goo

入院状況

未唯空間の資料

 カントの超越論的という言葉は、経験の領域を超えているという意味にとって、十分である。

入院状況

 ベット上で安静で寝ているので、背中が痛い。腰が痛いのの薬があるそうです。痛み止めです。

 血をサラサラするのと、血管を拡張する点滴が効いて、血圧は100の50です。

 熱は37.2度です。昨日の38.4度は何だったのか。抗生物質に反応したとしか考えられない。おかげで、カテーテル検査が一週間延びて、来週の火曜日。その間は、入院状態になる。いい加減な決定をされている。3日間の入院が10日間の入院になった。

 昼前の血糖値は280です。高い。朝起きた後は120です。大体、この傾向です。

1992年からの雑記帳からブログ作成

 1996年に中野は「平松さんは分かっていない」という発言をしています

パートナーにメール

 パートナーに我慢できずにメールを出しました。心臓を圧迫を感じるので、思い切りました。

 「もうすぐ4月です。元気にやられていますか? 私は心不全で緊急入院です。寝ているだけです」「できたら、状況を教えてください」

 メールを出すと、相手の色々なことを考えてしまいます。それはそれで心臓の圧迫を与えます。

 1時間半後にメールが戻ってきました。この瞬間だけ、出して良かったと思います。自分の存在が認められたことを実感。

 「ちょうど、近々、状況を電話しなくては、と思っていたところでした」

 「心不全とは全く知らず驚きです。今は絶対安静というところでしょうか。大丈夫ですか。非常に心配です」「今は、一日も早く退院し、お元気になられることを、ただ願うだけです」

 「私は、相変わらず色々な葛藤はありますが、元気にやっています」「メールや電話で報告したいことが色々ありますよ」「しばらくはメールにしますね。また、連絡します。」

 「とにかく、無理されないよう! お大事に!」

 これで少しは、心臓も安定する。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

デカルトの情念論

『アランの情念論』より

デカルトの『情念論』はアランが自己の思想を語る際に参照し続けた著作であり、アラン自身の情念論に融合している。しかしのちに見るように、アランはデカルトの学説をすべてそのままのかたちで受容したわけではなかった。ここではデカルトの学説がフランスの情念論の歴史的展開に果たした役割を確認するに留め、デカルトによる情念の定義と動物精気論に立ち入っておくことにしよう。

デカルトは『情念論』の第二七項で情念を次のように定義する。

 動物精気の何らかの運動によって引き起こされ、維持され、強化され、我々がとくに魂に関係づけるような魂の知覚、感覚、動揺。

この定義はデカルトの心身二元論、心身の合一、知覚認識における動物精気論の役割を前提としている。思考実体としての魂と延長実体としての物体をデカルトが区別したことはよく知られている。ところで、情念を論ずる際に両者の間での能動と受動の区別が重視される。能動と受動の区別は相対的であることをデカルトは説明す起こること、あるいは再起することを、哲学者たちは一般的に、それが到来する主体から見れば受動と、またそれを到来させる主体から見て能動と呼ぶことを私はまず考慮する。したがって、能動者と受動者は著しく異なることが多いが、能動と受動はそれらを関係づけることのできる二つの主体が異なるものだという理由により二つの名を持つ同一のものである。

この区別の相対性を心身の区別に適用すると、魂にとって受動であるものは身体において能動であると言うことができる(第二項)。すなわち、

 ・魂の能動は身体の受動である。

 ・身体の能動は魂の受動である。

 ・情念とは魂の受動のことである。

このような情念の概念が成り立つ前提としてデカルトは心身の合一を認める。魂は全体的に身体に結合しており(第三〇項)、一方から他方へと働きかけることができる。双方の働きかけを可能にするのが動物精気である。動物精気は血液が変化して微細な粒状になったもので、血管や神経中にくまなく行き渡っているとされる。この微粒子が身体の内で運動し、「魂が直接的に働きかける身体の部位」である「脳中の小さな腺」(松果腺)に接触して印象を伝える(第三一項)。あるいは逆に松果腺から精気が噴射されて特定の神経を動かす(第三四、三五、三六項)。前者の場合が知覚、後者の場合が随意運動に対応する。こうした認識論によれば、情念は松果腺に衝突する精気が形成した印象を魂が認識することによって起こる。この意味で情念は知覚の一種であり、精気の粒子を能動的な作用の主体とする精神の受動である。

しかし情念を感ずる人にとって情念の原因は魂であるように思われる。情念は外部の対象の知覚とは異なり、その原因を関係づけるべき対象が魂以外に見当たらないように思われる(第二五項)。これが情念の特徴であるが、情念の実際の原因が動物精気の運動であるならば、情念についての上記の観念は情念の原因についての判断の誤りから生じていると言うことができよう。

以上見てきたように、デカルトにおいて情念とは脳中の松果腺を「魂の主要な座」とした魂の受動、身体の能動であり、その実際の原因は動物精気の運動であるが、原因を私たちが自己の魂へ関係づけることによって成立する。

後世との連続性を考えるうえでデカルトの情念概念についてもう一つ注目されてよいことに情念と病との関わりがある。一部の情念は病の原因になるとデカルトは考えていた。デカルトと文通していたエリーザべト王妃が「空咳を伴う微熱」に悩まされていたことを知り、次のような診断を書き送った。微熱の最もありふれた原因は悲しみです。

