歌仲間の小川さんより頂いた絵葉書は、野麦峠にある「政井みねを背負う兄の像」。久しぶりに乗鞍に行ったことを思い出しました。私たちは観光でしたが、女工哀史で知られる悲惨な飛騨の少女の生涯を書いた、山本茂美の小説「あゝ野麦峠」が映画化されて、よく知られることとなりました。たまたま我が家に原作の古い本があるので、映画化、テレビドラマ化される前に峠のことは、すでに知っていました。乗鞍に近いし・・・
明治初期、飛騨から野麦峠を越えて、岡谷の製糸工場に10代の女性が多く出稼ぎに出ていました。貧しさのため、口減らしのため、この葉書の政井さんも14歳で女工となりました。しばらくして激務が祟り、病になり、兄に負んぶされ飛騨に戻る時、野麦峠で「ああ飛騨が見える」、と言い、わずか21歳で絶命するのです。兄は松本の病院での治療をすすめましたが、死期をさとり、飛騨に帰りたいと言うのです。今は製糸工場は、世界遺産となり岡谷に残っていますが、悲しい女工の歴史も忘れてはならないことです。みねの死後100年以上たっても、菩提寺には花が絶えないそうです。この葉書の石像は平成元年に建立。
読まれていましたね。
我が家のものは夫が昔買っていて初版本で、
第一ページに著者が早大の学帽を冠り
大きく出ていて驚いてしまいました。
内容よりその大きな写真にです。
そうですね。
まだ貧しい国の方が多いですものね。
豊かなのは1割くらいとか・・・
一日100円で暮らす国が無数にあるとか・・・
日本がゆたか過ぎて忘れられていますね。
口減らしのための奉公、劣悪な労働条件の為の短命、
日本では明治の昔の話ですが
世界ではまだまだそうしたことが行われている国も多いようですね。
友人の恩師が作詞をされていますので、
出来た当初から知っていました。
中学生の時は学校でも歌われていました。
でもそんなに峠があるとは知りませんでした。
とても行けそうにないところですが、
再訪する必要がありますね。
そして岐阜県民の歌にあるように山の国ですわ。
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/112.html
また「野麦峠の館」は平成3年(1991年)7月オープンだそうで、
「女工哀史」関連のビデオも流されてました。
岐阜に100も峠があるとは知りませんでした。
さすがです。
あんな高いところを自転車で越えられるとは
すごいです。
私たちは学生時代つまり昭和30年代ですので
お助け小屋も知らず唯通過しただけでした。
今は博物館もあるのですか。
野麦峠も車道の峠、女工さんが歩いた旧道も走破しております。
峠にあるお助け小屋にも泊まったこともあります。
http://tougeoyaji.ciao.jp/nomugitougenoyakata_tour.htm
そして、峠には「峠の館」という峠専門の珍しい
博物館もありまして、とてもディープな場所です。
あの見返しの著者の写真は早大生の時の
ものと思われます。
私が野麦峠を通ったのは昭和38年位でしたので
まだみねさんの石像はありませんでした。
ただ木の棒に野麦峠と書いてあっただけでした。
あの峠に著者の奥さんが行かれていたことは
知りませんでした。
世界遺産もいいですが、負の歴史を知ることも
大切ですね。
「あゝ野麦峠」を題材にされ、私はかつて何度も訪れた野麦峠と奈川村主催で行われていた頃の”野麦峠祭り”を思い出しました。
私も山本茂美氏の小説を読みましたし、いつの年だか野麦峠祭りに山本茂美氏の奥様がいらっしゃったこともあります。
峠にある”お助け小屋”(写真の右のほうにあります)、そこからさらに登ると、「みね」さんのお墓があります。
明治時代、”富国強兵”という言葉の下で彼女たちのような健気な女工たちが国を支えていた事実を、もっと広く知ってほしいと思います。