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北欧公立図書館の将来的課題

『図書館トリニティの時代から揺らぎ・展開の時代へ』より エンパワーメントを醸成する北欧公立図書館:デンマークの公立図書館における住民サービスの変化

エンパワーメントを醸成する北欧公立図書館:デンマークの公立図書館における住民サービスの変化

4空間モデルに示されるような公立図書館の新しい機能が十分に発揮されるためには、司書の働きかけとそれに呼応する利用者の存在が必要である。しかし実際には図書館の多様な機能を利用者に結びつけようとする司書の働きかけに比べ、利用者の反応は鈍い。大部分の住民は公立図書館の変化に気づかず、資料の貸借を中心とする伝統的な図書館の利用法に留まり、しかも公立図書館の安定した資料提供サービスに満足している。したがって図書館にたいする要求水準や期待度が低く、図書館サービスヘの受け身の姿勢が常態化している。

北欧の図書館がさらに成熟した情報と文化の空間になる過程において、新たな図書館の機能に関する利用者自身による認知が欠かせない。図書館空間の可能性の発見という点では、マイノリティ住民は公立図書館が自分の生活と共鳴し自らを変えて行くエンパワーメント空間であることに意識的/無意識的に気づいた存在であると言える。

もう1つの課題は、図書館が文化的な領域を開拓することで、図書館の中核となる機能がみえにくくなっている点である。とりわけ移民を対象とした生活支援に関わるワンストップ・サービスや図書館における行政サービスの拡大は、図書館の存在意義に関わる議論を生起させている。公立図書館が多目的な文化機関、情報機関へと移行する過程で、教育的性格が相対的に弱まっている。メディアの多様化とインターネットの発達によって、図書館の基本的機能である情報アクセスに関わる情報や資料の提供機能は、相対的に比重が低くなっている。こうした現実に対応するために、現時点で図書館のミッションは情報と資料提供を基盤としながらも、文化活動を通じた住民同士の結びつきや地域社会の人間関係の醸成に設定されるようになった。こうした方向性は2010年代以降に新しく建築された図書館や、これからデンマークのオーフスやノルウェーのオスロ、フィンランドのヘルシンキに建設予定の図書館の建築プランに明示されている。
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コミュニティ・コーディネーター

『図書館トリニティの時代から揺らぎ・展開の時代へ』より 拡張サービスからアウトリーチヘ

拡張サービスからアウトリーチヘ コミュニティ・コーディネーター事業の拡充

コミュニティ・コーディネーターのブロックは次のように考えていた。「貧困地域は過少評価されがちだが、コミュニティ・コーディネーターの支援によって、不利益をこうむっている人に図書を読んでもらうことで、変化を生むことができる」。この考えを具現化するために、1966年から人びとが集まる場所で新たな方法で取り組んだのが3Bプログラムで、居酒屋(Bar)、美容院(Beauty Parlors)、理容室(Barbershop)に少量のペーパーバックを配置し提供する試みであった。この取り組みは、不利益をこうむっている人が多く集まる場所に資料を置き、生活に役立つ情報を得られることを実感してもらうことを目的としたものであった。

そのため、美容院には、育児書、料理本、買い物の本、居酒屋と理髪店には、スポーツやショート・ストーリー40)の本などを、注意深く選んで資料構成をしていた。この小さな蔵書で、聖書と同じようによく利用されていたものに、『消費者のための買い物案内』、「世界年鑑」があった。

この取り組みを主導したコミュニティ・コーディネーターのブロックは、ほとんど図書館内にはおらず、積極的に図書館から外へ出て居酒屋などに出向き、地域の人と接触しながら時間を共有していた。そうした活動を通して、当初は図書を売りつけるための小細工なのではないかと疑い、管理や盗難の危険性からも設置に否定的であった居酒屋45)、美容院、理容室も、利用者が増えることで、次第にこのプログラムを受け入れていった。

