未唯への手紙

未唯への手紙

一向一揆との戦い

2015年03月09日 | 4.歴史
『愛知県の歴史』より 信長と家康

父信秀以来津島・熱田の支配をとおして、東海道・伊勢湾の交易にもかかわってきた信長は、はやくから都市政策を重視して流通支配に注目した。那古野・清須・小牧・岐阜やがて安土へと、領国拡大に伴って積極的に本拠を移しているのも、たえず領国全体を視野にいれた広域的支配をめざしたからといえよう。

美濃を征服した永禄十(一五六七)年、信長は岐阜城下に接する加納の「楽市場」を安堵し、分国内の自由通行権・諸役の免除・役人不介入の不入権などを保証した。これは一向宗(浄土真宗)円福寺の寺内町として、楽市場が保持してきた自由な交易の場としての特権を容認したものである。そして翌年、楽市令として保証しなおすことにより、楽市場の機能を信長の都市政策のなかに取りこんだ。さらに天正五(一五七七)年の安土楽市令のように、新設の城下町の市場法に適用していった。

永禄十一年入京した信長は、新将軍足利義昭の恩賞を断るかわりに、堺と大津・草津の直轄支配をのぞんだ。翌年、北畠氏をくだして伊勢を平定すると、同国内の関銭徴収を禁じ、以後、関所撤廃は拡大する分国内の一貫した方針となった。このように畿内においても、信長は当初から重要な商業都市の直轄化と広域的な流通支配をめざした。自律的な堺・京都の町衆や延暦寺など寺社組織の抵抗には、焼打ちなど高圧的な姿勢で屈服させた。

こうした信長の姿勢は、石山本願寺を総本山として、畿内・近国に広がる末寺の寺内町を足場に地域の流通に深くかかわってきた一向宗(浄土真宗)の利害と対立した。一向宗は、十五世紀後半の本願寺八世蓮如の布教活動によって北陸・東海に教線をのばし、畿内・近国の自律的な惣村結合を背景に、信者の一向宗門徒を組織していった。晩年の蓮如が淀川河口の石山(大坂)を本拠としたように、権力のおよびにくい「河内」とよばれる大河川河口の輪中地帯に拠点をきずき、また一向宗寺院の寺内には自由な交易の場として寺内町が形成され、地域の経済活動の中心となっていた。信長にとって、石山本願寺を中心とする一向一揆との対決抜きに畿内の流通支配はありえず、元亀元(一五七〇)年から天正八年までの一〇年間におよぶ一向一揆との石山戦争をたたかい抜いた。

濃尾三川河口の長島(三重県桑名市)の一向一揆は、蓮如の子蓮淳にはじまる一家衆寺院願証寺を中心に、天然の要害にまもられた自律勢力として、伊勢湾や濃尾三川の水運による流通にもかかわっていた。信長入京後も、分国内にありながら長島一揆は支配に服さず、石山戦争がはじまると背後から信長をおびやかした。元亀元年には長島への付城小木江城(愛西市)にいた信長の弟の信興を攻め殺し、翌年には信長による総攻撃を撃退して氏家卜全を討死させている。天正二年に至って、信長は全軍を動員して水陸から包囲し、「根切・撫切」といわれる徹底した殲滅戦を展開して、やっと長島一揆を鎮圧した。信長は同年末から尾張国中の道路・橋の修築を命じ交通網の整備をはかっているが、尾張・美濃・伊勢国境の要衝を占拠していた長島一揆は、広域的領国支配の大きな障害となっていたのである。

三河でも蓮如の布教以降、本願寺派の一向宗が盛んになり、北陸とならんで教団をささえる勢力のもっとも強い地域となった。とりわけ三河三カ寺とよばれる佐々木(岡崎市)上宮寺・針崎(同)勝鬘寺・野寺(安城市)本屋寺および一家衆寺院の土呂(岡崎市)本宗寺を中心に、西三河の矢作川流域に教線を拡大した。こうした素地を背景として、先述のように家康の三河統一過程の永禄六年秋、一向一揆がいっせいに蜂起した。直接の契機は、家康側が一向宗寺院の寺内不入権を侵害したことにはじまる。

譜代家臣のなかには一向宗門徒が多く、上層家臣は改宗して家康をささえたが、在地とのつながりの強い譜代庶家層などは一揆側に参加し、家臣団を二分する争いとなった。また非門徒のなかからも、桜井・大草の松平一族、譜代上層の酒井忠尚、いったんは服属した幡豆郡の東条吉良・荒川両氏が、一揆に呼応して家康に叛旗を翻した。このように一揆蜂起が拡大したのも、三河統一にむけて大名権力の強化をはかる家康に対し、権力の介入をこばむ一向宗勢力のみならず、自律性を維持しようとする広汎な在地勢力の反発があった。

家康は統一に不可欠なこの戦いを妥協せずたたかい抜き、一方、数的には優位な一揆側も組織的な結束力を欠いて内部から崩壊し、半年間の戦いの末、翌年二月に降伏した。その結果、一揆側の首謀者は追放され、帰参を許されたものも改宗した。また三河三力寺と本宗寺は破却させられ、天正十一年末に小牧・長久手の戦いを前にして赦免するまで、以後二〇年間一向宗を禁制した。若き家康は三河統一にのりだした初期において、膝下の一向一揆を克服することにより、地域の経済・流通をにぎる寺内町を解体して掌握しただけでなく、根強い自律性を残す一族や譜代層を屈服させて、家康のもとに結集する三河家臣団を創出し、以後、戦国大名として外征に専念できる体制をととのえたのである。

