昨日は陳情することがあり、付き添いを頼まれて二人で岐南町長室を訪問しました。町庁舎は10年前に改築され、デザインは、東京の建築事務所flat class architectsによるもの。町長室の入り口には、当町出身の日展日本画家、長縄士郎氏の絵が掲げてあります。次の面会を待つ人もあり早々においとまをしたのですが、その前に「青淵」の署名のある額装された漢詩に目が留まり、町長に聞いてみました。青淵は渋沢栄一の雅号。そのご縁を聞いたのです。
町長も気をよくして、「青淵で分かりますか? 」と言われ、「わが家にもありましたので」、と答えました。なぜ当町にあるのかと言うと、町内に在住される横山家のご先祖は、東京で渋沢栄一の家庭教師として指導する人でした。それで軸を多く持たれ、町長も頂かれたそうです。そのご縁で15代将軍慶喜の書もあります。
さらに別のお宝のことも耳にしました。14代将軍・徳川家茂が、英国のヴィクトリア女王に贈呈した屏風と同じものが当町にもあるそうです。町内の葛谷氏のご先祖は、加納城と商取引がありました。家康の長女の亀姫は、加納城城主奥平氏に嫁ぎました。当町の屏風と、英国へ贈られた屏風と専門家が比較すると一世紀ほど古いとか。とにかく英国と同じ屏風が当町にあるのは大変すばらしいことと思います。
現町長は就任二年目、前の町長は3期を務めましたが、この種の話はありませんでした。ご遺族が今の小島町長に寄付を申し出たのもご人徳のせいでしょう。我が家の「青淵」つまり、渋沢栄一の扁額は、虫食いと褪色がひどくて亡父が40年前に廃棄。後世ドラマになるのは予測できなかったようです。せめて写真に撮っておくべきでした。
町の公民館を使用して短歌会を開催しているので、月見草誌もお渡しすべきかと考え、一部贈呈しました。
町長室入口
右が渋沢栄一で、中央と左が徳川慶喜。
いろいろと学ばせて頂きましてありがとうございました。
結果がどうあれ、よい体験をさせて頂きました。
町民の先祖にすごい方がおられたことを知り
驚きました。
我家のお宝は残念なことになくなりました。扁額は
亡き伯母の元からもたらされたものでした。
そんな歴史があったのですね。
渋沢栄一の扁額があったとは。
惜しいことをなさいましたね。
だと思います。
我家の扁額は、伯母のもとにありました。
でも、伯母の孫は、慶大、東京芸大をそれぞれ出て、
東京にいます。芸大出の方は、画家をしていて
それなりに活躍しているようですが、交流がないのです。
その扁額のいわれのことも知らないと思います。