3Bプログラムも不利益をこうむっている人に図書を通して、生活に必要な情報を提供することで、「すべての人びとへのサービス」の理念と結びついていたのである。

1960年代末、ニューヨーク市の公立学校で教育のコミュニティ・コントロール運動が展開された。この運動は、人種差別を禁止し、黒人にたいして平等な教育の提供を目指した統合教育の失敗などを背景として、学校をコミュニティ・コントロールする、すなわちコミュニティによる自主的な管理におくことを目指すものであった。こうした教育界の動きは、例えば、1969年11月9日、ワシントンD.C.で首都東コミュニティ組織(CECO)が70のコミュニティ・グループの関わる公立図書館のコミュニティ・コントロールにむけて会議を行うなど、図書館界でも似たような動きを生み出した。

しかし、ブルックリン公立図書館で青少年へのサービスを担当していたミリアム・ブレヴァーマンは、「図書館員がしばしば顕在的および潜在的なコミュニティのニーズを図書館システムヘ解釈する役割を得ている。図書館員は悲しいかな、あまりにも頻繁に図書館員がコミュニティに代わって図書館システムに圧力をかける必要があり、オンブズマンのような役割を果たす」と述べており、コミュニティ・コントロールの実現が困難であることを示唆している。

またメリーランド大学の教授メアリー・L.バンディ67)は、地域住民がコントロールする権限を得るという闘いに関与することが難しい状況を指摘した。しかし、住民がコントロールする権限を自由に行使するため、図書館はコミュ、ニティの手足にならなければならないと述べている。そのための1つの方法として、地域分館レベルで代表者からなるコミュニティ委員会を設置し、分権化を図ることを提案した。

すでに述べたブルヅクリン公立図書館のコミュニティ・コーディネーター事業にみられるように、図書館員はコミュニティの団体や人びとと関わる方法でサービスに取り組み、図書館サービスにコミュニティが疑似的に関与する形式を確保していたのである。

本章では、拡張サービスからアウトリーチ・サービスヘの変化の背景に存在した利用者とサービス活動をブルックリン公立図書館の事例を中心に検討した。

公立図書館は「すべての人」へのサービスを標榜してはいたが、結果としてであっても白人中産階級を念頭におく図書館サービスになっていた。しかしながら、1950年代末から大都市の人口構成の変化と利用者の減少という現実に直面し、ブルックリン公立図書館の読書改善事業のように、都市の公立図書館のなかには地域の変化に対応した図書館サービスに取り組む図書館も存在した。ブルックリン公立図書館のコミュニティ・コーディネーター事業にみられるような図書館員とコミュニティの関係の変化は、図書館員の側からサービスを提供し、利用者がそれを受け取るという一方向ではないサービスが登場したことを意味した。図書館員は、積極的にコミュニティのさまざまな人、団体、施設と連携し、コミュニケーションを図りながらコミュニティのニーズに合ったサービスに取り組んでいく可能性を示した。

ブルックリン公立図書館の歩道サービス、さらにはコミュニティ・ウォークといったサービスは、コミュニティのニーズに適応する図書館サービスという現在の観点からすれば、特別に注目するほどの試みとは言えないかもしれない。しかし当時の図書館員は、白人中産階級の家庭で生まれ、その価値観、生活様式、読書観をわが身で経験し、それらは大学でさらに強化された。そうした図書館員が大都市公立図書館の分館で旧来の方式と同じやり方でサービスを行い、勤務時間が終わると急いで車で郊外の自宅に戻ったのである。図書館とコミュニティとの接点はなくなっており、それはコミュニティにおける図書館の存在意義に直接的にはね返ってくる。その架け橋となったのは黒人のコミュニティ・コーディネーターのフランクリン(後のワシントン・D.C.パブリック・ライブラリー館長)、連邦職員で図書館サービス建設法に直接に関わっていたフランツ館長、それに図書館での社会的責任派の代表であるデュチャック館長などであった。ここにはいわゆる知的自由派の出る幕はなかった。
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所有権を犯す海賊行為