エリーザベトの父であるボヘミア王は王位を奪われ、一家は亡命中であった。こうした状況が病の原因であるとデカルトは考えた。デカルトが後に『情念論』で基本情念のうちに数えた「悲しみ」は、社会的状況の認知から生まれ、微熱という身体症状として表れていた。

アランがデカルトの『情念論』から学んだのは、魂の受動としての情念観であり、身体運動にその生成を見ることであり、またデカルトの「最後の思想」とアランが呼んだジェネロジテの思想であった。アランの著作を読めば一目瞭然であるこれらの遺産に加えて、心と体の全体的な病としての情念観をアランはデカルトから受け継いだように思われる。アランにとって、激しい情念に駆られた人は、狂気に駆られた人とほぼ同義語であった。狂気が治療可能なものであるならば、治療方法は精神的かつ身体的なアプローチによらなければならない。デカルトの情念論から派生するこの精神医学は、次節で見るように一八世紀フランスで準備され、一九世紀初頭にピネル(乎吾17乱)らが展開したいわゆる道徳療法に受け継がれるが、一九世紀後半には神経生理学に立脚した精神医学の台頭により忘れ去られていく。アランの狂気観が道徳療法のそれに似ていることは偶然ではない。フランスにおける情念論の系譜を辿り直してみると、デカルト的伝統において両者は確かに縁戚関係にあることが理解されるのである。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

ヘルスケアサービス提供者の確保

『北海道ヘルスケアサービス創造』より 稚内市をモデルとした課題対応の方向性

①現状における課題

 ・都市部に比べて人口が少ない地方部においては、医療・介護保険制度に係るサービス以外で、民間企業単独でヘルスケアサービスを展開し、採算性を確保することは難しい。

 ・一方、民間企業以外で、ヘルスケアサービスの担い手として期待される組織として、NPO法人や商店街、町内会等があげられる。

 ・このうち、事業の継続性を確保する視点からは、法人格を有する組織による主体的な参画が望ましいが、市内のNPO法人は9団体にとどまっている。さらには、「ヘルスケア」を主たる活動分野とする団体はなく、ヘルスケアサービスを提供する組織主体をいかに確保するかが課題となる。

 ・前述のとおり、稚内中央商店街振興組合は、地域住民の健康づくりが中長期的な顧客の確保に繋がるという視点から、健康づくりに係るイべント等の開催実績があり、また、NPO法人街にいき隊はこうしたイべント等の企画・実施の実働部隊として活動しているが、いずれとも人材不足等の課題から、ヘルスケアサービスの主体的な担い手となることは現状では難しい。

 ・このような現状においては、ヘルスケアサービスの担い手として、単独の組織が主体的に運営することには限界がある。

②課題解決に向けた方向性

 【既存組織の連携の素地作り】

  ・このため、地域の限られた担い手に、いかに「ヘルスケア」の視点での取組を促し、さらにこれらの組織がお互いの強みを活かし、弱みを補いながら連携してサービスを提供する仕組みが必要不可欠となる。

  ・現在、市内ではNPO法人同士が意見交換する機会がほとんどなく、法人が連携してサービスを提供する素地は見られていない。

  ・そのため、「ヘルスケアサービスの創出」を切り口に、各NPO法人等がアイディアを出し合い、人的ネットワークを共有する契機となる意見交換会を開催し、こうした場を通じて、担い手を発掘することが必要である。

  ・稚内市内では、障がい者支援を行うNPO法人が、障がい者を対象とした「たまり場」を提供しており、今回検討した「コミュニティカフエ」の運営ノウハウやネットワークを有していると考えられる。

  ・このように、一見「高齢者」「ヘルスケア」に関連性は見られなくても、団体の活動内容やノウハウ等を把握する場を創出することで、連挑nj°能性を見いだす視点が重要である。

 【個人】

  ・まずは、市の介護予防サポーター、公的機関、金融機関、医療・介護機関のOB、元教員、元管理栄養士・栄養士、元調理師等が、元気な人に生きがいや楽しみとなる交流や社会貢献の視点で、身近で気軽に関わり方を選択できる仕組みを構築する。

 【できる活動からはじめて、関心のある人を巻き込む】

  ・運営主体に加え、労働力人口が減少する中で、ヘルスケアサービスの担い手となる人材確保が重要な課題となる。

  ・人材確保の視点として、看護・介護、栄養指導、運動指導等の有資格者の市民、活動的な高齢者(アクティブシニア)等、地域に埋もれた人材の発掘が重要である。

  ・こうした人材を発掘するためには、現状の社会資源の実態を見据えて、コミュニティカフエなど、まずは取り組めることをスタートさせ、そこから各メンバーのアイディアや主体性を活かした様々な活動を展開して いくことが望ましい。

  ・そして、活動に関する情報発信を積極的に行った上で、活動に必要な担い手を募集したり、サービスの利用者を潜在的な担い手として捉えて、人的ネットワークを構築することが重要である。

  ・また、担い手としてNPO法人等の他に、学生を対象とすることも考えられる。

  ・なお、担い手となる人材のモチペーションを維持するためには、サービス提供に対する一定の対価を支払うことが求められる。(まずはクーポン等で試行)

  ・ただし、雇用するまで収益を上げることは、当面難しいことが想定されるため、有償ボランティア等の方法が考えられる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )