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思考体力

『思考体系を鍛える』より

「思考体力」は六つの力が絡み合い発揮される

 身体的な運動の体力が「跳躍力」「反射力」「持久力」などで構成されるように、私の考える思考体力も六つの力で構成されます。それが「自己駆動力」「多段思考力」「疑い力」「大局力」「場合分け力」「ジャンプ力」です。

1 自己駆動力

 「思考体力」の原動力・ペースとなる力で、車のエンジンのようなものです。まず、「○○したい!」という強い気持ちがなければ、何も始まりません。さらに、その上で積極的に動いていくことが重要です。このように、自らの意志で決めて動く力が「自己駆動力」です。

 自己駆動という言葉は、私の専門の渋滞学で、人や車など「自らの意志で能動的に動けるもの」を表す言葉として世界共通で使われています。

 目標を設定したり、あらゆる決断を行ったりするときに「自己駆動力」があると、どんな困難に出合っても「自分で決めたことだから」と乗り切れます。

2 多段思考力

 何か目標や疑問を持ったら、そこがスタート地点と考え、ゴール(目標・答え・ターゲット)まで上っていきます。

 この過程において、「もういいや」と適当な妥協点を見つけることもできますが、決してあきらめず、「もう一段先≒もう一段先」と考え続ける力が、「多段思考力」です。「自己駆動力」がエンジンなら、こちらはアクセルを踏み続ける力。

 この力は、思考するとき、常に必要とされます。決めたことをやり抜くための強い動機づけである「自己駆動力」があれば、さらに粘り強さと集中力が発揮されるでしょう。

3 疑いカ

 何か情報を得たり、自分で答えを導いたりしたときに、「本当に正しいのだろうか?」といったん立ち止まって考えてみるのが、「疑い力」です。つまり、ブレーキの役割。

 疑ったものに対してフィードバックをかけながら随時その正誤を検証し、解答の精度を上げていきます。この力があると、ケアレスミスや失敗を減らすことができ、他人からだまれさたり、ごまかされたりするリスクが減ります。

 この力を発揮することで、別の選択肢を見つけるきっかけにもなるので、後述する「場合分け力」や「ジャンプカ」にもつながっていきます。

4 大局カ

 物事を進めていく際、俯瞰して全体をとらえることが必要なときがあります。集中(ズームイン)しすぎると見えなくなることも、俯瞰(ズームアウト)することで周囲の動きをつかみ、白分か進む道やとるべき行動が見えてきます。たとえるなら、この力はカーナビのようなもの。この全体を見わたす力が「大局力」です。

 大局力には空間全体を見わたす「周辺視野」と時間を読む「サキヨミ」があります。会社全体やチーム全体を見る必要のある経営者、チームリーダー、プロデューサーには不可欠な力です。「多段思考力」で集中して上り続けることは大切ですが、時折この「大局力」で全体を俯瞰することで、さらに解答への近道を見つけることができるはずです。

5 場合分けカ

 目標を達成する際、途中で道が分かれていること(分岐点)があります。

 たとえば、車の運転をしていて渋滞につかまりそうになったとき、このまま一般道を走るのか、高速道路に乗ったほうがよいのか、はたまた迂回して抜け道を選んだほうが早いのか悩むことがありますよね。どのルートを選ぶかで、到着時間が大幅に変わることもあるでしょう。

 この分岐点できちんと分類・整理して、最適な道を選びとる力が「場合分け力」です。また、この能力は、「疑い力」を使って選択肢そのものを増やすことで可能性が広がり、さらにその力が発揮されます。

6 ジャンプ力

 問題を解決するときに、たいていの人が行き詰まって立ち往生してしまうような場面で、パッと解決策を提示できる人がいます。こういう人は、何段も思考を「ジャンプ」して解決策を見出しているのです。この力が「ジャンプ力」。

 車の例でいえば、交通手段自体を変えてしまうような発想の転換ができるイメージです。この力があれば、論理の階段を何段分も飛ばすことができ、より早く解答に近づくことができます。