『海賊と資本主義』より 海賊組織と所有権の意識 

ここ一五年で無形資産の価値は急激に高まり、先の需要を見越し、たとえその分野の事業を現在行っていなくても、特許の「青田買い」をする企業も出てきた。要するに、その特許が許可なく使用された場合に訴訟を起こし、損害賠償金をせしめることが目的なのである。実際のところ、アメリカの場合、こうした訴訟では告訴した側が有利になる傾向があり、多額の損害賠償金が支払われることも多い。訴えられた企業の側も、その技術の使用を禁じられるとさらに生産コストがあがり、不利益が生じることから、賠償金や示談金の支払いに応じているのだ。

所有権を買い占め利益をあげる。小規模で移動性--高いこうした組織は、パテント・トロールと呼ばれている。トロールとは、北欧の物語に登場する、醜く攻撃的な架空の生き物である。迷った旅人を襲ったり、殺したりするとされ、様々な伝説に登場する。

現代の海賊的トロールは、個人の特許保有者や、倒産寸前の企業を狙う。安値で特許を買い取り、それを元手に、大型船舶、つまりは巨大国際企業を攻撃するのだ。彼らは、脱テリトリー化された所有権の海を渡り歩き、特許保有者にとって最も有利な場所を選んで、攻撃を仕掛ける。高額の賠償金に魅力を感じて集まってきた弁護士と手を組み(当然のことながら、弁護士たちも賠償金の二部を報酬として受け取るのだ)、彼らは自分たちが保有している特許技術が使用されたと思われる商品をみつけ、「販売停止」を申し立てる。請求する金額も決して小さくはない。NTPに訴えられた、ブラックべリーの製造会社リサーチ・イン・モーション社が、六億一二五〇万ドルを支払い、示談に応じたことは記憶に新しい。NTPは小さな特許専門会社だが、小型端末ブラックベリーの製造に必要な特許を五件、握っていたのである。

特許を商売にしているアメリカの企業のうち、有名なものをあげてみよう。ナスダック上場企業アカシア社を筆頭に、データ・トレジャリー、フォーゲット、レンブラント・テクノロジーなどが続く。もちろん、これらの企業は、自分たちが海賊だともパテント・トロールだとも認めていない。自分たちで特許を使うわけではなく、単に特許の排他性だけに注目する、こうした企業が出現すること、それ自体が、資本主義の最先端をいく営業形態に疑問を示すものであり、国家のほうでも、所有権と市場独占に関する考えを見直さざるをえない状況になってい

国家、そして生産停止、販売停止を求められる企業にとって、こうした海賊的トロールは、技術革新を妨害するものであり、特許保持者が自分の発明プロセスを公開することによって本来、得るはずだった社会的評価をも奪うものである。彼らの言い分が正しいのなら、パテント・トロールの主張は、多くの人々にとって不利益なものということになる。だが、果たして本当にそうなのだろうか。

この問題を取り上げた学問的な研究論文は決して多くはないが、ミュンヘンエ科大学の経済学者ティモ・フィッシャーとヨアヒム・ヘンケルは、パテント・トロールの存在が経済的な停滞を引き起こしているとし、二つの問題点を指摘している。

一つ目は、特許を認可する公的機関そのものが、すでに存在する特許を把握しきれておらず、攻撃の標的となる企業に対して助言することができなくなっているという実情がある。実際、訴えられた企業は、特許保有者の標的にされることなど考えもせずに技術を使用し、製品をつくっているケースがほとんどである。海賊的トロールは、国家、もしくは複数の国家から成る公的機関(アメリカのUSPTOや欧州のOEB)が、急増する特許出願の処理に追われ、竹理が行き届かなくなっている状況を利用していると言えるだろう。

もう一つは、パテント・トロールの介入によって、技術分野の市場が停滞する懸念である。実際、ある程度の力をもち、商品化を急ぐ企業は、特許を買ったり、ライセンスを得るために特許保有者を探すことよりも、すでに他社で使用されている技術に改良を加え、商品化することを選ぶようになっている。パテント・トロールとの裁判沙汰を避けるため慎重にならざるをえなくなっているのだ。
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心不全の検査結果

