今年99歳になられた著者の久野治氏から歌集「白寿」が、このほど送られて来ました。岐阜県歌人クラブ紙の知り合いで、著書多数。織部の研究家で、その方面の著書により賞も獲得されています。三菱重工退職後、文学の道に志され、短歌、作詞、それに絵もたしなんでおられます。
夏の気温が日本最高である多治見市の地を離れ、近年琵琶湖畔の高層住宅に住まわれています。短歌は14歳から詠まれていて、陶芸関係の作品が最多です。下に順に挙げましたが、この他にクラシックコンサートを詠まれたものもあります。巻末には6曲の郷土の歌の作詞作品があります。これからも長生されることを祷ります。
一握の 陶土を柩に 入れしとう 天にて轆轤 まわし給うか (陶芸家・加藤唐九郎)
蜩も 啼きつくしたると 思うとき 卒寿をまえに 母逝きにける
そのむかし 利休の首を さらしたる 戻り橋あと 春の雨降る
若き日に 征きたる東西 西ドイツ 既に貧富の 差はひろがりぬ
窯神の 供えの水・塩 こぼれけり 攻め焚き一気に 地ひびき立てる
高台の 下石小学校 そのむかし 田中邦衛 が教鞭とりたり (俳優 田中邦衛)
窯の火は 冷ましに入りて ふと見上ぐ 染井吉野は すでに七分か (第3回岐阜県文芸祭文芸大賞)
そのむかし 佐藤一斎の 言よろし 「春風をもって 人に接す」と
頑張ったね と言ってやりたし 一人孫 われらが一族 少子にあれば
大比叡の 山の麓に 庵むすび われの余生は 歌詠み人か
著者は、三菱重工にてゼロ戦の制作に携わっておられた昭和19年徴兵を受けられ、フィリピンに派遣される途中、米軍の攻撃にあい、船が大破。15時間漂流の後、友軍に助けられました。その後台湾で軍務をされ終戦となりました。中日出版発行。192頁。
下段の写真は昨日の母の日に届いた長男夫婦からのプレゼント
ご長男ご夫婦の母の日プレゼントは冷凍ですか。珍しいですね。ウナギは冷凍というのがわかりますが。
久野治氏の白寿の作品、なんてお元気で励んでいらっしゃるのでしょう。matsubaraさまも日ごろのお勉強でこのように白寿まで頑張られますように。
それほでの変化はないはずですが、小学生の成長は
早いです。
息子たちのプレゼント、なだ万の弁当は冷凍では
ありません。
ウナギだけ冷凍です。
久野氏は、戦時中死の間際まで行かれたため精神力が
並の人ではありません。
私なんかとてもとても・・・足元にも及びません。