 これらの力は、それぞれ独立しているものの、問題を解決するときには複合的に絡み合って、その効果が発揮されます。つまり、どれかひとつだけ身につければいいというわけではなく、どれも重要だということ。六つの力が合わさった「思考体力」があれば、向かうところ敵なしです。どんな難問も切り抜けることができ、自分の望む人生を歩んでいけるでしょう。
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日本企業はパラサイトかガラパゴス化

アメリカ企業のエコシステム戦略

 エコシステムとは生物学でいう生態系のことであるが、近年、ビジネスの世界でも使われることが多い。要するに、一企業の利潤最大化ではなく、複数の企業がお互いの競争優位性を代替、補完させながら、産業全体の収益構造をどうやって維持拡大していくかという考え方である。

 Googleのエコシステム戦略はどのようなものであろうか。GoogleはAppsという沙弥や、APP Engineという2弥で競争優位性を持っている。その背景にあるのは、Googleの検索エンジンによる集客力である。

 Googleはパソコン・インターネットで既に世界を制した。日本の検索市場でシェアトップを誇るYahoo!が、肝心の検索エンジンでGoogleに喉元を抑えられたわけだから、まともな勝負ができるはずがない。いざとなれば、Googleは検索エンジンのライセンス料の上げ下げでYahoo!の収益をコントロールできる。もっとも、その時は、独占禁止政策上の提訴を受けるリスクをはらむが。

 Googleが次に狙うのは携帯電話のインターネットである。Googleがいかに優れた検索エンジン、ネット広告ビジネス・モデルを持っていても、多くの場合、消費者が実際に消費をするのは屋外であり、消費の現場で欲しいものを検索できなければ、宝の持ち腐れである。もしもGoogleが携帯電話の世界でエコシステムを構築できれば、消費者がどこにいるのかという口ケーション情報を利用して、製品・サービス情報をプッシュできる。盛り場で焼酎好きなユーザに、空席のある焼酎の豊富な隠れ家的な飲み屋を紹介すれば、喜んで利用してもらえるだろう。

 Googleの最大のライバルはMicrosoftではなく、アメリカ政府そのものであろう。Googleの描くビジネス・モデルは、ロケーション情報や購入履歴など個人情報を基にして、顧客から聞かれたら答えるという受け身の姿勢から、顧客が欲しくなるものを聞かれもしないのに紹介するという攻めの姿勢に転じつつある。Googleのビジネス・モデルは、消費者主権という市場経済の大前提を覆しかねないのだ。今でこそ、Googleの自由な営業を認めない中国に対する戦略で、Googleとアメリカ政府は蜜月関係にあるが、アメリカはもともと個人の権利に敏感な国であり、両者の仲はいずれ決裂するかもしれない。

日本企業はパラサイトかガラパゴス化

 さて、そのようなグローバルな情勢にあって、日本企業はどう生き残ればいいのだろうか。難しい質問だが、ヒントは二つある。一つは支配者にパラサイトすることである。支配者といえども、全てのレイヤでサービスや製品をまかなえるわけではない。日本の緻密なものづくり力を活かせば、支配企業の貴重なサプライヤーとして、相応の製品需要を期待できる。しかし、下請けとしての限界は明らかであり、価格設定権を持たない以上、利益の分配を受ける立場に過ぎない。また、模倣が得意な新興国の追い上げを受けやすく、価格のたたき合いに巻き込まれてしまうだろう。

 もう一つの道は、アメリカ企業が見向きもしないようなニッチに活路を見いだすことである。開き直って自らガラパゴス化しようというわけである。死中活を見いだす戦略とも言えるし、敗北主義とも言える。

 いずれにせよ、規模の経済性とネットワーク効果がものをいう世界だけに、日本企業が今さらプラットフォーム・レイヤでGoogle、Microsoftに互角の勝負を展開することは不可能である。当面、パラサイトかニッチしか道はないだろう。もっとも、私はその先にまだ可能性が残されていると信じる。