未唯へ

 やはり、書き起こしはなかなか進まないですね・

 自分しかいないという感覚が日に日に増しています。137億年をかけて、ここまで来た。

 6166の車に轢かれそうになった。病院の駐車所ならば、治療はすぐにできるでしょう。そう言えば、警察の駐車場で車をぶつけた時はそのまま、処理をしてもらったことがある。

パラレルワールドの想像

 人間にとって一番重要なのは想像することでしょう。創造ではなく、想像することです。これは単純ではない。本来は多重世界のあり方を示しています。分岐点で分かれた世界を想像する。また、先の世界を想像する。それによって、今の世界がなぜ、こうなったかを想像する。その力です。空想という言い方のほうが強いけど。


 それが後部座席で寝ているリクとの違いでしょう。へたっているリクを写したけど、ガラケーのカメラだから、ピントが合っていません。やはり、カメラでないとダメですね。いい方のカメラを使えるようにしましょう。

宇宙からの見方

 自分の宇宙から他の宇宙をどう見ていくのか。それは小さければ小さいほど、細ければ細いほど、空想力が増します。なにしろ、<今>という時間は何でもできる。過去も未来の時間は何にもできない時間です。だから、時間を止めるのは<今>です。

 テキスト化は電子書籍化と同じです。それによって、未唯空間から未唯宇宙に飛び出しました。あまりにも、膨大な世界です。

 それを個々のレベルで行うことで、それらをつなげることで宇宙が生成できる。それが電子書籍の意味です。グーデンベルグの本の世界では繋がりができたけど、それが深さを持ってくる。それが知の体系化に結びついて、分化に対する統合を果たすことになる。

奥さんとの関係

 こうして、奥さんに相手してもらえるのも、今月一杯です。多分、来月から自分で動くでしょう。その間に何を得るかです。

水曜日は牛乳とタマゴ

 牛乳が安い。一人二本。三回レジを通って、全部で8本。4月から牛乳が10円上がる。ということで、FBに「水曜日は近くのスーパーで牛乳が安い。但し、一人二本なので、奥さんのお供。三回のレジで8本ゲット。来月になると10円値上げになります。」と投稿。珍しく、6人から「いいね」があった。

胸の痛みは「心不全」の判断

 月曜日から、二泊三日でカテーテルでの検査入院が決定。

 入院中はひたすら、本を読んで、これに書き出すだけにしましょう。身体は外部です。外なる世界です。この内容をどこに入れ込むか。やはり、パソコンなのでしょうか。多分、入力はできないから、言葉にするだけです。

 16GBのUSB×2本ほど。ICレコーダーのバックアップです。書き起こししなくてもOKです。主に、本で感じたことを述べます。ゆっくりと、他人にも分かるように。

 心臓への動脈が三本とも詰まっているみたいです。カテーテルでの治療は無理で、バイパスになるようです。入院は一ヵ月だと言っていた。

 まあ、どっち道、世の中と断絶することでは、この5年間と変わらないですね。ケータイだけでパートナーとつながるだけです。フェースブックはつながりません。だから、止めておきます。態勢はキンドルだけにします。そうなると大変だから、多分、パソコンを後から導入します。

 このままで行くと、プリンターが無駄になる。印刷うるものがないし、そういう状況ではない。またしても、奥さんに怒られた。

今後のスケジュール

 来週水曜日の卵と牛乳が買いに行けるかどうか。その日は退院だけだから、可能でしょう。火曜日の検査には奥さんが立ち会う。その時間を聞いてこなかったことで怒られた。

 明日は7時からスタバで入力です。金曜日は名古屋です。予定通りです。

 まあ、未唯の相手の両親との対面より後で良かった。

 本格的に部屋の片づけをしないといけない。外部要因でヤバいから。
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未唯空間第6章の後半

