goo

ミクロネシア 観光立国の光と影

『ミクロネシアを知るための60章』より 現代社会 観光立国の光と影 ★「楽園」が抱える課題★

白い砂浜、紺碧の海、澄みわたる大空、ヤシの木陰で語り合う島人。ミクロネシアの島じまには「楽園」イメージをかきたてる要素がある。そのため現代における「楽園」を求めて、数多くの観光客がミクロネシアを訪れる。

ミクロネシアで最初に国際観光に力を入れたのはグアムであった。1960年代以降に国際観光地として発展したが、その原動力になったのは日本人観光客だった。日本人の海外旅行自由化は64年に実施され、その後の高度経済成長で海外旅行者が急増した。その際に日本から約3時間半で飛んでいけるグアム島はお手軽な国際観光地として人気を博した。私は74年に初めてミクロネシアを訪れたが、伊丹空港からのグアム行きの飛行機は新婚カップルで満杯だった。70~80年代にグアムは日本人の新婚旅行のメッカになった。

2012年にグアムを訪れた外国人観光客は127万人。その内訳は、日本人90万人、韓国人16万人、台湾人5万人が御三家。現在では新婚旅行よりも、家族旅行やグループ旅行が増えている。ハワイ観光と比べてみると、12年にハワイを訪れた外国人観光客は784万人、内訳は米国本土から490万人、日本人145万人、カナダ人50万人が御三家。グアム観光局は2020年に200万人の観光客受け入れをめざして観光戦略を練っている。

ミクロネシアの島嶼国家は小規模で資源が乏しいうえに、植民地時代に産業振興がなされなかったために財政基盤が脆弱である。その結果、先進諸国の経済援助に頼らざるをえない状況にある。農業や漁業の振興が図られているが、資金の不足、空間的な隔絶性、熟練労働力の不足などで農業立国や漁業立国の実現は容易ではない。そのために1980年代以降は美しい自然を売り物にして観光立国に力を入れる島嶼国家が増えた。

サイパン島は、1978年に米国の自治領(北マリアナ連邦)となってから、急速に開発が進み、観光地化した。私は74年に初めてサイパンを訪れたが、当時は日本からの直行便がなく、グアム経由で訪れた。古い空港は貧弱で、米軍のバラック兵舎のようなターミナルで入国手続きをすませた。まさに「地の果て」に来たような寂寥感に襲われた。その後、サイパンでは80年代に外国資本による観光開発が行われるとともに、立派な国際空港が完成し、国際観光地として発展した。その結果、97年には45万人の日本人が訪れたが、その後にサイパンを訪れる日本人が減少し、2012年の統計では15万人に激減。日本人観光客の大幅減少は「サイパンの悲劇」と称されるほど、大きなダメージを与えた。日本人に代わって、韓国人や台湾人やロシア人や中国人がサイパンを訪れているが、90年代半ば頃の賑わいを取り戻せないままである。

「サイパンの悲劇」の直接的原因は、外国資本に過度に依存した観光開発であった。ホテルやレストランのほとんどが日本系と米国系であり、従業員の多くはフィリピンからの出稼ぎの人たちであったために、地元の人びとにとって益するところは少なかった。急激に観光地化したため地元の若者を教育して従業員として雇用するよりも、接客業に慣れたフィリピン人を雇い入れるほうが手っ取り早かったからだ。観光地づくりにおいても、サイパンの伝統文化が活かされることなく、「無国籍的リゾート」づくりが行われた。外国の民間企業による観光開発では、利潤追求という経済合理性にもとづくために、そのような観光開発しか望めない。その結果「ネオ・コロニアリズム(新・植民地主義)」と批判されるような観光開発が展開されたわけである。

1994年に独立を達成したパラオ共和国(人口約2万人)は「サイパンの悲劇」を反面教師にしながら地元主導の「持続可能な観光立国」を推進している。95年に5万3000人であった外国人観光客は、2013年には10万1000人に増加。その内訳は、日本人約3万5000人、台湾人約2万5000人、韓国人約1万7000人で御三家。パラオは世界でも最も魅力的なダイビング観光地の一つとして評判を得ており、12年には「ロックアイランド・南ラグーン」が世界遺産(複合遺産)として登録された。経済成長センターである東南アジアに隣接する優位性があるために、今後とも観光分野での発展が期待されている。パラオは政府と民間企業が連携して持続可能な観光開発を志向しており、外国資本単独による観光開発事業を認めていない。そのためサイパンのような急激な観光開発は生じておらず、ホテル客室数が限定されているので、現時点ではまだ政府によるコントロールが可能な範囲内で観光が持続的に発展している。

づフオの今後の課題は、新しいホテルの建設(地元企業との国際共同事業)、ダイビングだけではない観光アトラクションの創出(滞在日数の増加)、日本、台湾、韓国だけではない新たな観光客誘致(東南アジア諸国からの誘客)、若者に対する観光専門職教育などがある。観光産業はリーディング産業であるが不安定な面(食材等の輸入が不可欠で諸物価の高騰を生じさせる面)かおり、今後は農業、漁業、水産養殖業などの積極的な振興によって観光産業への過度依存を脱する産業振興策が求められている。

