つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

長恨歌

2009-11-30 | 歴史
 放送大学で、安東教授の漢詩の講義を受けて、これまで随分長い間真実を知らなかったことがショックでした。テーマは、李白でしたがそれより、白楽天の長恨歌の話を先にupします。
 長恨歌はいかにも玄宗皇帝と楊貴妃の純愛物語めいていますが、事実は全く異なるものでした。清濁あわせ呑み、この詩を書いた白楽天の才能に驚くというべきか・・・

 57歳の玄宗皇帝は、23歳の息子の嫁の楊貴妃を我が物にしてしまったのです。それもいろいろな大儀名分を作り上げて・・・まず実母の死という理由で息子の嫁の楊貴妃を尼さんにして、次は儒教の教えだから親の言いつけを聞け、ということで、自分のものにしまったのです。後世の識者は、これはおぞましいことだと明言しています。李白のことは明日に・・・写真は県図書館の南京黄櫨(なんきんはぜ)。中国原産。トウダイグサ科。
コメント (4)
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