6.5「図書館コミュニティ」

 これは機能別コミュニティに必要な要素を上げています。

 コラボレーション、ポータル、ネットワークと空間になっています。これは起承転結で見ると、順番が若干おかしいです。

 サファイア構成から考えると、最初にネットワークがあって、ポータルがあって、コラボでの議論があって、空間ができるという順番になっている。だけど、社会の現実としては、ネットワークができるのは、ニーズとコンテンツがあったところで、ネットワークが意味を成す。最初にネットワークありきで考えるとインフラ中心になります。

 本当は議論する内容があればいいけど、そのためには、相手の状況を知らないといけないということでは、ポータルが先に来る。それをもとにコラボレーションがあって、ネットワークの広がりで空間を作りだすという順番にします。だから、ポータルが一番最初です。

 サファイアの場合は、最初にネットワークです。それを作った時に、形態からサファイアと命名しました。空間の概念を意識して、コミュニティのためにポータルを作り、最後にライブラリを含めたコラボレーションになりました。

 知の空間をライブラリとして考えると、ポータルではすべての要素をやっています。Sa-コラボをカタチにしたかったけど、何しろ、ポータルとライブラリがきっちりしないとコラボレーションできないのと、スタッフの分化が前提となります。

 命令系統があるところでは、上から下へ流すことはできるけど、下から上に上げるためには、チームでのコラボレーションが必要です。そのためにはそちらを向かないとダメです。これでかなり苦労しました。既存の組織はまだ、そういうものを許していない。

 経営者は自分のためにスタッフを使うという感覚が強い。それだけの思いをもっていないのにかかわらず。

6.6「情報センター」

 4つのセンター、社会センター、情報センター、知識センター、意識センターの一環です。情報センターは知識センターの入口です。

 従来の図書館の概念が先に来て、二番目で、それを知の入口として、進化させる。三番目の今後の環境社会での学習を支援するもの、単に学校だけではなく、色々な意味で学ぶというところ、個人が変わっていくところとしてのセンター。最後が意思決定できるということに変えていく。ここで大きく飛躍させます。

 6.6.4.2「どこでの図書館」を絞り込みます。「スタバでコンサル」にします。単に場所があるだけでなく、そういうところを仕事の空間にしていくことを明確にしていきます。とりあえず、項目名を変えてみました。そうすると、次の図書館でのカウンセラーが明確になってきます。

働く形態の多様化

 昨日の職安ではないけど、考えたのは、働くパターンが限定されている。もっと多様化しないといけない。それを意思決定とします。かなり、無理があるけど。無理をつなげることで、空間が作られます。

 部分にいながら、全体を考えて、先を見ていくというのは、たぶん、こういうことなんでしょうね。

孤立と孤独の世界

 今は、完全に「孤立と孤独」の世界にいます。誰からも認知されていない。誰も認知していない。これが望んだ世界です。ある意味、池田晶子も似たような形です。ただし、彼女に惚れていた人間は多かったみたい。これが答えとは言わないけど、現時点での結論です。だから、全体を考えて、先を進むしかない。

 パートナーの言動にかなり、心は左右されているけど、本来のところとあまり関係ないでしょう。本来のところとあまり関係ないでしょう。本来が何かわからないけど、この10年間やってきたこと。

6.6.4.4「散歩両論の本」

 図書館に関することで生まれた項目名だが、ここも意思決定からすると、「意見を聴く」というところです。

6.7.3「クラウド」

 抽象的な意味ではなく、図書館クラウドの仕様を提示しましょう。前提は地域コミュニティができて、皆が集めて、整理して、調べることをして、それでデジタル化と結び付けて、クラウド化していく。これはあくまでも地域の行政です。

 そして、6.7.4につなげます。本当は順番は逆ですけど。クラウドで使った世界がどうなっていくのか。情報共有の核としてのクラウドを使うながら、実質的な情報共有のメリットを上げます。

 情報共有の最初がライログだというのは面白いです。自分でやっていても、10年間で毎日、何を考えたのか。個人のライフログのデータも、クラウドに任せるのではなく、個人との関係で繋がりを作っていくことです。そして、分化と統合を行っていくということです。ビジネス支援が最後に来ているけど、これはもっと前に位置づけます。

