つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

六十年前の歌集

2016-02-23 | 短歌

 放送大学の友人Sさんから、ある方の和綴じの歌集を頂きました。「竹馬抄」。昭和28年発行。著者は及能謙一氏。東大出の学者で、横浜市大医学部の前身の横浜医専初代学長。もう旧制中学の頃から作歌をされていて、その頃有名な竹柏会に入っておられました。歌集の序文は、佐佐木信綱。序歌は、これも著名な太田水穂。 

 及能氏は、大卒後ベルリンに留学。さらに米国旅行。4人の娘さんのよき父でもありました。初孫が男児であったことも大きな喜びでした。戦争中は娘婿さんの出征もあり、悲しみの歌も見られます。戦後は職を辞し、奥様との静かな日々でした。

 現代のエリートは、時代のせいでもあるのですが、この人の真似は出来ません。医学者が歌を詠み、水彩画を描き、歌集を出版することは叶わない時代です。

 Sさんは、和綴じが気に入ったことと、見返しの雀の絵が目に止まり、古書店で買われたそうです。でも、もう見ることもないのでと、私に下さいました。感謝です。

 歴史が感じられる歌を挙げてみます。

わが前に妻が据えたる三つ組の朱の盃まづあけにけり (昭和6年のお正月)

リンカーンの像を見返へれば雪の上にわがふみし靴の外に痕なし (ワシントン)

みんなみの海になだれてベスビオは今もさりげなく煙吐き居り (イタリア紀行 このころまだ火山の煙が見られたようです)

埃及の砂漠の砂にわがかげも駱駝のかげも共に短し (エジプト紀行)

ほがらけき冬の朝霧とよもしてサイレン鳴りぬ皇子生れたまふ (昭和8年 平成天皇出生)

口ばたにいれずみ蒼きメノコひとり湖を見て居りかたへに立ちて  (このころアイヌの婦人も見られたようです)

牡丹画くと臙脂をときて筆とりてつつしみ心白紙にむかふ (絵の心得もおありです)

花といへば棺の上にもりあげし紅き蓮の花の見たりし  (原三渓の告別式)

新しく造営なりし神宮の檜のかをりむねにしみ入る (伊勢神宮遷宮の年 昭和15年)

小さなる四つの島にひしめきて生きる八千万のひとりかわれは (昭和26年の人口はこの数字でした) 

 

 

  

 見返しの雀

  

  太田水穂の序歌

コメント (2)
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