企業と消費者、消費者同士のつながり 

2015年03月09日 | 5.その他
『攻めのIT戦略』より ITで顧客接点を高度化 つながりを活かす

「つながりを活かす」ということについて、考えてみたい。ここでいう「つながり」には大きく二つのつながりがある。一つは、企業と消費者のつながり、もう一つは消費者同士のつながりである。

一つ目の企業と消費者とのつながりでは、近年、注目されている新たな経験価値として、「共創」経験がある。顧客は単に購買者としての位置にとどまらず、自分が気に入った企業の取り組みに協力し、一緒に何かを創り出す経験を求めている。企業とのつながりを重視する顧客は、商品企画に参加し、商品の宣伝を自ら買って出る。企業の活動に参画することで、ますますその企業の商品・サービスの対する愛着が深まり、高いロイヤリティを示すようになる。この好循環サイクルをいかにうまく回していくかが、今後の知恵を使いどころと言えよう。

現在、多くの企業が、ネット、特に自社で運営するSNS等をコミュニケーションのプラットフォームとして、顧客と共同で商品を企画する試みを推進している。商品・サービスに関するニーズを市場調査で捉えるのではなく、顧客を巻き込み、ニーズに応える商品・サービスを具体化する過程で、顧客とコラボレーションする。

もちろん、すべての商品をこのような形で提供することが良いわけではない。企業自体が意志を持って、顧客が気付かないような価値を提供するため、商品を企画して上市することも重要であろう。特に飛躍的なイノベーションを必要とするような商品は、顧客の真のニーズを洞察し、これに最新の技術を組み合わせることで、初めて生まれるものであり、顧客とのコラボレーションがう圭く機能するとは限らない。

しかし、通常企業が提供する商品・サービスは、すべてがすべて、そのような革新的なイノベーションに基づくものばかりではないだろう。いわゆる商品・サービスのポートフォリオをう圭く管理し、自社の商品・サービスのうち、顧客とのコラボレーションが有効なのはどのようなものかをしっかりと検討したうえで、コラボレーションを推進する必要がある。

今後、このような顧客とのコラボレーションは、様々な領域に拡大していくことが想定される。企業は商品企画以外にも様々な機能を持っている。プロモーションの領域は、アフィリエイトといった形で、既に一部を消費者が担っている。さらに販売や、商品の受け取り等、様々な領域で、うまく消費者を巻き込み、消費者の力を活用することができないか、常に検討する必要がある。

一方、消費者同士のつながりをうまく活用することも重要である。現在、多くの消費者は、何らかのソーシャルネットワークを利用し、相互につながっている。企業が顧客との間で行った様々なやり取りは、たちまちのうちに消費者の間で共有され、企業からのメッセージとして、伝播する。ある顧客からの問い合わせへの対応に難があっただけで、その経験は、リアルタイムにその顧客の知り合いに、極めて信頼性の高い情報として伝わる。仮に「顧客第二を標榜し、テレビCMでそのようなメッセージを流していても、それ以上に強い影響を持つメッセージ媒体として、SNSが機能するのである。

このような顧客のつながりを、自社のメッセージを顧客に伝える媒体として、う圭く活用していく必要がある。その際に留意すべき点は、SNSを媒体として利用する場合、「伝えたい」メッセージではなく、「(実際に)伝わったメッセージ」が拡散するという点である。企業が自社が伝えたいメッセージを「言葉」としてコントロータすることは不可能であり、顧客は自身の体験から得た企業からのメッセージを、自分の言葉で伝える。

SNSを活用して企業がメッセージを伝える際に、最も重要な点は、「どのようなコンテンツを、どのようなSNSに投稿するか」ではなく、あらゆる顧客接点における顧客の「経験」が、自社が顧客に理解してほしいメッセージに沿っているかどうかをチェックすることである。

このような活動を支えるIT技術として、SNSの投稿を解析するテキストマイニングや、SNS上での顧客のつながりを可視化する、ソーシャルグラフといったものがある。

ソーシャルグラフを利用することで、消費者の中に発生しているコミュニティ(っながりの単位)や、そのコミュニティの中心となる消費者の存在を確認することができる。コミュニティの中核となるような影響力を大きい消費者を、インフルエンサーと呼ぶが、様々な研究結果によれば、インフルエンサーの影響力というのは、特殊な場合を除いて、さほど大きくはないということも言われている。言い換えれば、やはりすべての消費者は等しく大きな影響力を持ちうるのであり、インフルエンサーヘの対応だけに注力するよりは、あらゆる消費者に対する顧客接点で誤ったメッセージが伝わらないよう、チェックすることが重要であるということになる。

そのような消費者のコミュニティの中を、どのようなメッセージが、どのように変化しながら伝播するのか、企業は今後注意してモニタリングする必要がある。伝貪ゲームのように形を変えるメッセージが、最終的にどのようなものになるかをきちんと把握し、これに適切な手を打たなくてはならない。メッセージが自社にとって不都合な方向に変わった場合は、その根源となった自社の要因を改善するのは当然として、そのことを再度、消費者のコミュニケーションネットワークに届けなくてはならない。

個々のSNSは流行り廃りが激しいため、どのSNSでアプローチするか等は、今後も継続的に変わっていくのであろうが、企業と消費者のコミュニケーションが双方向かつ、多数の間で共有される構造は、今後も変わらないであろう。企業は、今後、これらの消費者とのコミュニケーションの根本的な変化に対応し、新たな顧客経験を創り出していく必要がある。