。

私には小さな小さな小石しか積むことはできませんが、少しでも、日本の未来のために、教育のために、未来の子どもたちのために、励み続けようと思います。

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自分を磨く

2021年12月28日 | Weblog

大切なことは、人間としての在り方を学ぶということに尽きると思います。

仕事が上手くいくかどうか、家庭が上手くいくかどうか、人間関係が上手くいくかどうか、そうしたことは、全てその人の考え方によって生み出される、「言葉と行動」が影響するものだからです。

「この人とは関わり合いたくない」と思われるような行動は、例えば、その人のエゴや思い込みの強さや配慮の無さによるものであったりします。

しかし、人によって、厭だと思うツボは違いますから、一概には言えないところもあります。

ただ、自分をしっかり確立していること、相手を思いやること、そして、自他の人間関係を俯瞰する視野の広さと深さが大切であることは紛れもない事実だと思います。

しかし、私たちは、心を磨き、人間性を高めるための学びをなかなかできてはいないのです。

私も素晴らしい人と共に時を過ごしていると、自分の未熟さが痛感させられます。

それは、ちょっとした言葉のやりとりの中での、相手の反応によって気づかされます。

ストレスなく自然体で生きられるように、もっと自分を磨いていかなければと思います。

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俯瞰する

2021年12月25日 | Weblog

今、スケジュールを俯瞰して見ることの大切さを痛感しています。

一日、一週間、一ヶ月、一年、二年、三年、…。

かつては考えても見えてこないことも多かったのですが、今は、考えることにもっと時間を費やし、自分の意図をより明確にし、無駄のない行動を生み出していきたい気がします。

勿論、実行が第一なのは当然ですが、より精度の高い行動を生み出すためには、自分の時間を俯瞰しておくことがとても大切だと感じます。

お前は、今さらそんなことを言っているのかと笑われそうですが、今まで以上に、改めて、深く感じているということです。

自分の人生の1ページをどのように書いていくかを考えるのが、とても楽しい感覚とでも言いましょうか。

きっと人生の残り時間の少なさが明確になってきたから、こうした感覚が目覚めてきているのだろうと思います。

人生は実に奥深く楽しいものです。

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酔いに任せての一言

2021年12月21日 | Weblog

すくすくと伸びていく子どももいます。

なかなか伸びていかない子どももいます。

それでよいのです。

人には「時」というものがあります。

大切なのは、教える側の「信じる心」と「待つ心」です。そして、子どもに「全力で向き合う心」なのです。

子どもが簡単に育てば苦労はないようだけれど、そんなに簡単なものではないのです。子どもの成長を祈りつつ、やきもきしながら「待つ」という忍耐力こそが大切なのです。その試練を経たものでなければ、それは、偽物の可能性が高いのです。

また、育っていると見誤ることは、もっと問題です。子どもの姿を見ることは、簡単なようで、全く簡単ではないのです。

そして、もっとも大きな問題は、手を抜くことです。

妥協をしたり、まだ、わからないだろうと思って手を抜くことほど、子どもたちの成長を阻害するものはありません。

子どもぐらいは騙せるだろうと思う、大人の心根の卑しさこそ、教育から最も遠いものだと思い知るべきだと思います。

 

 

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東京オリンピックへのまなざし

2021年12月21日 | Weblog

東京オリンピックに関しての諸外国の評価が、その報じられ方を通してわかります。

東京2020オリンピック閉幕、大会の評価 | 公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)

本当に、関係者の皆様はベストを尽くして下さったと思います。

五輪とは関係の無い私ですが、やはり、そこに敬意を表し、感謝を申し上げたいと思います。

この五輪に関しての海外メディアの報じ方を見ると、比較的冷静に広い視野で見て、書いていることが理解できます。これは日常的にそうした姿勢があるのではないかと感じます。(最近は、そうでないところもあると理解していますが。)

