つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

東京裁判はでっちあげだった

2023-02-07 | 

 最近ネットで知り合った女性が推薦されていたことから、「東京裁判はでっちあげだった」という本をアマゾンに注文しました。絶版になっているのが残念です。古書を取り寄せました。日本人に是非読んでほしい本です。あまりにも自虐的になりすぎているので。この著者(北岡俊明氏) のように気概を持ってほしいです。これを国民が読み、受け入れれば、韓国や中国に侮られることはないでしょう。侵略であることを受け入れる風潮が残念です。いかに米国が狡猾であることが理解できます。

 米国のある裁判官が原爆は国際条約違反であるという発言をしたのですが、この部分だけ米国側は日本語通訳を勝手に停止しました。後年内容が明らかになりますが、ずるい卑怯な国であることがはっきり証明できます。

 戦勝国が敗戦国を裁くのは世界史上、ドイツのニュンベルク裁判と東京裁判とが初めてであった。しかし、東京裁判は、ニュンベルク裁判の安易な極東版であった。すなわちナチスドイツと日本を同一視した東京裁判は、大きな間違いの始まりだった。(p2) 

 上海事変の発端は中国人であること。南京事件で日本人が34万人も殺したという嘘の情報も受け入れて、今日に至っているのが残念です。当時南京の人口が20万人であるのにそれ以上の数字があるはずはありません。

本文より

 左翼マスコミはしたり顔で言う。サンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受諾したのだからこの裁判は正しかったのだと。しかし、これこそが負け犬や奴隷の発想であり、科学的、論理的な発想ではない。p3

 アメリカに日本を裁く権限も権利もない。日本を裁いたのは、欧米人のアジア人に対する偏見と差別以外の何物でもない。東京裁判は、アジアに対する蔑視の発想が、まだ色濃く残っていた、偏見の時代の遺物としての裁判である。p4

 有色人種インド人のパール判事は、この裁判の中に欧米人の偏見と差別を見たのである。だからこそ、日本無罪を主張したと、筆者は推測している。p4

 昭和20年8月8日、ソ連は中立条約を破って満州に侵略してきた。ソ連が東京裁判で判事や検察側になり日本を裁くのは笑止のかぎりである。日本の侵略戦争を非難し裁く権利も資格もソ連にはない。厚顔無恥とはこのことをいう。しかも60万人以上の日本兵を捕虜としてシベリアに抑留し、過酷な労働を強いた。その結果6万人以上の人間が飢えと疲労で無念の死をとげた。これは明らかな国際法違反である。捕虜の虐待である。p280

 サンフランシスコ講和条約の第11条は、昭和26年9月8日の締結から昭和33年12月29日の釈放までの期間を拘束するものであった。1000人以上の刑が執行された。不当であろうと、妥当であろうと、東京裁判の判決の執行はすべて終わった。この存在しないものを非難するのは頭がおかしいとしかいいようがない。中国人や韓国人は、思考力・考える力が欠けているか、頭脳や脳というものが欠落しているのに違いない。 

 法律上も実体もすでに存在しないA級戦犯が祀られているからと、靖国神社参拝を非難するのは、近代法を解せぬ野蛮人である。刑が終われば刑が終わりである。さらに時効という概念もない。中・韓は非近代国家であり、非近代国民である。  p290

 

 以下は、ネットでの知り合いで本を勧めてくれた、Mさんの記事の一部です。 

ナチスドイツの犯罪とは根本的に異なる
・・・ナチスの犯罪つまり人道に対する罪は、正確にいうと、戦争とは直接関係のないことであり、本来の戦争犯罪ではない。ある民族の計画的な絶滅的プログラムであって戦争ではない。第二次大戦という戦争を隠れ蓑にして、その計画を大規模に実行したのである。(中略)

 日本の戦争犯罪をドイツと一緒にしては間違いである。
  (中略)
ナチスの罪は言い訳が許されない残虐行為である。しかし、日本の行為は戦争によって発生したものである。日本だけでなく、古今東西の歴史の中で、無数に存在したものである。日本が犯したとされた犯罪は戦争犯罪であり、しかも、それは戦争に必然的に伴うものである。ゆえに、日本の戦争犯罪が問われるならば、連合国の戦争犯罪も問われなければ、正しい裁判とはいえない。
     P64~66
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↑で何がそうすっきりした文言なのかというと。
日本人だけが特別に残虐で残忍で目も当てられぬような殺戮を犯したという非難を浴び、それに対して他国の偽情報であると強く抵抗する時、必ず返答されるのが<独りでもやったなら駄目なんですよ!>という言葉。
そう言われれば、そりゃ戦地及び国内においても、兵隊も一般国民も含めて、なにか起こっていた事は具体例を挙げられずとも全くもって皆無だったとは言えない。言わない。

ことさらに日本だけを非難し批判し、裁かれて、未来の天皇誕生日を処刑日に選定した連合国側の対応について、なぜにここまで、現代の今の今迄、ひたすら打ちのめされ続けなければならんのか!という事なのだ。

どこもみな同じだから日本も非難される必要は無い、そういう考え方ではない。しかし、戦争時における非常事態の発生を人間の弱さとして認識できるかどうか、それを正当に良くも悪くもどこででも起こる、だからこその非常事態であるという事が言いたい。

そして、日本の軍隊や国民含めて、日本人は日本国として皆で力を合わせて戦ったと胸を張りたいのだ。
誇りは揺るがない。
その思いを、間違って認識し苛まれている人たちに伝える文言を持ち得なかった昨日までの自分にようやく訪れた解放の喜び、これを今記し終えたということなのである。

302頁。総合法令出版株式会社発行

 


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