 第一に、世界一の日本のインフラである。アメリカのインフラは日本に比べて一〇年遅れであり、どれほどアメリカのクラウド企業が優れていても、広大なアメリカで大規模に展開するには後一〇年はかかるだろう。

 第二に、日本の消費者は世界で一番厳しい。優れた品質が安い価格で提供されなければ、日本の消費者は納得しない。日本のメーカーは、日本の消費者の識別力をもっぱら技術の善し悪しに利用してきた。これからは、サービスの善し悪しに利用していくべきである。

 第三に、今の携帯電話やインターネットは便利な道具ではあるが、本当の意味で、我々人類の生活を豊かにしたと断言できるような付加価値を生んでいない。現状ではまだ高級な遊戯品に過ぎない。このままでは、いずれ飽きられるのではないか。利活用が生む真の付加価値。これを実現できている国や事業者はまだどこにもいないのだ。チャンスは日本にもある。
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クラウドの矮小化

『次世代インターネットの経済学』より

クラウドを仮想化と捉える?

 そのための必須の技術要件が「仮想化」である。コンピューターとは突き詰めて言えば、マイクロプロセッサやメモリーなどのハードウェア部分、OS、ミドルウェアなどのプラットフォーム部分、アプリケーションなどのソフトウェア部分に大別される。仮想化技術とは、巨大なコンピューター定確にはデータセンターを多くのユーザが効率的に使えるようにした技術である。仮想化技術さえあれば、一人一人のユーザが使いもしない高性能なコンピューターを自前で用意する必要はない。ハードウェアも、ソフトウェアも、必要があれば必要なときに、クラウドから必要な機能をサービスとして借りればよいのだから。自分のデータすら、クラウド側に置いておけば、自分で持ち運ぶ必要もない。

 インターネット全体がコンピューター。一人一人が自前でパッケージ型のコンピューターを持たなくて済む時代が来る。同じ二〇〇六年に、サンーマイクロシステムズ社のグレッグーパパドポラスが、「世界にコンピューターは、Google、Microsoft、Yahoo!、Amazon、eBay、Sales-force.comの五つがあれば足りる」と発言して物議をかもした。インターネットの世界で寡占化か進むと予言したわけである。

 クラウドは、伝統サービスを代替する

  インフラストラクチャ・アズ・ア・サービス

   ユーザはクラウドから、インフラストラクチャ(またはハードウェア)をサービスとして利用する。AmazonはEC2(Elastic Compute CloudⅡ)というサービスで、保有する強大なコンピューター施設を仮想マシンとしてユーザに必要な機能をばら売りしている。ユーザは好きな性能のマイクロプロセッサ、ハードディスク、メモリーを一時間あたりの従量料金で利用できる。

   ユーザはクラウドから、プラットフォームをサービスとして利用する。

   ここでいうプラットフォームとはアプリケーションを実行するために必要な動作環境でありWindowsのようなOS、楽天のようなネットショッピング向けユーザID管理サービスも含む。Googleが提供するApp Engineは、自前で設備を持たなくてもGoogleのデータセンター上で自分の好きなウェブ・アプリケーションを作ったり、動かしたりすることができる。

  プラットフォーム・アズ・ア・サービス

  ソフトウェア・アズ・ア・サービス

   ユーザはクラウドから、ソフトウェアをサービスとして利用する。ここでいうソフトウェアとは、会計ソフトや表計算ソフトなど、アプリケーションのことである。Salesforce.comのビジネス向けアプリケーションが日本でも人気である。自分の好みに応じて、あれこれ機能を追加することは難しいが、必要最低限の機能を無料または低廉な料金で利用できる。

 クラウドの利点は、ユーザが自ら多大なコストをかけて、ハードウェアやソフトウェアを購入する必要がないことだ。ユーザはクラウドから機能をサービスとして必要なときに必要なだけ借りて、使っただけの料金を支払えばよい。

