つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

川淵三郎講演会

2018-02-26 | 岐阜県

 昨日は同窓会のランチ会の後で、隣の笠松町主催の川淵三郎講演会に出かけました。テーマは、「夢があるから強くなる」。川淵氏は、日本サッカー協会最高顧問。50年前の東京オリンピックのサッカー選手。古河電工引退後は、Jリーグ理事長。とても82歳とは思われない歯切れのよさでした。Jリーグを立ち上げる前は、今日のサッカーブームは信じられなかったそうです。1500人収容の屋根付き競技場のあることなどの難題を7つ提示し、それをクリヤーできるかということを条件に20のチームを募集。鹿島市は、とても条件は難しかったのですが、当時の首長が競技場の建設を約束したため、鹿島アントラーズが生まれました。人口4万人では、まず建設は不可能と思われたのですが・・・そして今あるチームが残りました。

 発足した1993年に、まずロゴマークを制定。タバコのピースの箱の鳩のデザイン料が1946年で100万円ということですから高いことは承知しておられ、1000万円寄付されたそうです。一年目にそのロゴマークの使用料が300億円も入りましたが、年々減少し、今は1/10ほどらしいです。当時日本には競技場も殆どなくて、今の隆盛は信じられないそうです。

 1990年代から2000年代にかけてワールドカップやオリンピックで活躍した中田選手は金髪に染めていました。これがよく目立ちヨーロッパのチームからスカウトされました。次の時代に活躍したのは本田選手。でもこの二人に匹敵する次の選手が、今いないことが心配らしいです。

 かつてバスケット選手が国際試合にも出られないほど、役員が腐敗して分裂していました。でも川淵氏の尽力で蘇りました。今は、日本バスケットボール協会会長です。

 会場には隣接する岐阜工業高校の生徒が大勢いて、講師もそのことを意識されて話されました。講師の写真は撮影禁止。録音も禁止でした。同窓会ランチは、夫の入院もあり、半年ぶり。皆さんの元気な姿に会えて息抜きできました。 

 

 

 

同窓会バイキング

 

講演会の帰りはコーヒータイム                                     店のステンドグラス

 

昨夜は五輪閉会式 旗手は小平選手でした

 

 

 

 

コメント (6)
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