6.7.4は「情報共有」

 「情報共有」ではなくて、「知の共有」に変えます。

 まず、個人のライフログがあって、それに対応して、社会ライブラリがあって、その分化を繋ぐものがあって、最終的に地を共有していくというカタチです。だから、個別に作るものではないです。かつ、与えられるものはない。皆が参画して作るものが知の共有です。

 知のカプセルはこれとは別の次元で考えていきます。
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まずは時間を止めること

時間が<今>で止まっている

 FB「まずは時間を止めることです。〈今〉に気づくことです。」

 心臓が耐えられるかどうか。

 個人が考える世界ができるのか。内なる世界ででっはできるけど。他人も、外の世界もあるとは思っていないのだから、そんなところに構っておれない。

 そんな五年間を過ごしてきた。この五年間の「仕事」をどのようにカタチにしていくかに絞りましょうか。だけど、今は未唯空間という幻想以外は何も残っていない。特に人間は。

 本当に<今>しかない。今がくっついている。常に、目の前にある現象に対して、一人称で考える。

 内なる世界の唯一の生き物として。生き物ってなんだ。頭の中に空間を作っておく。

 時間を込める工夫をしましょう。

第6章本・図書館の空間

 とりあえず、第6章本・図書館の空間。図書館以外にも行政が絡む者の機能のあり方・進め方を分析するモノです。

メールのトラウマ

 メールの返事が来ないと落ち着かない。そんなに難しいことを言っているわけではないのに。

リーダーシップ

 現実世界のリーダーシップというセミナーをテレビでやっていた。10年ぐらい、現場に張り付いて、皆の心を変えていく。そんなんでは、すぐに<今>が終わってしまう。

 そこでやったのは、自分の心の中に作るということ。そこで作ったものを、自分だけではなく、多くの人がそれでやって、意識を変えていくこと。

 与えるものと与えられるものがある世界で、波及させようとすると、それはなり得ない。あるとしたら、戦争みたいなもの、外的な要素から変えていくしかない。

 ムハンマドがやったのはそういうことでしょう。砂漠の民がもともと持っていた、彼らの心と神を繋げてしまうこと。実際は、従来型の帝国よりも税を安くすることであった。それによって、ムガール帝国なども入りやすくさせて、人を引き付けた。


 それも崩壊する。個人に残るものは何か。個人に残るものは何か。組織でいくらそれをやっても崩壊する。心を変えていくしかないでしょう。

未唯空間を作っているけど

 そのために、未唯空間を作っているけど、あまりにも、自分のところが中々、確認できないこと。。行ったとしても膨大過ぎて、ほんのちょっとしか触れないこと。そして、先が見えないことが一番大きい。

 人間関係なところでつながったとしても、それは未唯空間には影響しない。あくまでも自分の問題であり、歴史の問題です。それでもって、誰に求めるわけではなく、やっていくという存在の力そのものです。

退職後の生活

 それがないままに過ぎていく。昨日も早めに寝てしまった。12時過ぎに起きて、ウロウロしていて、6時半に起きたけど、寒くて、また、寝てしまって、起きたら7時半であった。7時にスタバで書き起こしをするのは計画倒れです。

 それで今日は10時からの歯医者で来ています。奥さんに従って、ここに来ています。その間にパソコンは開いていません。

 運転しているときに感じたのは、目がまた悪くなっている。ほとんど見えていない状態で運転している。どこで、何でストップがかかるのかを期待しているところがある。自分の強さとか弱さとか言うつもりはまるでない。自分のなかを一度、晒してみることが必要です。

皆、何を求めているのか

 フェースブックを見ていても、皆、本当に何の益にもならない。いいねが集まるにしても、だから、何だという以前の問題。

 だけど、皆、求めているのでしょうね。力を求めている。すがりたいと思っている。組織に期待をしている。
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