 規模の経済性は諸刃の剣だ。多量の利用が見込める場合は自前で設備を所有すれば、使えば使うほど費用を下げることができる。しかし、少量の利用しか見込めない場合は十分な費用効果が期待できないので、他人の設備を拝借し、多少割高でも利用料を払った方がよい。いわば、自家用車を購入するか、レンタカーで済ませるかの違いである。クラウド事業者から見れば、巨大な設備を所有しておいて、多くの人にばら売りし、規模の経済性を最大限発揮できる。クラウド・ユーザから見れば、巨大な投資を必要とせず、他者の設備上で規模の経済性を共有できる。クラウド・サービスは、仮想化技術を用いて、クラウド事業者にも、クラウド・ユーザにも、双方両得となるような、規模の経済性の分配メカニズムと言えよう。
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日本のNGNはテークオフできるか

『次世代インターネットの経済学』より

世界が競う次世代インターネット

 世界的なブロードバンド化の流れの中で、各国とも、公衆交換電話ネットワークから、次世代ネットワーク(NGN)への移行を検討している。NGNとは、インターネットプロトコル(IP)技術を利用して、音声伝送とデータ通信の融合、通信と放送の融合、固定と移動の融合(FMC)を含めた、マルチメディア・ネットワークである。NGNの国際標準はITU‐Tなど国際機関で協議されているが、各国の事情を反映して、NGNへの移行アプローチは多種多様である。

 英国BTの21CNを受け、各国の主要キャリアもNGN計画の策定を急いでいる。とりわけ、世界の中で最もアグレッシブな戦略をとるのは、NTTグループである。NTTは、二〇〇四年一一月に中期経営戦略を発表し、FTTHをペースにしたNGNを打ち出した。二〇〇六年一二月にはフィールド・トライアルを開始し、二〇〇八年三月にはNGNの商用サービスを開始した。

 NGNの構想は、電話ネットワークの中央制御の高い信頼性とインターネットの高い柔軟性を組み合わせたネットワークを構築しようというものである。もっとも、電話とインターネットの長所の組み合わせになればいいが、短所の組み合わせになる危険性もある。NTTグループのライバル事業者が同じ立場に立ったイコール・フッティングで接続できるのかどうか、資金繰りに苦しむISP事業者が接続する場合の接続料金をどうするのかなど、不透明性が残されている。

 NTTグループは、NGNには四点のアドバンテージがあると主張している。

  ①品質保証:NGNでは、アプリケーションに応じて四つの品質クラス(最優先、高優先、優先、ベストエフォート)が提供される。高い品質クラスでは、帯域が確保されるため、ハイビジョンの高精細な映像をネットワーク上で送信できる。

  ②セキュリティ:NGNでは、回線ごとに発信者IDのチェックを行い、なりすましを防止する。また、ネットワークの入り口に、異常なトラフィックをブロックする機能も配置する。

  ③信頼性:NGNでは、PSTNの信頼性を受け継ぎ、特定のエリアに通信が集中した際のトラフィックコントロールや、重要通信の確保ができる。

  ④オープンなインターフェース:NGNでは、多彩なアプリケーションに対応するため、高品質の音声や映像通信のためのインタラクティブ通信機能、コンテンツ配信のためのユニキャスト通信機能やマルチキャスト通信機能、さらには高品質の次世代イーサ機能を提供する。

 NGNそれ自体は、消費者にとっては一種の標準であり、直接、消費の対象となるサービス

NGNのキラーコンテンツは何か

 NGNは大別して、安全で高品質なビジネス環境の実現を目指すNGN for BUSINESS、安心・安全な社会環境の実現を目指すNGN for SOCIETY、楽しく便利なホームライフを目指すNGN for LIFEに分類できる。

 BUSINESS系の代表的なNGNサービスとしては、会議ソリューション系サービス、シームレス・コミュニケーション系サービス、ネットワーク・サービスがある。SOCIETY系のNGNサービスは、介護・医療サービス、公共サービスから構成される。そしてにLIFE系のNGNには、ホームエンターテインメント系サービス、ユビキタスライフ系サービスが挙げられる。というわけではない。したがって、NGNによってどのような新しいサービスが実現するのかが分からなければ、消費者がNGNを実際に利活用しようとは思わないだろう。