それに対して、日本のマスコミは、予断と偏見と思い込みに満ち満ちていたと思います。

これは社会問題でもあるし、教育の問題でもあるかと思います。マスコミの質の向上が、教育の向上にも、社会全体の向上にも繋がっていくと思います。

裏を返せば、今、あらゆるところで、日本の社会に予断と偏見と思い込みが蔓延しているのは、メディアがそのお手本をいつも示しているからだと思うのです。

勿論、社としての方向性や、立場があるのはわかりますが、海外メディアの報道と較べて、何とも残念な印象を今回も受けてしまいました。

私は教育の立場から、何とかしていきたいと思います。

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遠く仰ぎ見る

2021年12月21日 | Weblog

安岡正篤先生の言葉は、実に鋭く物事の本質を見極めておられ、実に奥が深いメッセージだと感じ入ります。私如きが到底たどり着けない境地に憧れるばかりではありますが、まだ、お読みになったことのない方に少し紹介をさせていただこうと思います

人間の「見識」と「胆力」ということについて、お書きになっている箇所です。

 

8月22日     人物の第一条件
「人物たることの第1の条件は理想を持つことであって、理想を持つとその理想に照らして現実に対する反省批判というものが起こって来る。即ち「見識」というものが生ずるのであります。元気と理想と見識、この見識は又人物たることの大事な条件です。見識は「知識」とは違う、知識を獲得することは簡単で、神経衰弱青年でも得られるが、「見識」は性命より生ずる理想を追求して初めて得られるもの、理想に照らして現実の複雑な経験を断定するものである。知識などとは比較にならぬものである。人生に大事なものは知識より見識であります。」

8月23日      胆力
「吾々はいくら智慧があっても、学問があっても、個人と個人との日常生活の細やかな問題の決定一つつかぬことが多い。偉い学者といわれる人がつまらぬ一瑣事に捉われるということは、つまり知識と見識が違うからで、従って見識というものは一つの決断力であり、これは人生においては直ちに行為となって現れなければならぬ。決断は同時に行でなければなぬ。従って見識は実践的でなければならぬ。ところが見識が実践に入るには又ここに一つ勇気が要る。この実践的勇気を称して、古来最も民衆的な言葉でいうと、「胆力」と申します。」

『安岡正篤 活学一日一言』 致知出版社

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習わざるを伝うるか

2021年12月19日 | Weblog

曾子そうしいわく、

れ日に三たびが身をかえりみる。

人のためはかりて忠ならざるか。

朋友ほうゆうと交わりて信ならざるか。

習わざるを伝うるか」

(訳)

曾子が言った。

「私は一日の中で何度も、次の点において、自分の身を省みる。

人のために相談に乗ったとき、

我が事のように誠意を尽くしただろうか。

友達との交際において、

信義を尽くさないことはなかっただろうか。

自分の知識として完全に消化されていないことを、

他人に教え伝えはしなかっただろうか。」と。

 

最後の「習わざるを伝うるか」というのは、

知識のことにとどまらないと思うようになりました。

自分が本当に伝えられることは、

自分ができていることだけなのです。

自分ができてもいないことを教え伝えてはいないか。

そこに厳しくならなければなりません。

できているつもりになって教えてはいけないのです。

確信をもって、自分ができていることしか、

自分には伝える資格がない。

そう自らを厳しく戒めているかが問われるのです。

そうでなければ、言葉は真に力を持ち得ないのだと思います。

 

 

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人間教育の難しさ

2021年12月18日 | Weblog

人間が、人間として成長することの難しさを感じます。

自分自身が成長することも困難なのに、

どうして他人様を成長させることができるだろうかと、

教育する立場にいる私の未熟さに

愕然とすることもあります。

しかし、一歩一歩学び続けるしかありません。

人間として成長していかなければ、

仕事も、家庭も、友人関係も、

すべて上手くはいかないのだと思います。

だから本を読まなければならないし、

他人様から学ばせていただかなければならないし、

深く考える時間を持たなければならないのだと思います。

 

 

 

 

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