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フィンランドの教育がすごい理由

『言葉の力』より

PISAはいずれ、英語のTOEICと同じように、グローバルスタンダードになる。問題は、日本人がなぜこのテストに弱いかということ。アメリカも誤答率は日本と同じ程度だが、無答率が日本より低い。アメリカ人は思いつきでもなんでも書く。日本人は困ると白紙回答。問題はそこだ。

PISAでは、たとえば、こういう設問が出題される。

落書きは良いか、悪いか。2つの考え方があって、落書きは街を汚すからいけないという意見。日本人だったら、当然そうだなと思うだろう。もうひとつの考え方は、その辺の看板だって勝手に外に出して、いろんなものを描いて表示しているのだからなんで落書きはいけないのか、一種のコミュニケーションなのだからいいじゃない、という意見である。

落書きが良いという意見と、悪いという意見があって、それぞれの根拠をもって説明している。だったら、それに対して、自分なりにそれを正しいというのなら、あるいは、どちらでもない意見があるなら、論理的に僕はこう思うから良い、あるいは悪い、と意見を言わなくてはいけない。

PISAの読解カテストでは、設問に対して賛否両論に触れながら論拠を引用し、自分の考えを示す力が測られる。そこで日本の順位がどんどん落ちている。2000年には8位だったが、2003年に14位、2006年には15位まで落ち込んだ。2009年に8位に盛り返したが、上海がI位、韓国が2位、香港4位と新興勢力の後塵を拝している。

いっぽうこの総合読解カテストでフィンランドはつねに上位を占めている。

なぜフィンランドは優れているのか?

もともと、フィンランド人は北国の寡黙な民族だった。それが欧州連合(EU)に加盟した1995年、ヨーロッパの新聞に「フィンランドはEUで何も発言しない」とバカにされた。コミュニケーションして、論理的に思考する力、すなわち読解力を身につけなければならないと、教育改革が行われた。教育改革の結果、フィンランド人は世界でも優秀な読解力、コミュニケーションカをもつようになった。

さきに日本人は白紙回答率が高いと書いた。読解力以前に自分の考えを示す力も問われているのだが、日本人は説明をするということが下手だ。「××が好き」と述べる場合、「なぜですか」と問われると、日本人は「好きだから」と理由にならないことを平気で言う。根拠を挙げず、あいまいな説明しかできないから、何を言っているのか伝わらない。

北川さんは、フィンランドの小学校の授業を見学した。生徒が意見を言ったら、別の生徒が「違う」と否定した。そのときに、先生は「違う」と言った生徒のほうを叱った。

北川さんは、なるほど、これがフィンランド式なのだ、とはたと気づいた。先生は、何かどういけないのか、どこの部分がどう違うのか、もう一度ちゃんと意見を聞いてから反論しなさいと言った。命題をきちんと聞いていないことについて叱ったのだ。相手が何を言っているのか、相手側の特別な理由は何かと考えず、ただ撥ねつけていたら、話が論理的に展開していかないからだ。

対話とは、言葉のキャッチボールである。投げては受け取る練習を繰り返さないと、キャッチボールができるようにならない。「否定する前に、まず相手に質問をして、(相手の話の)命題をきちんととらえなさい」と指導するのは当然なのである。

言葉のキャッチボールは、相手を否定することではない。やりとりのなかで、問題点を絞り込む。新しい疑問が生まれ、その答えを探す。その繰り返しだ。疑問をもつことは大事である。相手の言うことに対して、「それはどういうこと? よくわからないからもう一度説明して」と。「なぜ」「どうして」と繰り返すことで焦点が絞られ、深められていく。

ヨーロッパでは、伝統的に弁証法などを学ぶので、言葉を扱うのも技術だとふつうの了解事項になっていると思えばよい。
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