 彼らにNGNで実現されるサービスを利用したいと思うかどうかを五段階に分けて尋ねたところ、是非利用したいが四〇%、少しは利用したいが四六%と非常に高い利用意欲を示している。次に、BUSINESS系、SOCIETY系、LIFE系それぞれについても、同様の質問をしたところ、LIFE系を利用したいという回答率が八〇%を超え、一番高く、それから、BUSINESS系が七〇%台、SOCIETY系が六〇%台で続いた。

 一番人気が高かったLIFE系の中でも、特に人気を集めたベスト3は、地上デジタル放送IP再送信(七一%)、ハイビジョン映像配信サービス(六五%)、ハイビジョンIPテレビ電話(四二%)と、ハイビジョン動画・放送サービスで占められた。こうしたホームエンターテインメント系サービスは、現行サービスのアップグレード的な側面が強く、ユーザにとっても、具体的なイメージが湧きやすいからであろう。
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自分が死んだらどうなるのか?

『わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?』より

死が恐い
遺伝子の乗り物としての人間と、ミームの乗り物としての人間。遺伝子は、人間以外のすべての生き物に共通するものです。でも、ミームを残すのは人間だけ。これは、ひとえに人間の脳が大きくなったからです。脳が大きくて記憶がすぐれていなければ、文化を伝達することはできません。自分が大事になったのも、ミームを残すのも、どちらも脳のなせるわざ。人間は、とことん脳の生き物なようです。

 人間は、ある意味では生き物の原理原則からハミ出た生き物です。他の生き物は、たとえばマンボウのように、死ぬことを何とも思っていません。死ぬのがこんなにイヤなのは人間だけです(だけでしょう、たぶん。マンボウの気持ちを聞いたことがないのでわかりませんが)。

 人間は脳が大きくなることで「自分」というとても便利なイメージを手に入れました。文化を残すこともできるようになりました。でもそれと引き換えに、他の動物なら悩まずにすんだことにも頭を悩ませるようになってしまいました。わたしが死んでも地球は回るのね、という悩みもそうでした。死ぬのが恐いのも、やはり大きな脳による錯覚みたいなもんです。

 もちろん、自分の生存を大事にするということは、それなりに生き物にとって重要なことではあります。でも、人間ほど死を忌避するというのは、ちょっと変ではないでしょうか。死は忌むべきもの。不浄のもの。機れたもの。こういう扱いが一般的です。なにもそこまでしなくても。だって、みんないつかは死ぬんですよ。

 そう、死ぬのがイヤなのは脳なのです。遺伝子にとってみたら、早く次の世代に移ってほしい。でも、脳には脳の理屈がある。大事なのは自分なのさ、というわけです。

自分が死んだらどうなるのか?

 死を考えるときに一番気楽なのは、自分にとって、自分の死は存在しないと割り切っちゃうことです。だって死んだときには自分はいないのだから……。

 死ぬと、何も起こらないんですね。ちょっと虚しいか。

 でも、あなたの「なごり」はいつまでも残ります。この「なごり」こそ、ミームにほかなりません。身体はなくなってしまっても、あなたが生きている間に知りあった人々は、あなたの思い出をいつまでも大事にしていることでしょう。ときには、あなたのことをウワサしながら、話しあうこともあるかもしれません。あなたは死んでも、あなたがつくったミームは、いつまでも生き延びていくのです。なんとすばらしいことではありませんか!

なぜいろいろなことを考えるのか?

 人間の脳は、もともとは餌を発見したり、隠しておいた餌の場所を忘れないようにしたり、すてきな恋人とうまく付き合ったりするために進化してきました。仲間とコミュニケーションをとって、うまく社会生活を送るというのも脳の目的のひとつです。

 でも人間は、そういった日々の基本的な生活についてだけではなく、もっと他のいろいろなことにも脳を使うようになりました。この先どうしたらいいのか? 過去はどうなっていたのか? それらを総合すると、今どうすればよいのか?-などなど。こういった思考は、畑の稔りを少しでも豊かなものにするのに役立ちました。獲物をとらえるための道具を、少しでも効果的なものにするのに役立ちました。そう人間は、考えることで生き残ってきたのです。

 ともあれ、脳の大きさと力が飛躍的に高まった。そうすると、脳が考えることも、もっと複雑で抽象的になっていきます。自分とは何か? 人間はどこから来てどこに行くのか? 世界はどのようにできているのか?-といったことまで考えるようになってきたわけです。はじめはこのような問題は宗教が答えていました。今では科学が担当している分野です。

 人間の脳は、こうやってあれこれ考えることで大きくなりました。考えることは、人間が生きること。考えることは、人間が人間であるために、もっとも重要なことのひとつです。

 なぜぼくたちは、いろんなことに思い悩み、頭がこんがらがってしまうのか? それはぼくたちが、大きな脳をもった人間だからです。人間の脳は、もともとは考えなくてもいいものまで考えられるようになってしまったのです。
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デジタル・ライブラリの感想

未唯へ

 何か、変わったことをしたい。この歳で、好奇心だけが満杯です。本を読んだり、抽出したり、考えていること自体が変わっています。あいち環境塾に高額なお金を出してやることも変わっている。

 今日は、一日、デジタルライブラリを読んでいましょう。

あいち環境塾

 あいち環境塾も本を読むのと同じです。どんなジャンルでも、関心はあります。そこから何を得るかです。著者と話すのは初めてです。

 あの講師の中で、全体としてどうしたらいいのかを感じられるのは、一人です。ジャーナリストも原発論者も当てにならない。全体を考えていける人ではない。

パートナーの反応

 特殊な反応を示します。検討会まで5分のときに、資料を見せました。そこで3つほど指摘しました。絵を書いた方がいいとか、この期限は間違っているとか。それに対して、全て文句を言って、反発しました。実際の発表した時には、それらは全て取り入れられています。どういう心理状態なのでしょうか。

 今だかって、感謝されたことはないです。感謝されると、気持ち悪いです。

 パートナーに関しては、ITマを動かせるようにしましょう。ものごとを次にどういうカタチでやっていくのか。この間のケースはここから動き出しました。

 今のGMの弱い所は、大義名分は言えるけど、それ以上は突っ込んでいえない。パートナーはそこを錯覚してはいけない。そういうもんです。自分で解決するしかない。

テレビ番組

 やせる番組は意味ないです。劇場効果でやせるだけです。だから、どうするんですか。やせた方がいいというのは、誰の美学です。かってに決めないともらいたい。私は太ももです。

デジタル・ライブラリの感想

 ケータイは本当の存在理由が見つかっていない。そこがポイントです。ソーシャルと一緒になって、市民の生活を変えていくのです。発信することと蓄えることを入れます。当然、検索もあります。

 その時に、環境問題からアプローチするのが一番、動かしやすいです。結局、環境問題は単なるキーワードです。生活を変えていく、社会を変えていく、歴史を変えていくためのキーワードです。

 参加者が増えるほど、成功するシステム。こういうものがあるんですね。それが「プル」だそうです。成長の速度が加速化する。こんな経験はしていない。これが、人口問題にも関係することです。その裏にあるのは、メンバーの成長と学習です。

 一つだけ、新しい質問をすれば、それだけで、内容が変わる。そういう意味では個人がいかに生きているか。ここで述べているのは、経験的なことです。私の場合は理論が先に来ています。近傍系です。

 コラボレーション理論だと、経験が増えるほど、永遠にリターンが増えるとしているけど、その先をどうして行くのか。社会をどうしていくのか。ここでいうリターンは自分の能力みたいです。ゲームのポイントは点数が増えることではない。そんなものは仮想です。それでは食べていけないです。

 個人の武器は正しい質問をすることだ。それで相手の話を聞いて、自分のフィールドで、新しいものをアイデアとして、掴まえればいい。その際に、必要なのは自分の全てを記録していること。
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