ミクロネシア連邦は1986年に事実上の独立を達成したが、97年の外国人観光客は約1万7000人(うち日本人約4100人)、2011年は1万2625人(うち日本人2467人)。12年に首都ポーンペイの国際空港拡張工事が日本のODA(政府開発援助)で完成し、交通インフラが整備されたが、観光資源の未開発、宿泊施設の不足、観光人材の不足などの課題の克服が必要である。

その他、マーシャル諸島共和国、キリバス共和国、ナウル共和国などは交通アクセスが容易ではないために観光振興よりも、むしろ他分野の産業振興を優先することが望ましい状況にある。

ミクロネシアの島嶼国家の未来は決してバラ色ではない。世界の政治と経済の中心から隔絶した周縁地域にあり、観光立国を図る場合にも大きなハンディキャップを背負っている。島嶼国家主導で持続可能な観光立国を図ることは容易ではないため、日本は観光分野や博物館分野のODAを活用して、ミクロネシアにおける持続可能な観光立国推進に国際協力する必要がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

幸福に死ぬための哲学 言葉 考える精神 

『池田晶子の言葉』より 幸福に死ぬための哲学

言葉 言葉が人間を創る

 言葉がなければ現実はない

  しょせんは言葉、現実じゃないよ、という言い方をする大人を、決して信用しちゃいけません。そういう人は、言葉よりも先に現実というものがある、そして、現実とは目に見える物のことである、とただ思い込んで、言葉こそが現実を作っているという本当のことを知らない人です。「犬」という言葉がなければ、犬はいないし、「美しい」という言葉がなければ、美七い物なんかない。それなら、言葉がなければ、どうして現実なんかあるものだろうか。

  目に見える物だけが現実だと思い込んで一生を終えるなんて、あんまり空しい人生だとは思わないか。

 人間を創るものは

  言葉は人間を支配する力をもつから、それを言うその人を、必ずそんなふうにしてしまうものなんだ。面白いから、そう思って、まわりの人を観察してごらん。正しい言葉を話す人は正しい人だし、くだらない言葉を話す人はくだらない人だ。その人が話すその言葉によって、君はその人を判断するだろう。その人の話す言葉が、その人をまぎれもなく示していると気がつくだろう。

  世界を創った言葉は人間を創るということを、よく自覚して生きることだ。つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつまらない人間になるだろう。

 古典という書物

  生まれて死ぬ限り、必ず人は問うはずだ、「何のために生きるのだろう」。数千年前から人類は、人生にとって最も大事なこの問いについて、考えてきた。賢い人々が考え抜いてきたその知識は、新聞にもネットにも書いてない。さあ、それはどこに書いてあると思う?

  古典だ。古典という書物だ。何千年移り変わってきた時代を通して、まったく変わることなく残ってきたその言葉は、そのことだけで、人生にとって最も大事なことは決して変わるものではないということを告げている。それらの言葉は宝石のように輝く。言葉は、それ自体が、価値なんだ。

 自分の消滅

  考えない人は、言葉は自分のものだと思っているから、「自分のま莱をもて」「自分の言葉で語れ」といったことを安直に言いますが、これは逆です。私に言わせれば、人は、「自分の言葉」を語ってはならない。言葉すなわち意味の不思議を自覚して、初めて人は、相対的な自分を超えた、誰にでも正しい本当の言葉を獲得します。したがって、自分の言葉だと思って語喘れる言葉など、たんなる個人の意見ですから、そんなものをやたらに主張するべきではない。これは自分の言葉ではないと、自信をもって語れるようになるまでは、沈思しているのがいいのです。沈黙は大事です。

考える精神 悩むより先に、考えよ

 何を悩んでいるのですか

  考えることは、悩むことではない

  世の人、決定的に、ここを間違えている。人が悩むのは、きちんと考えていないからにほかならず、きちんと考えることができるなら、人が悩むということなど、じつはあり得ないのである。なぜなら、悩むよりも先に、悩まれている事柄の「何であるか」、が考えられていなければならないからである。「わからないこと」を悩むことはできない。「わからないこと」は考えられるべきである。ところで、「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。

 正しいことを考えよう

  世の中の大多数の人は、当たり前のことを当たり前だと思って、わからないことをわからないと思わないで、「考える」ということをしていないから、正しくないことを正しいと思っていることがある。でも、いくら大勢で思ったって、正しくないことが正しいことになるわけではないね。だから、たとえそう考えるのが、世界中で君ひとりだけだとしても、君は、誰にとっても正しいことを、自分ひとりで考えてゆけばいいんだ。なぜって、それが、君が本当に生きるということだからだ。

 存在の謎

  「存在する」ということは、奇跡だ。存在する限りのあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろんなことがあるけれども、悩まずに考えてゆくことができるはずだ。そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ。考えたいけどうまく考えられない、そういう人だって、かまわない、生(ある)と死(ない)の謎を感じて、その謎を味わいながら、大事に人生を生きてゆけばいい。真理は、すべての人の内に等しくあるものだから、そのことを信じてさえいるなら、大丈夫だよ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )